徒歩日本二周目(≧∇≦)只今関東地方!

昨日は今日の物語 今日の後に今日は無し…

会津の長州嫌い(参)…

2013年07月04日 | 日記
北海道の手厚き東北支援のその根源には
己のルーツの危機窮地を
どうにか救済しようとする無意識心理が
あるような気がする…

実際に大樹町から車で駆けつけた殿様や
各地東北諸県人会の
並々ならぬ救援活動には
重ね重ね感動真彦させられたものです…

安酒を呑みながら書いてたら
うっかりと酔いが回ってきたようなので
全然途中ではありますが今日はこの辺で…

会津の長州嫌い(弐)…

2013年07月04日 | 日記
会津藩は
寺の過去帳その他諸々をも処分破棄され
そのルーツを辿る事は不可能
あらゆる痕跡は新政府により抹消され
藩士達は再び故郷に戻れる事は無く
更に明治の歴史教育では
会津は賊軍であるとの教育が続けられた…

戊辰戦争はもとより
それ以降の長きにわたった差別の時代が
耐え難き苦しみを生み続けたのだろう…
郷土の尊厳を守るために
腹を切った者も多かったと聞いている…

それだけに会津の長州嫌いは今も直らず
二本松出身の僕の祖父の家にも
飯盛山で自害する
少年兵白虎隊の額が綺麗に飾られていた…

会津の長州嫌い(壱)…

2013年07月04日 | 日記
その人の血筋は旧会津藩の家系というが
北海道に来てからというもの
そんな人に会う事は珍しくはなく
中には僕の故郷に源流を持つ人もいた…

古い話戊辰戦争に敗れた奥州越列諸藩は
その後島流しのように知行地を追われ
それだけに初期の北海道屯田兵は
東北武士とその家族で構成されている…

僕が知り合った方々様のそのほとんどは
その末裔にあたられる人々のようだ…

旅のアイヌ語(拾六)

2013年07月04日 | 日記
さて今回の旅のアイヌ語は
人数勘定のプラクティス
それではさっそく参ります…

1人だったら「シネン」
2人は「トン」
3人であるなら「レン」
4人の時は「イネン」
5人の場合は「アシク」
6人ならば「イワン」
7人が「アルワン」
8人とかなら「トペシ」
9人なら「シネペシ」
10人で御座れば「ワン」

どうですか?
完璧に覚えたでしょうかな
それでは次回をお楽しみに…

「落陽」

2013年07月04日 | 日記
しぼったばかりの夕日の花が
水平線からもれている
苫小牧発仙台行きフェリー
あのじいさんときたら
わざわざ見送ってくれたよ~
おまけにテープをひろってね
女の子みたいにさ~

土産に貰った~賽コロふたつ
手の中で振ばまた振り出しに
戻るたびに日が沈んでゆく~
  「落陽」吉田拓郎

この町から出る仙台行きの船
それを見送る老人の
博打好きな生き様の賽の目を
この曲は歌っている…

そんな北海道の
玄関口である事が理由なのか
街の人々の垣根が低く
年寄りとすれ違うたびに必ず
無駄な程に声をかけられた…

そのたびにこの人達も
賽コロ持ってるんじゃないか
見送られんじゃないかと
僕もいちいち
リアリティに疑ってはみる…

人生とは
博打のようなものですよね…