しろいはね くろいはね

感情解放、ヒーリング、意識の目覚めをキーワードに日々の気づきを綴っていきます

「優越感」という地雷

2017年01月11日 07時00分00秒 | 日記

ここしばらく体調不良で寝込んでいたのですが、この間、不思議と何年も忘れていた出来事の記憶がふっと浮かんできたり、気付きを促す出来事が起こったりと、体は動かないのに意識は色々と変化がありました。

 

身体の中には、わだかまった未完了の感情のエネルギーがストーリーとともに様々なところに蓄積されていますが、どうしても消化できないものは、時折、風邪を引いたり怪我をしたりという自浄作用でバランスを取ろうとします。

そのためか、今回の体調不良の間、もう何年も思い出すことすらなかった高校時代の友人との記憶や、前の職場での人間関係などがいくつも浮かんできました。

だからと言ってワークする気力もなかったので、「あぁ、そんなこともあったな」とただ流れていくままにしていたのですが、過ぎて行ってみれば、どこがどうということもはっきりとは言えないものの、何かが違っている感じがしています。

そんな中、昨日は母との間の出来事からちょっとした気づきがありました。

実は同じような出来事はこれまでにも繰り返しあったのですが、私の中で何かが変化したので、それがやっと気づきに至ったようなのです。

母は、よく私の話の趣旨を理解しないままに自分の思い込みで返事をして、途中で話がかみ合わなくなることがあります。私が途中からおかしいと気づいてズレを修正すると、母はいつも「あんたはいつもそうやって理屈で人に不愉快な思いをさせる」と思うようです。

私にしてみれば、トンチンカンな話のやり取りをしている方が余程問題だと思いますし、母はいつも自分の非を決して認めることは無く、自分を不快にさせた相手のやり方を問題視するように見えてしまうのです。

この出来事が起こった時に、私は「あぁまたか」と思ったのですが、この時はいつもよりももう少し心を落ち着けて、母の視点に入ってこの出来事を考察することができていました。

母の視点からこれを振り返ってみると、母は最初は私が言うことに「そんなことは前から分かっているし、前から言っているじゃないの。今やっとわかったの?まったくあんたは遅いんだから」という気持ちで聞いています。

けれど、私に「そういうことを言っているんじゃなくて…」と指摘された瞬間、まるではしごを外されたように混乱した感覚が起こって、私の言うことをしばらく理解できていないようなのです。

そう言えば、確かにいつも指摘された後の母の反応は、どこか鈍いというか腑に落ちていない様子であったことに思い至りました。

そうした状態であるところに、私はいつも腹立ちまぎれに嫌味の一つや二つはくっつけて言っています。すると、混乱した状態でもそのことに母は反応して、「まったくあんたっていう子はいつもそうやって人を不快にさせることを言う」というところだけ強烈に残ってしまうようでした。

母はとても劣等感の強い人です。一方でその裏返しからくるプライドも相当に高く、私は昔から母のこうした要素からくる話し方が大嫌いでした。

本人はこれらの要素を否定するでしょうが、母が私の言うことを決めつけてくることの奥には、どこか「目下のものに恥をかかせられた」というところがあるような気がしました。

(念を押しておきますが、これらはみな私の側の現実であり、母自身の真実であるというわけではありません。あくまで「鏡」を覗き込んでいるだけなので、その辺りは読者のみなさまもご理解の上読み進んでいただけますと幸いです)

とにかく、この地雷を踏むと、もう何を言ってもその言葉は決して受け入れられることはなく、正論もきかず、誤解だとなだめすかしてもおさまることはありません。

取り付く島もないので、私としては「母とはそういう存在なのだ」と、手を離して傍観するしかなかったのです。

そもそも、なぜ母は人の話をすり替えずに純粋に聞くことができないのだろうかと、母の視点に入って確かめてみると、相手が何か自分が「知っている」ことについて話し始めると、たとえその内容が自分の思っているものと違っていても、母は「私は既にそれを知っている!」というマインドの中に入ってしまい、話の詳細などは耳に入っていないのです。

なるほど、人間の意識というのはこのようにして今この瞬間からマインドへと移行するのか、というのを始めて自分以外の意識で見た興味深い体験でした。

ぐっとマインドの中に引きずり込む強い力は、優越感とも言える興奮状態、喜びに近い感覚に感じられましたが、ネガティブな感覚からの逃避ではなくても、人はポジティブな感覚によっても、マインドの中に吸い込まれて行くのですね。

優越感という一見ポジティブな感覚は、当然のことながら劣等感というネガティブな感覚と表裏の関係にあります。これ故に、優越感という興奮状態は、一瞬のうちに劣等感という気持の落ち込みに移行することがしばしばあります。

母は、優越感の直後に起こった混乱の中で、恐らく劣等感が浮上することに無意識に抵抗したのかもしれません。それが錨の反応であり、相手を蔑むという反応だったのでしょう。

優越感も劣等感も、その根底にあるのは無価値感です。ここでも再びこのキーワードが出てきましたね。

しばらく、このテーマを注視してみたいと思います。

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