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感情解放、ヒーリング、意識の目覚めをキーワードに日々の気づきを綴っていきます

意識の静寂と状態の移行

2017年01月01日 07時00分00秒 | 日記

明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。m(__)m みなさま、健やかな新年をお迎えになられていらっしゃるでしょうか。今年も、みなさまにとりまして、素晴らしい1年となりますように。


さて。年の変わり目って、いつもの毎日の続きでいつもと同じ夜が過ぎて朝が来るようでいて、でも不思議と区切りを意識して過ごすと、何だかやっぱり何かが新しくなったような気がします。

昨日は夕方、いつもの散歩コースを歩きながら、ふと「一つの人生の終わりと次の人生の始まりも、こんな風にごく自然に移行していくものなのかもしれない」という思いが浮かびました。

私たちの多くは実のところ、何十回、何百回も人生を経験しています。つまり、死んだり生まれたりという経験をそれだけしているわけですが、死と誕生の瞬間の記憶を忘れてしまうことが多いため、私たちは毎回新鮮な思いで、もう何度も繰り返しているこの体験を捉え、通過していくのです。

私自身は、感情解放のワークをしているときに、死の瞬間の記憶が出てきたことがあって、その人生では恐くはありませんでしたが、もう2度とこの人生の「昨日の続き」がやってくることは無いのだという、言いようのない感慨がこみあげてきたこと覚えています。

冷静に振り返ってみれば、私たちは毎瞬、死と再生を繰り返し、2度と戻ることのない今この瞬間を生きています。けれど、一つの人生から次の人生への移行ほどに劇的な変化を感じないので、今日やり残したことは明日に持ち越そうとか、去年できなかった課題はきっと今年やり遂げようなどと思いつつ、短期的な「昨日の続き」を生きているのです。

実は人生の移行も、より大きな目で見れば毎日の繰り返しと似たようなものです。今世できなかったことを来世に持ち越し、過去世でやり残したことが今世の課題となって提出される。全く変わりありませんね。

1日、1年、人生、この刹那に、私たちは何を持ち越しているでしょうか。

そして今この瞬間に深く根付いてプレゼンスに在ったとき、私たちはもはや何ごとかを未来に持ち越すことを止められるのでしょうか。

日々高まる地球のバイブレーションで、何となく意識が知らない内に多次元的になっている気もするのですが、私たちの居るこの空間のフィールドも、どんどん精妙になっているのを感じます。

そして、厚く覆われていた次元のヴェールの向こう側が、随分と透けて見えるような気がするのです。

私たちが深いレベルでプレゼンスにあるとき、無数に重なって存在している異なるレベルの世界が、確かに何か影響を受けています。

感情解放のワークでも、今この瞬間に感じるものを辿って行くと、別の人生に埋もれていた未完了のテーマなどが出てきますが、解放に伴ってその別の人生のストーリーは変化し、今世の現実も変化します。それと同じように、深いプレゼンスの中では、もっとダイナミックな何かが起こっているようです。

それは、私たちの人生に影響があるだけではなく、より広い範囲の世界で意味のあることです。これからの時代、こうした私たちのプレゼンスは、とても大切な柱となっていくでしょう。

よく、「今この瞬間に在る」というと、今この瞬間に居ようとしてしまうことがあります。私自身もそうなのですが、ドレナードは、「穏やかに今この瞬間に居ることを覚えている」と言っています。

最近、ようやくこの言葉の意味が少しわかってきたような気がします。(遅すぎるくらいですね。(^^;)

「居よう」とすると、どうしても湧き上がってくる感覚や感情、思考などが、完全な静寂という理想を邪魔する障害のように思えて、それをコントロールしよう、消そうとしてしまうのですね。けれど、そうするほどに理想からは遠ざかっていくというジレンマを味わいます。

静寂は、そういう意識のポジションでは実現できないのです。

様々な現象のさざ波が現れる、意識のスクリーンに注目せよ、とよく言われますが、ずっと忘れていたこのことをようやく思い出しました。スクリーンに気づいてさえいれば、そこに映る映像が嵐であれ春爛漫の美しい庭であれ、恐ろしい戦争の場面であれ、変わらず静寂にあることができるでしょう。

たとえば、深い瞑想状態に入ると、呼吸が自然に止まるか、それに近い状態になるのですが、私は不完全にこの状態になるので途中で息が苦しくなってしまうのですね。そのとき、呼吸をするとまた意識が浅い状態に戻ってしまうので面倒だなと思っていました。

けれど、意識のスクリーンを思い出したとき、そうした現象のいちいちに抵抗しないでただ捉えている意識があることを思い出したのです。それに気づいたとき、私はまた「居着いていた」のだな、と分かりました。

今年は、この辺りを意識しながら、さらにプレゼンスを深めていきたいと思います。

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