るるの日記

なんでも書きます

日本風俗史 「稲荷信仰」と神の遣い狐

2022-09-18 08:42:54 | 日記
■稲荷信仰
秦氏の祖・伊呂具が、餅を的にしてこれを射たとき、餅が白鳥と化して、稲荷山の三ヶ峯に飛び移った
という奇端に基づいて
711年、創祀された京都伏見の稲荷大社を本社として、その後全国いたるところに祀られ、「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」という諺さえ生むような、わが国ではもっともポピュラーな神社への信仰

【祭神】
※宇迦之御魂佐田彦
※大宮能売
※田中大神
※四大神
総じて食物の神(農業神)
農家が祀る
商工業者も尊崇し繁昌の祈願をする
今日では、衣食住の大祖、産業守護の神と仰がれる

■神の遣いである【狐】は、仏教の荼枳尼天(だきにてん)と習合して、あたかも祭神自身と同一視されている
その狐の憑依(狐憑き)を通じて、種々の新しい神号が感得されるから、稲荷山一帯に、約1万数千の「お塚」があり、それらがそれぞれ、本社とは独立に、特定の信者を有している。お塚には供物として揚げが捧げられている。
祈願の際には朱塗りの鳥居が祀られる。



日本風俗史 「阿弥陀信仰」来世信仰の代名詞

2022-09-18 08:09:54 | 日記
■阿弥陀信仰
阿弥陀(無量寿)仏に帰依し、阿弥陀仏の住む西方極楽浄土への往生を願う信仰

「極楽浄土への往生」という概念は、大乗仏教の【他方浄土思想】発生下で起きた

浄土三部経を主要経典とする
※無量寿経
※阿弥陀経
※観無量寿経

★死者追善供養的
日本へは飛鳥時代に伝来
奈良時代末に流行
死者追善供養としての性格が強かった

★観想念仏【自己救済的】
10世紀末に天台宗の源信が「往生要集」を著したことから、観想念仏に立脚する、自己救済的浄土教としての色彩を深め、古代国家解体にともなう、末法思想流行のもと、貴族社会からさらに広く民間にも展開

★称名念仏による易化
平安末期の聖などによる布教者を中心に試みられた、称名念仏による易行化・専修化された

★他力
称名念仏は、鎌倉初期の法然・親鸞によって理論づけられ、他力的な浄土教諸宗派が形成された

★葬式仏教形成
中世期後期、荘園制崩壊し村が形成されるにつれ、仏教諸宗派は庶民の葬送行事の仏教化を通じて寺檀関係を固め、民衆の日常生活の場に深く浸透していく
阿弥陀仏の極楽浄土信仰は、民衆の間でもっとも普遍的な信仰となり、多くの民族的念仏行事も生まれた

阿弥陀信仰は、宗派的な枠を越えて、日本仏教における、来世信仰の代名詞ともいうべきものとなった

日本風俗史 「尼(比丘尼)」

2022-09-18 07:36:19 | 日記
■尼(比丘尼)
出家得度して具足戒を受けた女性
日本に仏教が伝来してから最初に出家したのは女性。
583年、善信尼らが出家して尼となった。
なぜなら、仏教が伝来する前から、女性はシャーマンとして祭祀にて活躍していたので、仏教が入ってきてからも、その延長線上において祭祀者が定められ、女性がまず出家して仏をまつった。

★初期仏教
女性の活躍が著しく、624年(推古天皇32年)には、尼の数は569人

★奈良時代
国分寺を造ったが、中国になかった尼寺を国分尼寺として造ったのは、わが国の独創で、尼が重んじられていたことがわかる

★平安時代
皇族・貴族が衰微することがあり、その子女で寺院に入る者があった

★中世
民間信仰の上で巫女の役割をはたす尼が現れた
※熊野比丘尼
熊野修験者が祈祷する際に憑坐(よりまし)の役をつとめた
その流れをくむ者に歌比丘尼があり、歌念仏を唱えて人々を勧請した

※伊勢比丘尼
伊勢の慶光院を中心とする勧請比丘尼は、全国を遊行して活躍した

★近世
※口寄せ
※地獄・極楽の絵描き
※口承文芸の伝播者
※遊女

★江戸時代
寺院制度が整い、内親王、女王、公家の娘が、多く尼になり、住持する寺を「御所」のつく名で呼び、所領を持たせる「比丘尼御所」制度ができた

日本風俗史 「伊勢信仰」ええじゃないか気分

2022-09-18 07:00:01 | 日記
■伊勢信仰
伊勢神宮に対する信仰
伊勢神宮は、本来国家至貴の神として、一般人の参詣は許されなかったが、律令制の衰退とともに神宮全般への政府の支配も弱まり、一般の社寺参詣の風潮がさかんになり、伊勢神宮も一般人の祈願の対象となった

神宮神官の間では、積極的に民衆の信仰に結び付こうとする運動が起こり、祈祷の符の頒布を始めた(御祓大麻)

■伊勢神宮の活動により、東国の武士たちで、国家観に根ざす信仰心を覚醒させられる者は多く、伊勢神宮神官の言葉「大日本国は、総じて皇太宮、豊受宮の御領なり」を信じて、伊勢神宮領として、寄進に応じる者があいつぎ、源頼朝にいたって本格化し、以後各地から伊勢神宮に参詣奉納の者があいついだ

伊勢の内宮(皇太神宮)、外宮(豊受大神宮)は、民衆にとっての父母として、人々の心のよりどころとなり、聖地として渇仰されはじめた

各地に伊勢講が組まれ、大神宮の分祀として、各地に神明社を勧請する風潮が興った

■異常現象
伊勢躍りが京都や畿内の各地に風靡して、民衆を興奮のるつぼの渦に巻き込んだ
1614年
1621年
1624年
1653年
1678年
1714年
と、100年の間に6回
1867年には「ええじゃないか」は、畿内を中心に、西に東にここかしこ大神宮のお札が降った、という異常現象が沸き起こり、民衆はこぞってうつつを抜かした

これらの現象は、民衆心意の複雑微妙な発現によるものだけに、単純には解き明かせないが、いづれも大神宮信仰に起点を置いていることに注目される