治安維持法(1925年)犠牲者古川苞(しげる)29歳
「かつてこのような抵抗の青春を生き闘った人々がいたという歴史の真実」(まえがき)より
今日、治安維持法犠牲者国歌賠償要求同盟編「抵抗の群像」第一集・二集(光陽出版社)が届きました。ホームページから注文した本です。治安維持法下で生き闘った160名の先輩たちを紹介する本です。
治安維持法は、1925(大正14)年4月22日に公布され、「私有財産の否認」「国体(天皇制)を変革することを目的として結社を組織」したり、「結社への支援」「協議もしくは煽動」、「目的のためにする行為をなしたる者」を取り締まる、後には死刑も含めた歴史・世界に名だたる悪法です。社会主義・共産主義者の弾圧と同時に、労働組合・農民運動・知識人・自由主義者・宗教人・作家・・・・・あらゆる民衆の運動を弾圧するために使われました。
1933年2月20日、警視庁・築地警察署特高の拷問で29歳の若さで虐殺されたプロレタリア作家小林多喜二が有名ですが、治安維持法下の日本国内では犠牲者は、「虐殺死80名、拷問・虐待による獄死1617名。逮捕送検者7万5681名、未送検者の逮捕・拘束者は数十万人」とされている。
一読しただけですが弾圧の悪逆非道に心からの憎しみが増します。と同時に感動もしています。あれだけの凄まじい弾圧下で、私たちの先輩たちは闘い続けたことにです。倒れても倒れても立ち上がり続けたことにです。
それは、「虐殺死80名、拷問・虐待による獄死1617名。逮捕送検者7万5681名、未送検者の逮捕・拘束者は数十万人」がまさに証明しています。すごい数です。こんなにも多くの数の人々が拷問や獄を怖れず果敢に闘っていたことに、あらためて驚いています。
「抵抗の群像」は、その内の160名の方々を私たちに教えてくれます。無名(と言っては失礼だとは思いますが)の英雄・抵抗者、無数の「小林多喜二」が、民衆の、労働者の解放のために人生を賭けて、命をかけて奮闘していたこと、私たちのこの地域に、東京に、日本に、世界に、歴史に、確かに存在していたのだと。
もっともっと知りたい、みんなに知らせたい。
身近な事になるべきです。
と思いました。
この本の中から、そのお一人を紹介します。
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古川苞(しげる)29歳
古川苞は、山形高校から東京帝大に入学。「新人会」に加入し不屈に闘い続けた。
墨田本所の「東大セツルメント」(現在の墨田区押上の「賛育会病院」もその一つ)で活動。 労働農民党江東支部の書記になり、第一回普通選挙闘争をたたかう。 向島警察署や亀戸警察署に度々検挙され、外にいるより留置所に入っていた時のほうが多いと言われた。3.15、4.16弾圧でも検挙される。
1933年、小林多喜二が虐殺されてほどなく、妹さんに裁判所から「古川が市ヶ谷刑務所でハンストをしている。このままでは命にかかわるから、妹さんの口からハンストをやめるように言え」と呼び出しがあった。その後も60日間のハンストを闘い、一言も口を開かないなどその不屈の闘いの様子は、当時の新聞でも「カキ男のハンスト」と書かれたほど。 厳しい獄中生活のせいで結核に犯され重体となり仮釈放となるも、1935年12月 15日葛飾区高砂町の自宅で29歳の生涯を閉じた。
最初は息子の生き方に強く反対していた父松伯さん(鮭の人工ふ化研究家でアメリカに留学)は、その後、息子の生き方を理解・応援。息子が入獄中の1930年、葛飾区亀有無産診療所の前身である青砥診療所の設立のために 200円を赤色救援会に150円を寄付した。
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