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感情解放、ヒーリング、意識の目覚めをキーワードに日々の気づきを綴っていきます

二元性のドラマの中に示されたカギを拾う

2017年01月10日 10時35分21秒 | 日記

何かものごとが停滞したり、トラブルがあって引き戻されるような出来事があったりすると、とかく私たちは思うように進めないことに苛立ちを感じたり、焦ったりするものです。けれど注意深く見ていくと、そんな状況の中にも、実は先に進まないことでメリットを得ている自分を発見したりします。見方を変えると、自身が先に進みたくないが故に、ものごとを停滞させているわけです。


私たちは自身の現実の創造者です。このことを絶対の真実として受け入れるなら、表層意識で好ましくないと思っているようなその状況も、自ら作り出していることになります。

このことを踏まえて現実を捉えたとき、ただやみくもに現実と格闘するだけでは決してやってくることのない、深い気付きと素晴らしいギフトがもたらされます。

たとえば、仕事がうまく行かないことで焦り、とても悩んでいる人がいたとします。本人はどうにかしてうまく行くようにと様々な手を尽くして努力しますが、なかなかうまく回っていかず、状況はますます深刻さを増していきます。

感情解放ワークの世界観を元にこの状況を読み解くなら、その人には、一見不都合なその状況の中で得ているメリットがあるのだと見て、それを探っていきます。

それを知るために、「もし仕事がうまく行ったとしたら、私はどうなるだろう?」と問うてみます。

頭でパッと思い浮かぶのは、恐らく「良かった、安心できる。これで生活も安定して、取り敢えず先行きの見通しも立つだろう。そして、今抱えている焦りや不安も解消してホッとする」というようなことだろうと思います。

本人はまさにそのために駆けずり回り、日々悩んでいるわけですから、それもそうだと思います。けれど、ワークで探り当てようとしているのは、そういう頭で思い描いたストーリーではなく、その人が心の奥で感じているけれど、普段は頭が思い描いたストーリーによってかき消されている「本音」なのです。

それは、考えることによって知るのではなく、じっと身体と心を感じながら、読み取っていくものです。

そのようにして普段「自分の都合」によって押し殺されている声が聞けたなら、多分こんな感じでしょうか。

「仕事がうまく行ってしまったら、とても忙しくなってしまう。そうなったらまた死にそうなほど体が辛くなってしまうかもしれない。それは嫌だ」あるいは、「仕事がうまく行き出すと私は必ず誰かに騙されたり大きな失敗をしたりして、結局深い失望を味わうことになるだろう」「この仕事がうまく行ったら、さらにもっと勉強しなければいけないことが出てくる。それはもう一杯一杯だ」などなど。

人によって出てくる声は様々だと思いますが、大抵は過去の味わった痛みの記憶がこの抵抗の声に深く影響を及ぼしています。

人間関係で辛い目に遭った人は、二度とそんな目に遭いたくないので仕事に就くこと自体を避けるようになるかもしれませんし、成功の直前で失敗した人は、そもそも何かを始めること自体を避けようとするかもしれません。

確かにそうすれば、一時的には避けたいものを避けることは可能です。けれど、そうした行動パターンのために自らの世界を大きく狭めなければならず、結局は別の苦しみを背負うことになるのです。

何度もこうしたことを繰り返していると、やがてそういう自分に対して嫌気がさし、人生を諦めるというような無気力な状態に陥ってしまうでしょう。

この繰り返しから脱するには、自分が何を避けているのか、恐れているのは何なのかを明らかにし、それに対峙して原因となった出来事の中で未だわだかまっている感情のエネルギーを解き放つことです。

解き放てた分だけ、その人は今まで気が重くて無意識に避けてきたことが、抵抗なくできるようになるでしょう。

そして、外部要因によって自分は不本意にもこうした状況に閉じ込められているのだと見えたその状況の必要性は消え、もはや自分を閉じ込めておく必要はなくなります。そのとき、状況は自ずから流れていくのです。

あなたが創造者のポジションに居るとき、あなたは被害者ではありえません。万能の創造者たるあなたが、自らを被害者にするメリットとは何でしょうか。

被害者である痛みを解き放ちたいのなら、そのメリットを手放して、被害者と加害者を作り出すことを止める必要があります。そのメリットを手放したとき、あなたはどんな風に変化していくでしょうか。

そして、あなたはその変化を通過していくことに同意するでしょうか。

この変容のプロセスにおいて、あなたは意識を常に「今ここ」に置いて、それを体験することを要求されます。そうでなければ、変容はそこでストップしてしまうからです。

一度にそれは起こるかもしれないし、段階的に起こるかもしれません。けれど、いずれにせよこのプロセスは一度始まったら後戻りはできません。

被害者加害者といった二元性の中での戦いを続けるのではなく、これらのドラマの中に示されている気づきというカギを拾うことが、不毛な戦いを収束させ、求めていた平安に導くでしょう。

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