■熊野信仰
紀州の熊野三山(本宮・親宮・那智)に対する信仰管理者は山伏であったため、修験道的信仰であった。したがって祭祀は、仏教によることが多く、祭神の奉斎も、本地仏への法楽という形で行われた
★本地仏
本宮→阿弥陀如来
新宮→薬師如来
那智→千手観音
【本宮】の祭神は、熊野坐神(くまのにいますかみ)とも、家津御子神(けつみこのかみ)ともいわれながら、その神統ははっきりせず、中世以前は、もっぱら阿弥陀如来として信仰された。
その拝殿は証誠殿といって、死後の往生を証明する神といわれ、一方では現世の長寿と栄福を護る神とされた。
その旧社地は、熊野川、音無川、岩田川の三川合流の砂丘にあった。山岳信仰の熊野信仰としてはまことに異例である
【新宮】も熊野川河口に近い砂州に立地し、熊野速玉大神を主神とするが、これも那智のイザナミ神に対して、イザナギ神とする説がある
【那智】は主神を熊野夫須美神とするが、これをイザナミ神とする説がある
ここは現在は那智滝が信仰の中心になっているけれど、古くは那智山(妙法山)に信仰の中心があった。法華経信仰から修験道が出発したのである
【熊野三山勧進組織】
鎌倉時代末から、比丘尼を主体とするようになり、熊野比丘尼とよばれ、牛王配札とともに歌比丘尼から、売春比丘尼となった
★王子信仰
熊野詣の道筋にあった多数の祠への信仰で、のちに九十九王子として組織された
★入峯拝所信仰
熊野本宮を起点とし、大峰山の峯峯をつらぬいて、吉野にいたる七十五靡(なびき)という入峯拝所信仰