しろいはね くろいはね

感情解放、ヒーリング、意識の目覚めをキーワードに日々の気づきを綴っていきます

拡大した意識の領域で

2017年01月12日 07時00分00秒 | 日記

ここしばらく続いていた体調不良もようやく回復して、今日の瞑想会には間に合いました。ご心配くださったみなさま、ありがとうございました。昨日も少し書いたのですが、この間に何だか意識が少し変化していて、今まで感じ取れなかった領域が感じ取れるようになったりしています。瞑想会に合わせたバージョンアップ?もあったのかな・・・?

 

さて。先週の無料遠隔ヒーリングは、主体と対象と現象を一つに捉える意識のポジションをテーマとしていました。意識の使い方に慣れていない方には、少し難しかったのではないかと勝手に思っていましたが、いただいたご感想を拝見すると、その意に反して、結構な割合の方が何かしらを感じていらしたので、これは嬉しい発見でした。

感じられた方も、感じられなかった方も、どちらがいいとか悪いとかではないので、ただ今のご自身のポジションを確認したのだと思って、引き続き「意識の使い方」に注目して行ってください。

私自身、このテーマに沿った考察をしていたところ、ふとある気づきがやってきました。

このときは、両掌を合わせて「触れるもの」と「触れられるもの」「触れること」を同時に意識することで、意識の変化を感じていたのですが、合掌の本来の意味はこれであったのか、と分かったのです。

つまり、今回の遠隔ヒーリングのテーマにしていた、あの意識の爆発的な広がり、広大無辺の宇宙を、この合掌という動作、ある種のムドラー(手印)が表していたのだと気づいたのでした。

なんと、今さらな感じではありますが、こんなに身近でシンプルな動作の中に、このような宇宙の奥深い真理が隠されていたなんて、本当に驚きでした。

これは別に掌同士でやらなくても、たとえば掌をテーブルに置くという動作でも同じことです。ただ、この時私たちは通常、「触れる」側の意識でそれを体験します。ですので、「私」の意識が感じるのは、掌がテーブルに触れた感覚です。

が、今回のように「触れるもの」と「触れられるもの」「触れること」を同時に意識する場合、まず「私」という主体のポジションが変わります。

つまり、「掌を含めた人間の身体を持つ私」と「テーブル」双方を「私」と認識するポジションになるわけです。この状態で初めて、「触れるもの」と「触れられるもの」「触れること」を同時に意識することができるようになります。

この意識で掌をテーブルに置くという動作をした場合、「私」は、「掌がテーブルに触れる感覚」と同時に「テーブルが掌に触れられる感覚」を同時に体験します。

同時にこれを行うのが難しければ、まず「掌がテーブルに触れる感覚」を捉えてから、「テーブルが掌に触れられる感覚」を感じてみても、意識はそこに通常ではない何かを捉えるだろうと思います。

まるで掌とテーブルの境目がなくなったような、不思議な感覚を捉える方もあるかもしれませんし、表現のしようのない、微妙な、あるいは衝撃的な意識の変化を感じる方もあるかもしれません。

どんな体験であれ、何が正解で何が間違いだということはありません。ただ、ご自身に起こったことを尊重なさってください。

こんなことを繰り返し続けていくと、だんだんとこれまで私たちがこれが「自分」だと認識していた枠組みが弛んでいきます。それは本来、明確で強固なものではないのですが、私たちは催眠術にかかったようにそれを絶対のものと認識してきた幻想です。

これが弛んでくると、ものごとに対する感じ方が大きく変わります。頭で捉え方を変えることで一生懸命変えるのではなく、自然に変わってしまうのです。それは多分、私たちをとても楽にするでしょう。

この意識を踏まえた上で、今週の無料遠隔ヒーリングのテーマについて取り組んでみると、それまで何度も同じようなことを意識されてきた方でも、全く違った何かを感じる領域が開けてくるような気がします。

もちろん、みなさんそれぞれの歩みのペースがありますから、進め方は自由です。ただ、一つのヒントとして参考にしていただければと思います。

私自身、この意識を踏まえた上で、人生に起こるものごとの流れに意識を向けたところ、これまでよりもずっとはっきりと、「流れの意識」というものを感じることができるようになりました。

私たちはとかく、自分の都合でものごとが進まないと焦り、苛立ち、不安になってさらにゴリ押しをしようとするものですが、ものごとにはものごとの都合があり、流れのペースがあります。このペースに私たちの意識が一致しない時、私たちはとても苦しむのです。

私たちが、自身の都合でからではなく、流れのペースを尊重するとき、ものごとは最大限の効率とスムーズさをもって人生を展開させていきます。私たちはもっと、自分の都合ばかりを押し付けるのではなく、この優雅な流れの中で楽しみながらダンスする術を学ぶことが必要なのかもしれません。

今しばらく、拡大したこの意識の領域で流れを深く感じることを意識してみます。

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