しろいはね くろいはね

感情解放、ヒーリング、意識の目覚めをキーワードに日々の気づきを綴っていきます

収束への手さばき

2010年02月17日 09時25分49秒 | スピリチュアル
近頃、全く違う分野の本を読んでも不思議と同じテーマが繰り返し現れてきて、何かのメッセージを受け取る時期に来たのかなと感じています。

あるテーマで選んだ本が、読んでみたら意図した内容でなくてちょっと違ったけどまぁいいか、と読み終え、その次に読んだ本はこれとはまた違う分野のもので、その何冊か後に読んだ本が最初に読んだ本から間の数冊をつなぐような内容のものでした。自分でも「何だ!?このつながり方は!」と気味が悪くなるくらいです。

歴史の中で長い間、封印されてきた叡智が今ではごく普通に本屋さんで手に入ります。たくさんの成功本は、こうした古い時代の叡智を無意識、あるいは意識的に使ったものがほとんどです。純粋に、そういった法則を明かした本もきれいな装丁で書架に並んでいます。

一見何でもないような光景ですが、本当にこれらの叡智はそれらに携わっているのが分かっただけで、命の危険があるくらいのものでした。だから、ずっとごく一部の存在に深く深く隠されてきたのです。それが街の本屋さんで普通に見られるって、すごいことです。

もちろん、表に現れているのはごく一部でしょう。けれど一部を知るだけでも、大変大きな変化がもたらされます。理解される準備の整ったところへ叡智は自ら流れる。それは、書架に並んでいるだけでは手に入れることができません。手にとって初めて触れることができるものです。そういう意味では、埋もれた叡智を掘り起こす最後の意思は、やはり本人にあるのです。

なんでもないような顔で目の前に並んでいる。そのごく普通にみえるものが、すごいことだと気付ける感性も必要でしょう。

ヒプノセラピーのセッションで私が見たある前世からは、「目を使え、目を鍛えろ」というメッセージをもらっていました。意図したテーマから大幅に外れた前世だったのでどうしてそのときこれを見たのか、なんとも腑に落ちなかったのですが、ここまできてその理由が何となくわかってきました。

「目を鍛える」は、私にとって「感性を磨く」ことであると同時に、「理解しようと心を開く」ことでもあります。それがすなわち、「準備」の意味です。準備のできたところに叡智は自ら流れる。だからそれは私のところに流れてきました。

一連の流れを読み解くとき、ものごとに意味のないことなどないのだと、収束への鮮やかな手さばきにただ感嘆するばかりです。

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