おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

東武アーバンパークライン「東岩槻駅」~JR宇都宮線「白岡駅」。その1。(「元荒川」をゆく。第3日目。)

2024-07-13 13:37:00 | 元荒川

今回から元荒川の上・中流歩きになります。利用する路線も東武線からJR線になります。

「東岩槻駅」。

東武線鉄橋の上流へ出ます。

「東宮(ひがしみや)歩道橋」から上流を望む。

この付近の今昔。

               (現在)

東武鉄橋上流に「東宮歩道橋」。「江川地区調整池」が設置されています。

               (1970年代)

元荒川は大きく西にカーブしていました。その後、流路の変更が行われ、宅地化されました。

土手沿いの道(左岸)を歩きます。

右手は住宅地。

上流に「慈恩寺橋」。

             

河川敷に畑が広がっています。

                               (1880年代)河川敷が広がっています。

                                (現在)かつての河川敷が農地となっています。

              水道橋が左手奥に。

畑の正面に「水道橋」。

「城北大橋」。

下流の水道橋を望む。

この先に人も歩ける「元荒川水管橋」があります。

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東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その7。(「元荒川」をゆく。第2日目。)

2024-07-11 15:51:17 | 元荒川

国道16号線・「岩槻大橋」のたもとに。

下流方向。

          上流に「新曲輪橋」。

「国道16号線」は首都圏の幹線道路。都心から郊外へ向かうときには必ず遭遇します。

(「」より)

           春日部方面。

「新曲輪(くるわ)橋」。

右岸奥周辺が「岩槻城址公園」。

岩槻は「日光御成街道」歩きのときに通りました。

※「本郷追分」で中山道と分かれ、「幸手」で日光街道と合流する。

モニュメントの人形。

旧岩槻市のマンホール。

蓋を三等分し、上部には岩槻城黒門と桜の花、右には園内の池にかかる朱塗りの八つ橋、左には岩槻城鐘楼と市の花「ヤマブキ」がデザインされている。汚水蓋。

「岩槻橋」。

岩槻橋は、第二次緊急輸送道路である主要地方道さいたま春日部線(都市計画道路岩槻中央通り線)と一級河川元荒川の交差箇所に位置し、さいたま市の副都心である岩槻駅周辺地区を横断する路線の一部として重要な橋りょうです。
現在の岩槻橋は幅員が狭く、歩道も片側のみの設置であることから、通行車両や歩行者等の安全確保が課題となっております。一方、車道橋については昭和16年の竣工後、約80年が経過し、老朽化による損傷が著しい状況であり、また現在の耐震基準を満足しておりません。
そのため、歩行者や自転車等の安全性向上や緊急輸送道路の耐震化などを目的として、岩槻橋を架け替え、それにあわせて必要となる現道の影響範囲区間を都市計画道路として整備を行います。(「さいたま市」HPより)

工事中の新橋。

下流方向。

東武線の鉄橋が見えてきます。

今回、川歩きはここで終了。「東岩槻駅」に向かいます。

東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。

かつては「野田線」という名称でした。

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東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その6。(「元荒川」をゆく。第2日目。)

2024-07-10 15:21:26 | 元荒川

公園内の釣り堀。

                           賑わっています。

の中の下道。

公園内に。

           

森に囲まれ、体育館やグランド、大きな池などが広がっています。

                

案内図。

          「グリーンアドベンチャー 岩槻文化公園コース」。この木の名は?           

この地域はかつては元荒川沿いの微高地でした。

                            (1880年代)                              

                            (現在)

駐車場の向こうに元荒川の流れ。

川沿いの小道。

             

足下の草むらをトンボが。全身真っ黒で蝶々のようにひらひら羽を動かし、ヒラヒラ飛んでいます。

  ○のところにとまっている。

中川歩きの時に見た「ハグロトンボ」。 

ハグロトンボ(羽黒蜻蛉

カワトンボ科トンボ。別名ホソホソトンボ

東アジア日本朝鮮半島中国ロシア)、北米に分布する。日本国内では東北本州四国九州に分布する。

成虫体長は 57-67mm、後翅長 35-44mm ほどで、トンボとしてはやや大型。の方がより若干大きいが、大差はない。が黒いのが特徴で、斑紋はなく、雄は体色が全体的に黒く緑色金属光沢があるのに対し、雌は黒褐色である。
他のトンボのように素早く
飛翔したりホバリングしたりせず、チョウのようにひらひらと舞うように羽ばたく。その際、パタタタ……と翅が小さな音を立てる。どこかに留まって羽根を休める際もチョウのように羽根を立てた状態で、四枚の羽
根を重ねて閉じるという特徴がある。

成虫は5~10月頃まで見られ、とくに7~8月に多い。主に平地から低山地ヨシなどの抽水植物や、エビモバイカモなどの沈水植物などが茂る緩やかな流れに生息する。幼虫は、おもに夜半から早朝にかけて、挺水植物などに定位して6~7月頃に羽化する。羽化後の若い個体は薄暗いところを好み、水域から離れての中で生活するが、成熟すると再び水域に戻り、明るい水辺の植物などに止まり縄張りを張る。交尾後、雌は水面近くの水中植物に産卵する。

日本においては、地域によっては絶滅危惧種にも指定されているように、例えば東京都では絶滅危惧Ⅱ類、青森県では準絶滅危惧種などと、個体数が少なくなっている地域も存在する。

(この項、「Wikipedia」より) 

ハグロトンボは神様トンボ、極楽トンボ、仏トンボなどの別名があります。 別名の由来は諸説あるようですが、羽を閉じたり開いたりする姿が人が手を合わせて神様に祈る姿に似ているということから、黒いトンボは神様の使いとして昔から大事にされてきたようです。

また、ハグロトンボの言い伝えとして、黒いトンボのハグロトンボはご先祖様が姿を変えたトンボとして大切にされてきたとか。 ご先祖さまの魂亡くなった人の魂を運んでくる神の使いで見ると縁起が良い仏様が黒い羽に乗ってやってくるなどと言われています。

日本では縁起の良い生き物であり、幸運が訪れる暗示といわれています。

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東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その5。(「元荒川」をゆく。第2日目。)

2024-07-09 15:35:29 | 元荒川

溜井が大きく広がる。

      桜並木。

右手は緑濃き、水田。

「武蔵第六天神社」の境内地に入ります。

川原に下りられる階段がありますが、今は水底に。

  「夏越の祓」茅の輪がある。

先に進みます。

まだ「岩槻市」のまま。

※現在は、さいたま市に編入「さいたま市岩槻区」。

田んぼが広がります。               

土手の道が途切れ、たんぼの中の道を進みます。上流に赤い橋。

振り返る。

久々な経験。

農家の脇に、カボチャ。

                      枝豆。

県道に出ます。

上流に見えていた赤い橋に向かいます。「大野島水管橋」。

※大野島水管橋は、昭和52年(1977)竣工。三連アーチのランガー補剛形式で70m。口径600mmの管が2本設けられ、元荒川の上を水道水が横断している。大野島水管橋は歩行者も渡れる。

         下流方向。

上流方向。

橋を渡り、右岸に。振り返る。                       

上水道管。

「岩槻文化公園」の脇の道を進みます。

 

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東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その4。(「元荒川」をゆく。第2日目。)

2024-07-08 15:37:21 | 銭湯

「末田須賀堰(すえだすがせき)」が目の前に。

さいたま市岩槻区の永代橋の脇には、「末田須賀堰」があります。堰とは水深や流量の調整のため、河川の途中などに設けられる構造物です。元荒川は古くから農業用水路として用いられており、全部で4カ所の堰が設けられていて、末田須賀堰はその一つです。4月から9月にかけて、農業用水の確保のため水門が閉まります。また、水門の脇には魚道が設けられていて、水門が閉じている時期でも魚が遡上できるようになっています。

(この項、「」HPより)                        

          

「永代橋」。

  

                          モニュメント。

この付近の今昔。

                            (現在)中央に堰。

   川幅が大きく広がっている。

                            (1880年代)

        現在の堰付近の流れが複雑になっている。

上流方向。広がりを見せる。旧永代橋の架橋記念碑。周囲には古い親柱、中柱が残されている。

   1926(大正15)年の建立。※現在の堰と橋は、1994(平成6)年の建設。

「末田須賀堰竣工記念」(平成6年10月建立)。

「須賀用水圦」。

堰の上流。

              「末田須賀溜井」とも。

解説板。

・・・この堰の上流には、農業用水を取り入れる取水口が末田側(右岸)に13カ所 須賀側(左岸)に16カ所あります。取り入れられた水は、白岡町(現白岡市)蓮田市 春日部市 越谷市及び(現岩槻市さいたま市岩槻区)に広がる約3,000ヘクタールの水田の灌漑に使われています。・・・

上流に向かいます。

右手に「つきのきの広場」。

元荒川の水はどこからくるの? 元荒川の起点(熊谷市佐谷田)

元荒川は自流(元荒川上流地域に降った雨)と利根川上流の群馬県沼田市・片品村・川場村・昭和村・みなかみ町及び埼玉県神川町・秩父市・小鹿野町などの地域に降った雨が水源とその水源地を流れ出た水は利根川に入り利根大堰から見沼代用水路に入ります。そして十六間場で分水された水が星川を通って元荒川に入ります。

        絶滅危惧種「幻の花」 キタミソウ(自生地)。

キタミソウは、北海道の北見地方で発見されたことから、「北見草」と名付けられたと言われています。

末田須賀堰の上流や越谷周辺の河川で、昭和25年に発見され、そのご一時絶滅したものと思われていましたが、昭和53年に再発見されました。

シベリヤなど極北に地に故郷をもつ植物で、国内で分布が確認されているのは、熊本県江津湖と埼玉県東部の全国的にも限られた地域のみに生育し、良好な環境のもとで育つ、とても貴重な植物であるため、「幻の花」とも言われています。

末田須賀堰の上流側では、田植えの始まる5月、農業用の水を取るため、堰により水がためられます。稲が実り秋を迎える9月、堰をあげて川の水が落とされると、いままで川の底だった石湿った土が現れます。

キタミソウは、この湿った土の上に芽を出し、10月から12月頃と翌年の3月から4月頃に、およそ2.5㎜程度の小さな白い花を咲かせます。

(「案内板」より)

・・・

キタミソウの花はたいへん小さく、2ミリメートルほどしかありません。

○が花。


キタミソウの絶滅危惧の理由として、湧水の減少、水辺の環境や水質の変化などの影響が指摘されています。
この小さな希少な花を守るためにも、ポイ捨てをしないなど、自然・環境にやさしい行動をとるように心がけましょう。

(この項、「」HPより)

 

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