るるの日記

なんでも書きます

封建社会・武士の悪質非道な農民搾取

2021-03-22 09:12:25 | 日記
家臣にとっての目標は知行を持つ、または知行高が増えることであるが、知行高を得ても軍事奉公、普請役奉公が課せられ、また知行地を離れ城下町に居住させられ(兵農分離)たため、武士は華美な消費生活に親しむようになり、従来の質素と自給倹約な風習が忘れられていった

家臣は奉公や消費武家生活を維持する費用を年貢などの搾取強化で捻出しようと規定外の税を知行地農民に課した

このため農民経営は生産するための必要経費(来年の種もみ、飯米、農具・肥料を買うための米、銀、など)までとられ支障をきたした。年貢未納の農民があると、知行主である武士は、その妻子を人質にとり屋敷の雑役に酷使した

そのため農業生産への活力、余裕を失われたところへ長雨・冷雨・日照などの天災が重なり凶作・飢饉・農村荒廃(亡村化)を招いた
寛永13~14、17~18の凶作

農村の生産を妨害し自らの税源を枯らし、武家生活の向上につながらなかったにもかかわらず、さらに悪質非道な農民搾取を生み出していった

加賀藩主前田利常は改作法という大改革に着手する

封建社会・人身売買方式の養子縁組

2021-03-22 08:42:45 | 日記
奉公というのは「幼少ないし成年男女」(特に二男三男が多かった)を持高の多い百姓家に住み込んで働かせるもので、古くは専門的な商人の手で買い取られ、需要家に売り渡されるという人身売買方式で養子縁組した場合もあり、あるいは譜代下人のように生涯、又は親子代々仕える者もあった

あるいは借金を払えない零細農家、小作料を払えない小作農家など、借金の代わりに一定日数その家で働く質奉公人などもあった

封建社会・相続・縁組

2021-03-22 08:31:50 | 日記
【相続】
家の相続人は長男子で、女子の相続は認められなかった。戸主死亡の際に成年男子の後継がある場合は問題はなかったが、そうでない場合はいろいろ面倒ないざこざが起こりがちなので、長男子が不在か幼少の場合、成年まで後見人を設定するか、未亡人に新しい夫を迎えさせねばならなかった

【縁組】
縁組は家が世間に親戚の輪を拡げる最大の機会である。それは嫁迎えと養子迎えの2つが多かった。養子迎えには長男子単独相続の慣行から、女子ばかりで男子を持たない家へ成年男子が入婿して家督相続者となるのを目的とするものと、幼少のうちから子なき家へ迎えられるものと二種類あった

嫁迎えに際しては、相手の村役人奥書を持って、郡奉行へ届け出て許可をもらい、嫁の村から嫁ぎ先の村へ寺請け送り状を出す。こうして嫁は自分の村の人別帳から外され嫁ぎ先の村の人別帳に加えられる

こうした面倒な手続きをして縁組が結ばれても、何かの都合で離縁となる場合もあった。そのときもまた縁組の場合とは逆の手続きが必要となった

封建社会の農家

2021-03-22 08:00:04 | 日記
封建社会では、その成立の単位は個人ではなく家であった。その家はおのおの独自の名がつけられており、それを面といった。一人の人間には必ず面があるように、一軒の家にも必ず面があり、それは「〇〇右衛門」とか「〇〇兵衛」とかいう名をもって呼ばれた。面というのは家の標識として家長の名を示しているので、通常それを変えずに家督と一緒に相続された。

面が高を持てば「百姓面」であり、高を持たねば「頭振面」なのである。百姓面には、重税上納の義務がある代わりにその特権として、高畠や山の保持、用水の用益権、山野河海の入会権などが付帯していたから、百姓たちはその細分化を極力避けようとした。だから村中の面の数は通常固定していた(頭振が百姓の仲間入りするには米銭で面を買わねばならない)

個人に価値があるわけではなく、その面に価値があったのである