何事も、当事者意識って大事ですが、
内観、ワークにおいても
それはすごく鍵になってくる
在り様だと思います。
これは自分が引き受けるべき
責任なのだと思えないと、
それはあなたのせいでしょ?
あなたがやってくれないと。
となり、
自分が責任転嫁をしていることなど
露とも思わず、それが当然で、
自分はやるべきことをやっている
という意識になります。
けれど、エネルギー的に見ると、
その状態だと意識の方向性は
外向きになり、
誰かや何かへの要求と、
それがなかなか満たされない
ことからくる不満で一杯の状態
になりがちです。
内観、ワークにおいても
それはすごく鍵になってくる
在り様だと思います。
これは自分が引き受けるべき
責任なのだと思えないと、
それはあなたのせいでしょ?
あなたがやってくれないと。
となり、
自分が責任転嫁をしていることなど
露とも思わず、それが当然で、
自分はやるべきことをやっている
という意識になります。
けれど、エネルギー的に見ると、
その状態だと意識の方向性は
外向きになり、
誰かや何かへの要求と、
それがなかなか満たされない
ことからくる不満で一杯の状態
になりがちです。
これだと、自分自身を顧みることは
疎かになっているので、必然的に、
ほぼ自分がお留守状態になり
自分軸は取れなくなります。
ワークをするときは、
まず自分が何に責任を取らなければ
いけないのか、
何に責任を取ろうとしては
いけないのか、というところの
識別、整理をしていきます。
私たちは、しばしば
本当に引き受けるべきものを放り出し、
手を出してはいけないものに
手を突っ込んで、自分を混乱
させています。
まずここを明確に切り分けることで、
この混乱はかなり収まってきて、
自分にもどってくることが
できます。
他者と絡み合うことなく、
境界線もすっきりして
良い意味で、自分は自分、と
不健全な依存関係も解消できる
ようになってくるんですね。
そうして、他者に寄りかからず、
自分で自分を支える在り方に
移行していけるわけです。
依存関係に陥ってしまうのは、
自分が何に責任を持てば良いのか、
どうやって責任を取れるのか、
ということがわかっていないことと、
他者から不健全に自分の境界線を
侵されていること、その不快感を
何らかの理由で抑圧されていること
が根本にあるように思います。
そうして、その混乱の中で
自分の生きる力を失っているので、
それをどうにかして補填するために
他者のエネルギーを求めるという
悪循環が生まれているのでしょう。
だとしたら、
これらを一つ一つ解消していくことで、
自身の生きる力を取り戻していく
こともできるわけです。
自分の力で立てないと、
常に他者の動向に自分が左右される
不自由さが付きまといますし、
自分には力が無い、できない
という意識から、自分に誇りが持てず、
どこか心が卑屈になる傾向があります。
健全な自尊心は、
自分自身の生きる力が
基盤となるのは必然です。
自由で輝く精神は、
自分自身に対する責任を
しかと果たすところから
立ち上がってきます。
無意識にせよ意図的にせよ、
そこから逃げているのは
逃亡者であり、
自覚なくしているとしても、
そこには独特の歪んだ
バイブレーションがあります。
逃亡者に、自分の人生への誇りが
持てるでしょうか。
自由と責任は表裏の関係であり、
責任のない自由はただの逃避で、
そこには自分の人生を生きている
力強さも輝きもありません。
依存癖や逃避癖が強いと、
責任を引き受けるということに
相当なプレッシャーを感じ、
無力感に打ちのめされる方は
多いのですが、
一つ一つの具体的な手順を踏んでいけば、
決して難しいことはないし、
自分の手に負えない不可能なこと
ではないのです。
やろうと心が決まれば、
ちゃんと自分の力でできてしまう
ことなんですね。
ただ、無力な自分に安住している内は、
それはとてつもなく難しいこと
になるでしょう。
誰しも、自身の内には
ちゃんと自分の人生を生きていく
力があります。
ただ、それを信じて汲み上げようと
するかどうか、なのだと思います。
こんな自分、信じられない
と思う方は結構いらっしゃるようですが、
自分を粗末に扱っているから、
「こんな自分」になるのです。
もっと自分を大切に扱ってあげましょうね。
自分が自身に尊厳を認めてあげなくて
どうするのでしょう。
今、この瞬間にできることから、
一歩ずつ、歩みを進めていきましょう。
疎かになっているので、必然的に、
ほぼ自分がお留守状態になり
自分軸は取れなくなります。
ワークをするときは、
まず自分が何に責任を取らなければ
いけないのか、
何に責任を取ろうとしては
いけないのか、というところの
識別、整理をしていきます。
私たちは、しばしば
本当に引き受けるべきものを放り出し、
手を出してはいけないものに
手を突っ込んで、自分を混乱
させています。
まずここを明確に切り分けることで、
この混乱はかなり収まってきて、
自分にもどってくることが
できます。
他者と絡み合うことなく、
境界線もすっきりして
良い意味で、自分は自分、と
不健全な依存関係も解消できる
ようになってくるんですね。
そうして、他者に寄りかからず、
自分で自分を支える在り方に
移行していけるわけです。
依存関係に陥ってしまうのは、
自分が何に責任を持てば良いのか、
どうやって責任を取れるのか、
ということがわかっていないことと、
他者から不健全に自分の境界線を
侵されていること、その不快感を
何らかの理由で抑圧されていること
が根本にあるように思います。
そうして、その混乱の中で
自分の生きる力を失っているので、
それをどうにかして補填するために
他者のエネルギーを求めるという
悪循環が生まれているのでしょう。
だとしたら、
これらを一つ一つ解消していくことで、
自身の生きる力を取り戻していく
こともできるわけです。
自分の力で立てないと、
常に他者の動向に自分が左右される
不自由さが付きまといますし、
自分には力が無い、できない
という意識から、自分に誇りが持てず、
どこか心が卑屈になる傾向があります。
健全な自尊心は、
自分自身の生きる力が
基盤となるのは必然です。
自由で輝く精神は、
自分自身に対する責任を
しかと果たすところから
立ち上がってきます。
無意識にせよ意図的にせよ、
そこから逃げているのは
逃亡者であり、
自覚なくしているとしても、
そこには独特の歪んだ
バイブレーションがあります。
逃亡者に、自分の人生への誇りが
持てるでしょうか。
自由と責任は表裏の関係であり、
責任のない自由はただの逃避で、
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力強さも輝きもありません。
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【お知らせ】*********
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2023年
11月27日(月) 19:00~22:00
12月27日(水) 19:00~22:00
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