先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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メモ1919(大正8)年とは

2020年02月01日 16時03分11秒 | 1919年の労働運動

メモ1919(大正8)年とは
―1919年とは1917年ロシア革命、1918年米騒動、1919年朝鮮3.1の205万人決起を背景に覚醒した日本労働者階級の怒りが一気に爆発した年―

(1919年前後の歴史)
1900(明治33)治安警察法第17条・・労働組合死刑法~1924年まで
自由民権運動弾圧の「集会条例」に続くもの。義和団事件で中国へ侵略出兵 

治安警察法1900年~1925年
内容
①女性、未成年者の政治結社加入の禁止
②結社と集会の届出義務
③警官の集会解散権
④17条「(労組加入、ストライキの遂行を目的として)他人を誘惑もしくは扇動することを禁ずる」
⑤罰「1月以上6月以下の重禁固等」
⑥1911年警視庁、全国に「特高」を配置し弾圧体制強化
⑦警察法は1924年まで186件1114名検挙。その他労働運動全体での検挙数6千余り

1904年(明治37)2月~1905年(明治38)8月 日露戦争
大阪砲兵工廠スト (1906年)、足尾銅山暴動、別子銅山暴動軍隊で弾圧等ストライキ149件(1907)。足尾銅山争議(永岡鶴蔵が3年前から工作「日本労働運動の歴史」51ページ)

1910年5月 大逆事件で幸徳秋水ら検挙、翌年死刑判決
同年8月 日韓併合 

<工場法を巡る攻防>
1、イギリスは1802年
2、日本は1911年明治44年。施行は1916年(大正5)紡績女工の深夜業禁止は13年後の1929年昭和4年から。
1906(明治39)年 幸徳秋水、堺利彦、片山潜らが日本社会党結成と禁止。1907(明治40)年足尾銅山暴動など争議多発、1910(明治43)年の「日韓併合」「大逆事件」・・・との懐柔策としての側面の工場法。

*「我国の幼工は、実際に於て労働と云ふ程の労働を為し居らず、所謂遊び半分に労働しつつある状況なれば、普通の職工と同一の労働時間を取りたりとて、之が為に何らの苦痛を感ずべきにあらず」

*「工場監督官」・・・警察署長に委任(日本の歴史29小学館「工場法と労働者」p197)

内容
15人以上の工場に適用
15歳未満と女子の1日12時間以上の就業禁止(15年間は2時間の延長を許可、二交代制の深夜労働禁止は15年間の猶予期間)
施行は1916年。 

1912年 友愛会(鈴木文治)結成⇒6年後2万人

1914年7月~1918年11月 第一次世界大戦(未曾有の大戦バブル景気)

1917年2月、10月ロシア革命
2月・10月革命を日本の新聞もあらそって報道(ストライキ多発398件5万7千人)

1918年8月 シベリア出兵発表の翌日から米騒動(7月)勃発。米価高騰、7月から9月の40日間全国の300ヶ所、軍隊出動は70市町村。参加人数97(の数倍)万人、検挙者数2万50人、起訴8千人。労働者は、米騒動をみて民衆の力の偉大さを知った。支配階級はふるえあがった。この年労働者のストライキ417件6万6千人。

東京帝大学生「新人会」亀戸等で労働学校開催。 

米騒動(7月23日~9月17日)
全国70万人(実際はこの数倍)。検挙者数2万50人、起訴8185名、有罪判決5112名

農民の没落、貧困化
米価高騰、民衆の生活困窮
ロシア革命の衝撃、反戦思想、シベリア出兵への反感、ドイツ革命の影響も
民主主義、社会主義思想の拡がり
大山郁夫(大阪朝日新聞)、堺利彦、大杉栄(「労働新聞」)、荒畑寒村(リーフレット「労働組合」発行)、河上肇(「貧乏物語」)
友愛会3万人

7月23日富山、8月10日名古屋・京都・和歌山・岡山・広島で一斉ほう起。11日大阪、石川。12日神戸、三重。13日~中部、近畿、北陸、中国、東海、東京、福岡、大分へ拡大。

14・15日四国全4県へ。

京都は被差別民衆400名が先陣で米屋を襲う。西陣では織物工ら2000名が「鎌・鳶口・竹槍・棍棒」で武装し、米屋や味噌屋を襲う。警察・軍隊・在卿軍人が銃で出動。

大阪では、今宮の被差別民衆が最初に決起。一方天王寺公会堂3000名「米価高騰反対、農相即時退職決議」。集会後デモ。翌日から7000名一斉ほう起。すべての米屋襲撃、打ちこわし、放火。警官抜刀し襲い掛かる。派出所と警察車両破壊。軍隊・憲兵隊出動。湊町では市街戦。日本ペイント400名労働者呼応。

名古屋では、鶴前公園で2万人、5万人と連夜市民大会。「寺内のビリケンを倒せ」「殺到ではだめだ団結せよ」とデモで米屋街を襲う。軍隊が出動。

神戸では、戦争で大儲けした大財閥・貿易商「鈴木商店」(現日商岩井・太平洋セメント・サッポロビール等)を襲撃、放火。財閥系の神戸新聞も焼かれた。軍隊は銃剣で民衆を殺した。三菱造船8500名労働者ストライキで呼応。

東京では日比谷公園に2000名集合し、農商務省を襲い、神田・本所・浅草・日本橋・・・米屋・派出所・警察署を襲う。

その他米騒動時の労働者の闘い

呉、舞鶴、佐世保など海軍工廠の労働者の決起。舞鶴2000名、新舞鶴1000名労働者は数千名民衆と共に決起し、海軍酒保や大商店を襲う。

炭鉱労働者の決起。山口宇部千数百名石油缶や金だらいをたたき、ほら貝をふきならし、炭鉱事務所を破壊し、経営者の本宅・別宅を襲い、米屋・酒屋・遊郭を焼く。軍隊により、死者13名。福岡炭鉱ではダイナマイトを準備しほう起。軍隊により死者1名。

福岡・佐賀全県のすべての炭鉱何万?のストライキ・暴動に拡大。三池炭鉱でも。

国家権力の飴とムチ
施米と安売り政策と2か月後の寺内内閣辞職と平民宰相原敬の誕生。

軍隊・警察による弾圧「「背中にチョークやペンキで印をつけ、かたっぱしから検挙」2万人、有罪判決5112名。無期が7名。

「この対外的重大の時機と為政者が絶叫している間に・・・・『自分をどうしてくれる』と叫んで立った」(大阪朝日8.22)

1919年(大正8年)、労働組合組織化の年。この年だけで71の組合が結成された。渡政(渡辺政之輔)が「新人セルロイド職工組合」結成。
韓国3.1闘争・中国5.4闘争。
東京砲兵工場に「小石川労働会」結成しストライキ。足尾銅山に「大日本鉱山労働同盟会」結成ストライキ。神戸川崎造船所争議日本で初めての8時間制獲得。10月第一回国際労働会議(ILO)代表選出反対闘争国際労働会議で8時間制可決、日本は除外。この年のストライキ497件6万3千人。普選運動が関西から始まる。警察法17条撤廃運動高揚。

新聞印刷工組合革新会8時間制要求してストライキ、16社争議へ拡大勝利。

1920年(大正9年)世界恐慌勃発
八幡製鉄所2万3千人ストライキ、第一回メーデー

1921年(大正10年)友愛会⇒「大日本労働総同盟友愛会」と改称。足尾銅山ストライキ、神戸三菱造船・川崎造船3万人ストライキ

1922年(大正11年)日本農民組合結成、日本共産党結成、全国結成

1923年(大正12年)、渡政ら墨田を中心にした東京東部地域に「南葛労働会」結成、その戦闘性・大衆性から「南魂たましい」と全国労働者から呼ばれ、尊敬される

第一次共産党事件、9月関東大震災(朝鮮・中国人虐殺テロ、大杉栄一家殺害テロ、南葛労働会ら10名の労働運動活動家殺害亀戸事件)

1924年(大正13年)、総同盟関東同盟会左右対立。左派は「関東地方評議会」結成。東京の6つの戦闘的労働組合(前南葛労働会の東部合同労組・関東印刷労組・時計工組合・関東機械工組合・光学技巧会・横浜合同労働組合)。ストライキ933件5万4千人

1925年(大正14年)治安維持法・普選法可決。治安維持法反対闘争。総同盟第一次左右分裂、左派は「日本労働組合評議会」結成。5.30事件。中国総工会結成。印刷工・新聞組合が出版労働組合結成

治安維持法1925年~1945年10月(1925年のソビエトとの国交樹立も背景)
内容
①「国体変革を目的」「私有財産制度の否認」に厳罰
②1928年には「国体変革を目的」⇒死刑
③被害・検挙者数は数十万人。送検者数は75,681人、起訴5,162.人。朝鮮半島では2万3千人検挙。拷問・私刑で194人殺害、獄中死1503人

1926年(大正15年昭和元年)、26年と27年は国家権力・資本の労組徹底的破壊の大巻き返し、弾圧。「評議会」指導の共同印刷60日間ストライキの大敗北、浜松日本楽器105日間のストライキの大敗北、日本共産党再建大会、労働農民党(合法無産政党労農党大山委員長、4010)結成、社会民衆党結成

1927年(昭和2年)、金融恐慌勃発、全日本農民組合結成、山東出兵、「対支非干渉運動全国同盟」、岡谷山一林製紙工場ストライキ、野田醤油ストライキ

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1919(大正8)年
1、朝鮮205万人決起の3.1独立闘争、日本軍、朝鮮人民7千人を虐殺。中国で5.4運動。

朝鮮の三・一運動
1919年3月1日パゴダ公園には数千人の学生が集まり、市内の道々を「独立万歳」と叫ぶデモは数万人規模となった。

独立宣言
「吾らはここに、我が朝鮮が独立国であり朝鮮人が自由民である事を宣言する。これを以て世界万邦に告げ人類平等の大義を克明にし、これを以て子孫万代に告げ民族自存の正当な権利を永久に所有せしむるとする。」

3月から5月のデモ回数は1542回、延べ参加人数は205万人に上る。

日本は憲兵や巡査、軍隊での鎮圧強化を行い、『韓国独立運動之血史』によれば、死者7509名、負傷者1万5849名、逮捕された者4万6303名、焼かれた家屋715戸、焼かれた教会47、焼かれた学校2に上る。

堤岩里事件。4月15日に日本軍が堤岩里の運動の指導者20余名を教会に集めて射殺して教会を焼き払った。

内乱罪で懲役3年の有罪判決を受けてソウルの西大門刑務所で獄死した女性独立運動家の柳寛順は、韓国では「独立烈士」「朝鮮のジャンヌ・ダルク」と呼ばれて尊敬を集めている。

逮捕・送検された数12,668名。有罪判決を受けたのは3,967名。3年以上の懲役は80名。宗教指導者孫秉熙(ソンビョンヒ、天道教の教主)ら8名が懲役3年、崔南善(チェナムソン)ら6名が懲役2年6ヶ月の刑。

日本でも、民本主義を標榜し、大正デモクラシーの主導者となった吉野作造は『中央公論』などに朝鮮総督府の失政を糾弾し、朝鮮の人々に政治的自由を与え、同化政策を放棄せよとの主張を発表した。また孫文との交友で知られる宮崎滔天は運動を「見上げたる行動」と評価し、朝鮮の人々の自由と権利を尊重し、いずれは独立を承認すべきと述べている。この他石橋湛山や柳宗悦なども運動への理解を表明している。

2、パリ講和会議。ヴェルサイユ条約

3、友愛会
友愛会⇒労働総同盟と改名組合員20万人→28年には40万人
大島製鋼所ストライキ。亀戸で全国セルロイド職工組合発会式。日本交通労働組合創立6千人。大原社研創立。コミンテルン創立―この年の日本でのストライキ参加者数6万数千人

1919(大正8)年から1926(大正15)年は「独占資本の展開期」⇒1928(昭和2)年の金融恐慌で三井・三菱の巨大独占資本の支配確立

1915(大正4)年から1920年(大正9)年初頭まで日本経済は未曾有の戦争バブル。紡績業、製糸業、石炭産業の大儲け。工場制工業の確立。労働運動の飛躍的発展期。1920年3月15日株大暴落、アメリカ恐慌

4、労働年鑑第1集1920年「緒言」より
「社会問題は今に始まった問題ではない。・・最近社会問題の中心事項は労働問題となった、・・大正八年は我国の労働運動史上に於いて一つのエポック、メーキングの年であった勿論1919年は・・・『現在吾々の生活している社会は吾々が国民全体の為に作って居る社会である特権階級の利益にのみ委ぬべき社会ではない』と労働者が自覚し始めたのは此年からであった、『真に生産に従事している者が絶えず生活の不安に襲われるという道理はない』と労働者が考え始めたのも此年からであった。労働争議が幾分か組織的に行われ始めたのも此年すらであった。・・・・」

資本家階級。独占資本主義の確立 世界第3位の海運国へ。三井・三菱・住友・安田の巨大資本の財閥。政友会は三井の党。憲政会は三菱の党

労働者階級。12時間労働が当たり前、休日は、15歳未満と女子にだけ月2回の休みを義務付け(工場法)。しかし、15名以下の工場と紡績は適用除外。戦争中でもストライキ続出

5、1919年とは
1917年ロシア革命、1918年米騒動、1919年朝鮮3.1の205万人決起・・で覚醒した日本労働者の怒りが爆発した年

この年は、大組織化と大ストライキの年。8時間制と賃上げ要求。この年だけで71の組合が結成され、ストライキ497件6万3千人

渡政が「新人セルロイド職工組合」結成

韓国3.15決起・中国5.4決起

東京砲兵工場「小石川労働会」結成しストライキ
大阪砲兵工廠「向上会」結成
海軍工廠兵「築地工人会」結成
呉海軍工廠「呉市労働組合」結成
八幡製鉄所「日本労友会」結成
足尾銅山「大日本鉱山労働同盟会」結成ストライキ
東京市電の「日本交通労働組合」結成
「大阪鉄工組合」結成
「大日本鉱山労働同盟」や「工夫組合」結成

「新人セルロイド工組合」(東京帝大の学生新人会の援助。「民衆の中へ」がスローガン)「永蜂セルロイド組合」(渡辺政之助。本所押上350名)結成

神戸川崎造船所争議8時間制獲得

東京博文館「大進会」結成
活版印刷工「正進会」や「印刷工組合」結成
大新聞印刷工組合「革新会」7月、8時間制要求してゼネスト、16社新聞印刷工の争議へ拡大。勝利 

印刷会社・新聞社ストライキ
東京芝東洋印刷会社、東京日清印刷会社(1月)、東京博文館印刷所(6・7月)、東京凸版印刷(7月)、東京文祥堂印刷所(7月)、神田三省堂(7月)、日本書籍株式会社(7月)、精美堂印刷部(7月)、築地活版所(7月)、東京日日新聞社製版部、本郷日東印刷(7月)、東京安全印刷所(7月)、東京福山印刷製本所(7月)、横浜2千名の印刷工の職工組合結成へ(7月)、大阪市活版職工の動き(7月)、福岡印刷工の動き(8月)、福山市印刷工の動き(8月)、東京官立印刷局(8月)、福井市印刷職工の動き(8月)、大阪谷口印刷所(8月)、朝鮮総督府印刷所(10月)、都内160の印刷工場主へ要求書提出(10月の印刷所連続争議)、・・・・。

7月24日には、朝日・読売・時事・萬朝・報知・やまとなど16大新聞社争議

造船ストライキ
鳥羽造船(5月)、石川島造船(7月)、三菱造船長崎・川崎造船(9月)、三菱造船神戸・三井造船・播磨造船(10月)と全国に拡大

*神戸の川崎造船所のサボタージュ戦術の成功で「サボ闘争」が導火線となり争議が全国に広がった。⇒神戸製鋼・日本鋼管・室蘭製鋼所・汽車製造会社・合同紡績天満工場・大阪電燈会社・大阪砲兵工廠等

鉱山ストライキ
生野鉱山・唐虫鉱山・端島炭鉱・足尾銅山・釜石・日立・・・。

その他
野田醤油1300名争議(1月)

朝鮮内での労働争議
1919年における朝鮮内での労働争議に関する主な記載。いずれも短い結果説明が主で、争議の各内容の詳細にはほとんど記述されていない。しかし、軍隊による出動と鎮圧を見ても明らかに3.1闘争の高揚の中で、呼応した朝鮮の労働者階級の激しい闘いが想像できる。

「(一)労働争議の部」の中の<朝鮮における各種の同盟罷業>の記載
①3月9日東京煙草会社の「鮮人」(まま)職工500名は突然同盟罷業をなした。その他の工場にも不穏の形勢見えたので官憲は軍隊を用いて・・・・。3月29日,京城満鉄会社の「鮮人」(まま)職工900名中800名が同盟罷業。また京城電車の「鮮人」(まま)従業員も同盟罷業。その他各地に同盟罷業。それは大抵政治的に不平を有する「鮮人」(まま)の脅迫によるもので労働条件の改善を要求するために起こったものではない。従って官憲の取り締まりは鎮定方針も主として軍隊を用い高圧的に鎮定したようである。

②8月1日、釜山港「鮮人」(まま)沖仕約80名は賃上げを要求し、休業者続出。8月3日賃金値上げで解決

③8月諸物価高騰の影響で、朝鮮にても2か月前から小規模の同盟罷業など起こりつつあったが8月に至り更に激しく大規模となってきた

④8月18日、京城電気会社発動工場職工全部が賃上げを要求して、4回目の同盟罷業・・・会社強硬。同日日韓印刷、京城印刷所の印刷工も賃上げを要求して同盟罷業・・・その他小労働争議は各地で起こっている

⑤10月6日、朝鮮総督府印刷所の労働争議。内地人100名が、11時間労働を9時間に改めろと要求

⑥10月13日、朝鮮兼二浦三菱製鉄所職工は、12時間労働を8時間労働にと賃金5割値上げを要求、14日より怠業と約400名が同盟罷業・・・・会社は強硬姿勢で解雇で脅すし、84名(日本人41名、朝鮮人10名、中国人33名)は裏切るも、約300名は闘争を続け、増歩合5割と労働時間の2時間短縮等で妥結し、全員復職して解決した。

⑦10月14日、朝鮮東亜煙草会社。職工1400名中の100名が賃上げ7割を要求した同盟罷業。

⑧10月末、満州日日新聞争議。職工罷業怠業で休刊

「(十)俸給生活者問題」の中に、朝鮮内での労働争議として以下の記載
①10月中旬、朝鮮総督管下逓信員住宅料差別改善を求め、増額を実現
②10月22日、朝鮮総督府営繕課員の怠業。一般増給に漏れた者が多かったので局長、課長の処置に憤慨し怠業をはじめた
③10月27日、朝鮮総督府技術官吏農工学士等「の連中」(まま)50名は待遇改善要求を決議
③10月末日、朝鮮京城郵便局電信係員29名の増俸要求
④10月31日、朝鮮京城本町警察署勤務朝鮮人警察巡査の盟休・・・・待遇上の問題で不満を抱き、申し合わせの上、「病気欠勤届を出し」盟休を行った。11月2日、36名朝鮮人巡査を「免官=解雇」した。「官憲の威信を保つため、仮借なき処分」を行ったと当局。
⑤11月4日、朝鮮天安警察署朝鮮人巡査の争議・・・朝鮮人巡査13名は「生活困難職務に服し難し」と結束して「休暇願」を提出

6、組織的闘いへ
①川崎造船所16000名は各職場から代表者を選び、実行委員会を組織。友愛会員を委員長に選出。大毎新聞記者村島から教えられた「サボ闘争」を採用し、整然と闘い勝利した。全国での暴動化・暴力化がなくなった。

②9月「大日本鉱山労働者同志会」が結成され、足尾7000名ストライキの指導

③戦術の創意・多様化
・ピケッティング(池貝鉄工・王子砲兵工廠・足尾銅山)
・サボタージュ(足尾・川崎造船)
・部分ストライキ
・妨害・安全戦術(東京市電)
・連帯・共同闘争(足尾)
・ストライキの報告・情宣のビラ・ポスター等の印刷(東京市電)
・同一産業部門の一斉ストライキ、ゼネスト(16新聞印刷工「革新会」)

7、交通界の労働者決起
東京市電争議2月14日 半蔵門出張所保線工夫約50名「雨中の勤務は苦痛と罷業」目的は賃上げ。2月26日大塚車庫車掌運転手怠業の企て
京都市電争議 3月下旬賃下げに反対し「壬生友愛会」結成。罷業を計画、6月2日要求書「8時間制」提出など
京浜電車争議 7月7日、8日。乗務員364名、賃上げ要求。会社拒絶、罷業を主張するも実行はなかった
京成電鉄争議 7月21日乗務員40数名中31名賃上げ要求を行った労働者代表がくびになったことに怒り、罷業を決行し、連結辞職を通告。有耶無耶に収束
東京市街自動車争議 5割の賃上げ要求。3割増勝ち取る。官憲の圧迫で収束
東京市電争議 7月27日本所亀沢町車庫の車掌運転手700名は車庫内に集合し代表を選び「10時間制、賃上げ3割」等要求。28日全員罷業
神戸市電争議 10月1日全従業員賃上げ要求。市参事会は3割増を認める。不満の労働者側は怒り、怠業気分高まる
大阪市電争議 9月「毎月6回の14時間労働の廃止、賃上げ、休暇」等要求し決起。13日400数十名全員で罷業決行
京阪電鉄争議 10月8日賃上げ求め集合。あわてた会社手当3割増回答
京都市電再争議 10月14日大阪市電罷業に刺激され賃上げや労働時間短縮を求め騒ぎ。16日、17日罷業と怠業続出。会社「1日平均11時間労働を9時間とする。賃上げ」等回答

8、日本交通労働組合結成と東京市電争議
①1919年9月3日渋谷宇田川町、日本メソジスト教会で創立総会。35
②9月11日本所江東俱楽部で講演会開催。本所、三ノ輪、三田など13支部6千名の組織化
③11月8日賃上げ要求。当局中心労働者10名を解雇。労働者抗議し毎日デモ。投石、電車の先頭に赤旗を立てる。あちこちで報告演説会開催
④労働者の要求書内容
労働者の人格を尊重すべし」「平均一日11時間10分の勤務時間を8時間にすべし」「歩合制をやめて日給制とすべし」「手当増額」
⑤12月21日警視総監の調停で解決
⑥翌年1920年2月26日~28日等罷業・怠業。警察法17条で警察・憲兵出動検挙。会社216名解雇し、御用組合中正会を結成
⑦1920年4月17日神田明治会館組合大会「我らは、あくまで団結の力で8時間制と日給制を獲得す」
⑧4月25日1千名罷業決行。運転休止は19線に及ぶ。雑司谷の玉椿相撲道場に1千名籠城闘争支部旗をたて米俵、炊き出し、寝具の搬入、組合歌の高唱
⑨正力松太郎方面監察官、特高、憲兵隊、警官多数動員し道場を包囲。26日深夜零時なぐるけるの突撃。検挙30数名。追い出された1,600名は尾久町硫雲寺、その後は吉原堤新世界に籠城
⑩4月28日友愛会本部敗北宣言
⑪4月29日 当局254名(合計328名)解雇、投獄83名、起訴34名。組合結成8か月で壊滅。

9、友愛会の戦闘化・労働組合化へ
1919年の組合員数20万人⇒1928年には40万人へ。女性二人が理事に。この年ストライキ2,387件63,137人。賃上げ・8時間制等を要求

1919年8月7周年大会「鈴木文治氏の独裁をやめ、民主化」「地域支部から産別支部へ」「大日本労働総同盟友愛会」と改名し、「労働の非商品化」「組合結成の自由」「最低賃金制の確立」「8時間労働制」「失業防止」「普通選挙」「治安警察法の改正

友愛会が7周年大会「大日本労働総同盟友愛会」と改称し事実上の労働組合化。

「人間はその本質において自由である。ゆえにわれら労働者はかくのごとく宣言す。労働者は人格である。かれはただ賃金相場によって売買せられるべきものではないと。かれはまた組合の自由を獲得せねばならぬ。資本が集中せられて労働力を略奪し、すべての人間性を物質化せんとするときに、労働者はその団結力をもって、社会秩序の支持ははただ黄金にあるのではなく、そはまったく生産者の人間性に待つものであることを資本家に教えねばならぬ」1919年友愛会7周年大会宣言。「労働運動史」犬丸義一著)

ロシア革命の世界的波及「ストライキの時代」。1917年大正6年を境に以後ストライキ参加者いっきょに増大。

1915年7,852人
1916年8,413人
1917年57,309人
1918年66,459人 米騒動 大杉栄亀戸の労働者街に引っ越し
1919(大正8)年63,137人 友愛会が「大日本労働総同盟友愛会」と改称し事実上の労働組合化。ストライキ2,387件。賃上げ・8時間制等を要求

ストライキ。鳥羽造船、石川島造船、三菱造船、三井造船、川崎造船、鉱山・・・・。

*川崎造船所争議

10、社会運動の発展
普選運動
1919年初頭大阪友愛会関西同盟会の普選運動は、国会議員尾崎行雄らも参加し全国に拡大⇒1920年に最高潮にたっする
②治安警察法反対運動
1919年3月友愛会臨時総会「第17条撤廃の決議」と全国署名運動の高揚。

  1. ILO大会出席日本労働者代表選出運動。政府の選んだ労働者代表への反対運動。11月15日横浜港弔旗で埋まる。国際労働会議で8時間制可決、日本は除外。
  2. 新聞、労働争議に深い関心を示し、大きく報道した。労働者階級の地位の向上・階級的連帯感・階級意識の深化。

翌年1920(大正9)年恐慌
・全国で工場閉鎖、大量解雇
・八幡製鉄所2万数千名の大ストライキ
・5月2日に最初のメーデー1万人「万国の労働者団結せよ」
・東京市電敗北直後の5月2日島上善五郎東京市電に入社

1920年この年、東京における労働争議が官憲の暴圧によって次々に惨敗させられる。



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