家臣にとっての目標は知行を持つ、または知行高が増えることであるが、知行高を得ても軍事奉公、普請役奉公が課せられ、また知行地を離れ城下町に居住させられ(兵農分離)たため、武士は華美な消費生活に親しむようになり、従来の質素と自給倹約な風習が忘れられていった
家臣は奉公や消費武家生活を維持する費用を年貢などの搾取強化で捻出しようと規定外の税を知行地農民に課した
このため農民経営は生産するための必要経費(来年の種もみ、飯米、農具・肥料を買うための米、銀、など)までとられ支障をきたした。年貢未納の農民があると、知行主である武士は、その妻子を人質にとり屋敷の雑役に酷使した
そのため農業生産への活力、余裕を失われたところへ長雨・冷雨・日照などの天災が重なり凶作・飢饉・農村荒廃(亡村化)を招いた
寛永13~14、17~18の凶作
農村の生産を妨害し自らの税源を枯らし、武家生活の向上につながらなかったにもかかわらず、さらに悪質非道な農民搾取を生み出していった
加賀藩主前田利常は改作法という大改革に着手する