黄昏人生徒然日暮らし

人生黄昏時になり今を大切に、趣味の仏像彫刻・歌声・写真・散策・読書・日記・フォトチャンネルを徒然なるままに掲載します。

読書「生きる勇気死ぬ元気」より心に残った言葉

2018-02-18 | 読書
五木寛之(作家)・帯津良一(医師) 平凡社
著書より心に残った言葉を引用(太字部分)し一言コメントしました。


*浄土が美しい花が咲いているというだけでも、ものを考える余地もないほどの地獄のような生き方をしている人にとっては、本当にユートピアの場所でしょう。平安末期から鎌倉時代にかけては、生きていることじたいが、地獄のような苦しみであったから、そこに、光あふれる蓮の花が咲く、美しい浄土の思想をとかれたら、民衆はまっしぐらにそのイメージにすがりますね。
(コメント このような時代背景から鎌倉時代に仏教が武士だけではなく民衆にも広まったのでしょう。)

*厭離(おんり)穢土(えど)(この世を穢れた世界として厭(いと)い離れること)、欣求(ごんぐ)浄土(じょうど)(こころから喜んで浄土に往生することを願い求める)で一日も早く行きたいということになってくる。
(コメント 徳川家康の旗竿は厭離穢土・欣求浄土ですね、ただ浄土は西方浄土にではなく、心の中にあるのだとも言われていますが?)

*浄土とは一言で言うと、苦痛からの解放である。苦痛がなくなったとき浄土の光はさす。
(コメント まさにその通りだと思います。心身の苦痛からの解放された時が極楽浄土でしょう。)

*親鸞は「わが計らいにあらず」という言葉を残していますが、人の人生の出来事、生老病死を考えると、私はいつもこのことを思います。人生「なるようにしかならない」、そして、さらに「しかし、おのずとかならず、なるべきようになるのだ」と心の中で納得します。そうすると、不思議な安心感がどこからともなくやってきます。
(コメント たしかにそうなのですが、凡人は納得するのではなく安心感でもなく、諦めと開き直りですね。)

*仏教とは、頭で理解するのではなく「ギャーテー、ギャーテー」という言葉をいっせいに唱えるとき、そこから伝わってくる感覚そのものと思う。お経は大声で唱えることによって、霊験があらたかになる。
「ギャーテー、ギャーテー、ハラギャーテー、ハラソーギャーテー、ボージーソワカ」は般若心経の真言(マントラ)ですが、 以前に被災地にわらべ地蔵を贈るイベントに参加し、彫り上がった作品を本堂で開眼供養をした後に、僧侶数名・被災地の参加者・イベント参加者で般若心経を唱えた時の不思議な感動と一体感を、特定の宗派の信者でもない凡人でも感じたことが思い出されました。。


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