先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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「イギリスにおける労働者階級の状態 19世紀のロンドンとマンチェスター」 エンゲルス

2010年04月13日 23時07分00秒 | 働く仲間に決して威張らない

「イギリスにおける労働者階級の状態 19世紀のロンドンとマンチェスター」 エンゲルス著 岩波文庫上・下  

   労働者のあいだで見られる堕落のもう一つの原因は、労働が罰であることである。自発的な生産活動がわれわれの知る最高の喜びであるならば、強制労働はもっとも過酷で、もっとも屈辱的な苦痛である。毎日朝から晩まで気の進まぬことをしなければならないことほど、ぞっとすることはない。そして労働者が人間的な感情を持っていればいるほど、彼らにとって労働はますますいとわしいものとならざるをえない。     

   労働の中に存在する強制を、労働者が自分自身にとって無意味であると感じるからである。いったい何のために彼らは働くのか?創造の喜びからか?自然の衝動からか?けっしてそうではない。彼らが働くのは金のため、労働そのものとは全く何の関係もない事柄のためである。彼らが働くのは働かなければならないからである。そのうえ、非常に長時間、休みなしでまったく単調な作業を続けるので、彼らに人間的な感情がまだ少しでもあれば、これだけでも労働は最初の数週間ではやくも苦痛とならずにはいないのである。

  分業は強制労働の動物化作用をさらに何倍にもする。労働者の仕事はたいていの労働部門において、毎分毎分繰り返され、毎年毎年かわることのない、つまらない、まったくの機械的操作に限られている。幼児から毎日12時間もそれ以上も、ピンの頭を作ったり、歯車ややすりで磨いたり、それ以外の点でもイングランドのプロレタリアのような状況の中で生活してきた者が、30歳代になっても、どれほどの人間的な感情と能力を持ち続けていられるというのか?

 (略)

  そしてそのような労働――労働者の自由時間をすべて要求し、食べたり、眠ったりする時間、まして戸外で運動したり、自然を楽しんだりする時間、いわんや精神活動のための時間など残すべくもないような労働――を刑罰として宣告すること。このような宣告がどうして人間を動物に転落させずにいようか!
   労働者にはまたもや二つに一つしか道はない。すなわち、自分たちの運命に身をゆだね、「立派な労働者」となってブルジョアの利益を「忠実に」守るか――ただしその場合、労働者は確実に動物化する――あるいは、出来るだけ抵抗して自らの人間性のために闘うか、どちらかであるが、後者ができるのは、ブルジョアジーに対して闘うときに限られる。
(諸結果p230から)


  秋葉原の彼のことを考えています。文春に載った吉本なにがしに腹がたっています。わかったような言い方に腹をたてています。本当の現場労働をしたことのない奴にはわからないと思います。しかし、若干24歳青年エンゲルスの指摘を僕は納得します。吉本なにがしと青年エンゲルスの違いはなんでしょう。文春で吉本は結局は自分の(文学の認識)ことをしゃべっている気がします。青年エンゲルスは一言も自分のことなどしゃべってはいません。しかし、この本には青年エンゲルスの労働者への愛を感じます。調査に裏付けられた想像力を感じます。24歳エンゲルスは資本主義に本気で怒っています。読んでてそんな気がしました。


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