今年も残すところ二ヶ月を切ってしまいました。
しかしまだ山形家の墓参りには行ってません。
毎年の山形家の墓参りには父の車で行ってたんですが、今年からはバスと自分たちの足で行こうと決めて予定を立てていました。
それが一月二月とずれて今日になってしまいました。
そして墓参りに向かったのですが、途中で寒さに不安を感じ、いろいろと準備不足に気づきまして、結局今年の墓参りは中止になってしまいました。
帰りに実家に寄る予定が、墓参りの中止により急きょ実家に直行。
久しぶりに2時間ぐらい話しをして帰りました。
父は相変わらず忙しい人で、カレンダーにはいろいろと予定が入ってました。
80歳を越えたら、あちこちガタもきますから、病院通いも多くなる。
庭仕事やパークゴルフと、最近は体の調子のよくない母の家事の手伝いもやってるそうです。
2年前には町内会長をやってましたし、その当時の苦労話も聞きました。
町内会長は僕の感じた印象では親分で、町内会の子分が他の町内会の人にいちゃもんをつけられたら出掛けていって話しをつけて来るというようなこともするんですね。
それは町内会長の仕事の一部分なんでしょうけど。
父の若い頃は組合運動も盛んだったし、学校の先生だけどストライキもやってましたからね。
みんなタバコは吸うし、酒は飲むしね。
今もそうですが月に何度か集まりがあって、飲んだりパークゴルフの練習もやってますよ。
そういう時代の人ですよ。
でも、ストライキなんかやってたら校長先生になんてなれないはずでしょ。
うち父は校長先生になったんですよ。
不思議でね。
でもその謎が今日分かりました。
昭和63年、昭和天皇が崩御した後、恩赦があったそうなんです。
そうです、父が校長にまでなれたのは恩赦があったからです。
天皇陛下のおかげなんです。