土方定一著「日本の近代美術」(岩波文庫)を読んだ、オリジナルは1966年刊、この本はその改訂版で2010年刊、画家の人名索引があるのがうれしい、280ページの本なのでそれほどのボリュームではないが、内容的には非常に充実しており、読むのが大変だった
本書の要約をまとめるのは難しいが、各章で赤線を引いた部分から一部を抜き出してみると以下の通りとなった
序章
- 近代日本の洋画史の展開は、フランスに生起する流派の「性急な」移植の歴史である
- 自国の伝統美術にない洋画の遠近法や写実主義の迫真性を感じた
- 性急な移植の「浅はかさ」と格闘した多くのすぐれた画家がおり、これにより近代日本の洋画の歴史が展開された
- 一方で、フランス美術と日本浮世絵との美術交流があった
- 洋画は伝統的な日本画と対立、抗争する関係になった
1、伝統美術と近代美術
- 江戸中期以降、長崎を通じてオランダの近代絵画を見て写実、遠近法などを学んだ
2、初期洋画のプリミティズム
- 高橋由一は明治にはじまる洋画家の最初の人となった
- イタリア人のフォンタネージは工部美術学校教授として近代風景画を教えた
3、岡倉天心と民族主義的浪漫主義
- 美術の研究者、アマチュア画家でもあったフェノロサは東大文学部の御雇教師になり、洋画と比較して東洋画の優越を主張した
- フェノロサの地盤を受けつぎ、近代日本画の精神的指導者になったのが岡倉天心、日本美術の伝統的性格に写実を加えることで近代化しようとした
4、黒田清輝と外光派
- 森鴎外が嘆く我が国の洋画の「性急な交代」が黒田清輝によってなされた
- 黒田と白馬会系の作家が洋画界の支配的、というか独裁的潮流になり、それがその後の近代日本の美術の発展を歪め停滞させることになった
- その中で藤島武二は剛毅に自己の性格を展開し、青木繁は浪漫主義的心情の作品を描いた
5、日本画の中の近代
- 菱田春草、横山大観は伝統の中に西洋画法を積極的に採用した
6、近代と造形
- 若い作家が印象派を携えて次々と帰国、そして反官展、在野の二科会ができた
- 安井曾太郎の折衷的画法、色彩家の梅原龍三郎、東洋的浪漫主義的心情の造形に託した叙情詩人の坂本繫二郎、岸田劉生、小出楢重、萬鉄五郎らが出た
7、日本画の近代の展開
- 大正期の大観、観山たちの苦闘に共感し、触発されつつ成長した次世代の日本画家が色彩の画家今村紫紅、デッサンの安田靭彦である
- そのほか、日本画の中の外光派の小林古径、精密な写実主義の速水御舟、伝統的なものを近代造形の中に濾過した土田麦僊、神秘的な芸術感に到達した村上華岳らがでた
8、近代日本の彫刻
- 荻原守衛はロダンの作品に感動し、ロダンに教えを受け帰国し、「文覚」などの作品を文展に出品して若い彫刻家に革命的刺激と影響を与えた、日本の近代彫刻の最初の標識を立てた
- 荻原守衛と並んでロダンに対する深い理解に基づいて近代彫刻を主張したのは高村光雲の長男、高村光太郎だ
- 清水多嘉示は画家になろうとしてパリに赴き、ブールデルの彫刻作品を見て感動し、ブールデルに長くつき、ブールデルの造形骨格と思考をよく伝える作家となった
(続く)
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