1604年前田利長が創始した「十村制度」は十村組の大組織化が進展する中で農村支配機構としてより充実したものになった
十村役人も藩の末端官僚たるにふさわしい見識と行政手腕を身につけた。小松城にある利常の(隠居したから金沢城でなく小松城か)御側に召し寄せられ、意見を具申したり直接仕事を命じられたり、帯刀を許可されるなどの光栄を受け、藩主に対して厚い忠誠心を持つことになった
その結果、彼らは、自分たちは「なみの百姓ではない」という自負心を持ち、以後、三か国農村支配の最前線に立ち粉骨砕身した
十村役人は職務増大と多様化に対処するため三階級に分けられた
1 無組扶持人十村
一郡に一人。組に入らず郡の十村たちの指揮監督や他郡の御用を勤めた
扶持人十村のうちから特に有能な者を抜擢
2 扶持人十村
組の裁許、郡内他組の仕事に関与することもある
3 平十村
もっぱら組裁許にあたる
各郡に一ヶ所ずつ十村相談所が設けられ、各郡内の十村たちの連絡・寄合いの機関として活用