感動したこと

2020-01-26 00:25:57 | 日記
さっきsongusで薬師丸ひろ子さんの歌を聴いてましたが、綺麗な歌声ですねえ。

言わなくても分かってることなんですが、改めて思いました。

歌声を聴いているだけで涙が込み上げてきます。


来週のsongusは、なんと鬼束ちひろさんです。

最近僕の中でブームが来ているので、この偶然がなんとも嬉しい。

近々、デビュー20周年のオールタイムベストアルバムも出るそうなので、買っておこうかと思っております。

薬師丸さんも鬼束さんも映画と縁のある方ですが、僕もアニメ映画制作に参加してまして、やっぱり作ってる時が一番楽しかったですね。

映画制作の端っこをかじってるだけなんですが、美味しそうなところをかじらせてくれるわけですよ。

憧れの人と机を並べて仕事したり、有名な女優さんとお会いしたりね。

映画の内容そっちのけですね。

だいたい映画というものを、そんなに観てないですから。

こういうのをミーハーというんですかね。

でも、アニメしか知らない僕に、映画制作の端っこをかじらせてくれたり、面白い映画を教えてくれた方には感謝してますよ。

今日もその少ない映画体験から、いくつか書きたいことがあったんですが、薬師丸ひろ子さんの奇跡のような歌声ですっかり吹き飛んでしまいました。

またの機会に書きたいと思っています。

ちなみに薬師丸ひろ子さんの映画で印象に残ってるのは、「wの悲劇」かな。

薬師丸さんが女優の役でね。

女優のゾクゾクするような魅力を教えてくれた映画でした。
























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酔いたい年頃

2020-01-24 23:53:34 | 日記
今日も仕事のノルマをこなして、あっという間にこの時間になりました。

休日の予定は家人と確認済み。

さて、残った時間をどう過ごそうか。

来週の仕事のための、下ごしらえをしておこうか。

読みかけの本を読もうか。

やりかけのまま止まっている事をかたずけてしまおうか。

考えていると、ふと声が聞こえたような気がました。


「それを作れば過労になる」


それを聞いて、「フィールドオブドリームス」という映画を思い出しました。

「それを作れば彼はくる」という神の声を聴いた主人公が、所有のとうもろこし畑を刈って野球場を作ると、そこに夢半ばで去っていった野球選手が帰ってくるという話。

その選手に混じって、今は亡き主人公の父親が、野球選手を夢見た若い頃の姿のままいるんですよね。

最後は若い頃の父親と主人公が、キャッチボールしているところで終わるんだけど。

これが当時は泣けて泣けてたまらない。

ところがこの映画を観ても泣けないという奴がいまして、そいつが言うには、主人公が身勝手でゆるせん!ということなんです。

僕は「フィールドオブドリームス」を観たら世界中の人が泣くと思ってましたから、泣けない奴がいることに驚きました。

しかし同時にちょっと醒めました。

だいたい泣けて泣けてたまらなかった僕は、いったい何に対して泣いていたのかよくわからない。

僕の父とのキャッチボールの思い出は、父の投げたボールを顔面に食らってそこで終わってるしね。

だから泣けてくるのかなあ。

同じように泣けてる奴がいて、サウンドトラックをカセットテープに録音してくれたりしましたよ。

まあ、不思議な映画と片付けてもいいのですが。

映画に酔いたい年頃だったのかしらねえ~。

それからちょっと恥ずかしくて、もう一度観ようと思わなくなっちゃった。






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崖っぷち信仰

2020-01-24 00:16:18 | 日記
何時からだろうか。

自分が崖っぷちに立っている絵が、頭に浮かぶようになった。

想像の中で、チラッと崖の下を見ることがあるけれど、恐いからあまり見ないようにしている。

この現実ではない恐怖は、現実におこりうる恐怖から自分を守るために役立つ。

いかにも気の小さな男が思い着きそうな方法だ。

崖っぷちに立つ恐さに比べれば、大抵のことは恐くない。

それに慣れてしまえば、危機的な状況にも鈍感でいられる。

なにしろ自分は、いつも崖っぷちなのだから。

それはある種の信仰みたいなものかもしれない。

崖っぷち信仰とでもいうのだろうか。

繰り返しイメージするうちに、ありもしない恐怖の方が見の前の恐怖よりも自分にとってはリアルに思えてしまうぐらいに、感覚が麻痺してしまったのではないだろうか。

「ぼくはいつも崖っぷちなんだから、あなたの恐怖なんてたいしたことないよ」

と、ぼくはまだ誰にも言ったことはないと思うけど、もしかするとそういう態度で生きているのではないだろうか。


それって、ただの妄想じゃないか?。














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もうすぐ雪祭り

2020-01-23 00:01:12 | 日記
寒がりと暑がりが一緒に暮らすのはどんなものかね。

沖縄と北海道が並んでるようなものかね。

遠いような近いような関係かしら。

人間関係は、少しぐらい寂しい方がいいなんて思う事もあるけれど。

近すぎて失敗したことの反省があるからかもしれない。


遠くに見える打ち上げ花火もいいけれど、近くでみる打ち上げ花火の生の迫力はすごいものだ。

でもなかなか見に行けないから、ほとんどテレビの映像で楽しむしかない。

一人でみるよりは、二人で何か食べながらみたい。



さて、こちらはもうすぐ雪祭りだ。

観光客も多いし、コロナウイルスのことがあるから、今年は行くのはやめようかな。

いつも雪祭りには、思い出や幻想を抱いている。

大きな白い雪像が見れた時は来てよかったと思うし、溶けて汚い雪像や、雪像の裏側を見てしまった時は、見てはいけないものを見てしまった思いになる。

親に連れられて見た最初の風景は、雪祭りがおわった直後の、雪像が壊されている様子だった。

その頃までは、まだ人混みに連れて行けるほどの歳になっていなかったのだろう。

小学校に入ってからは、毎年雪像の絵を描くために見に行ってました。

「ぶんぶく茶釜」「桃太郎」など、昔ばなしを題材にした雪像が好きでした。

人の波に流されて行くのも、押しくらまんじゅうをやってるみたいで楽しかったのかもしれない。


みんなでワイワイやりながら甘酒を飲むのも、ええんでないかい。


















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先生の言葉

2020-01-21 23:54:10 | 日記
youtubeで時々、科学を専門とする先生の話を聴きます。

きっかけは地球温暖化に関して疑問があったことです。

しかし、先生の言葉で一番印象に残っているのは、地球温暖化の事ではなく、依存症に関する事でした。

前後の話は忘れましたが、「依存症の人から、依存しているものを取り上げるのはかわいそうなこと」というような事を言っていたと思います。

僕は他人の依存症にはとにかく厳しいところがあったので、先生の言葉にはハッとさせられました。

先生は優しい人なのだろう。

僕ももう少し依存症の人には寛容でいよう。

しかし、依存症であるにもかかわらず、それを認められない人にはどう接したらいいものだろうか。

認めないということは、直す気もないということだ。


アメリカ依存。

9条依存。

お前の家はそこじゃない。


そんな言葉が、ふと浮かびました。

家といっても国家というのを、蔑ろにしてしまったために依存症になってしまったのかもしれないと考えました。

僕の反省も含めて。

これを薬物依存と並べて考えるのはどうなのかとも思うけれど、先生がいうように、アメリカや9条を取り上げるのはかわいそうな事なのかもしれない。

しかしここでまた思うのだけれど、もうそろそろ目を覚まさなあかん時期にきているのじゃなかろうか。

依存症と向き合い治療に専念しなければ、未来はないんじゃないだろうか。

沢尻エリカも大変な事になってしまった。

明日は我が身かもしれないと思いながらも、依存を手放す勇気を持とうじゃないか。

一人じゃ難しいかもしれないけれど、励まし合いながら真の独立を目指し、対等な同盟関係を築いていけるほうがいい。

きっと先生も、そう思っていることでしょう。
















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