12月18日 95歳の母が永眠しました
危篤と言われ 生き延びて 3回目の危篤で帰らぬ人となりました
肺に水が溜まり 呼吸困難になり 最後の3日間は息苦しそうで可哀そうでした
酸素マスクを顔全体にはめて 見舞いに行った時だけ5分ほど外して頂き・・・
マスクを取った時に 何かを言いたそうに 口を一生懸命に動かしていましたが 何を言いたいのか判りません
しかし亡くなる日のお昼に 行ったとき みんなに良くしてくれて・・・
とはっきり言ったのです その後の言葉が出なかったので みんなに良くしてくれて有難うと言いたいんでしょう
と聞いたら 首を縦にふってうなずきました
久しぶりに声が出たので また夕方見舞いに行った時 また声が出るかなと期待したのですが 夕方の言葉は あ という言葉でした
有難うと言いたいんでしょうと聞いたら うなずいていました
しかしその日の夜帰らぬ人となりました
亡くなる前は元気が出ると言いますが お昼に行ったとき 頑張って声を出してくれました
手もしっかりと 両手で握りしめて・・・
95歳大往生かな・・・しかし寂しいです
毎年春と 秋には姉や主人も一緒に旅行をしました
沖縄から北海道 韓国と・・・
宮崎 青島海岸 主人がいつも車椅子を押してくれました 湘南海岸です
佐賀の吉野ケ里遺跡 熊本の阿蘇
北海道 道庁 韓国
沖縄 今年の春最後の旅行 長崎ハウステンボス
他に京都や長野の上高地 シ-ワ-ルド デズニ-シ-等々・・・
母のおかげで 色んな所に旅行が出来て 楽しい思い出になりました
もう母と旅行が出来ないとは・・・悲しいです( 一一)
母は3歳から踊りを習っていたそうです
がいえ
母の姉との共演です この写真何歳かな?
母はアメリカ生まれで 日本には7歳の時に帰ってきたそうです
なのでアメリカから持ってきた家具がありました
机のテーブルが開閉出来て テーブルを開けたらその中は 物が置ける棚が小さく分けて作ってあります
小さい時その机で良く遊んでいました
またしゃれた食器棚があっりました
前面大きなカーブのガラスです デザインがとても素敵で今でも脳裏に覚えています
有名な洋館建てに行くと 家具が置いてありますが あっこの家具我が家にもあったな~と懐かしいです
若い時
母は踊りと三味線が趣味でした
発表会もよく見に行きました
しかし私は全く興味がなく 運動ばかり・・・
母の着物が沢山あります
どうすればいいのやら・・・
一人になった姉がかなり落ち込んでいるので心配です
家を留守にしていたので 帰ってきたら 色々やることが多くて・・・
仕事もしばらくお休みして みなに迷惑かけたので 昨日 今日と2日間 朝から夕方まで合宿の手伝いに行って来ました
明日1日で今年も終わりですね
正月は息子家族が来ます
何かご馳走でもと思いますが ・・・ やる気なし・・・
こんな事情で今年は年賀状控えさせて頂きます
みなさま良いお年をお迎えください
また来年も宜しくお願い致します