東京南青山にあるヨックモックミュージアムに行ってきた、2度目の訪問、久しぶりである
ここは、ピカソの豊かで自由な発想が投影されたセラミック作品をコレクションに持つ美術館であり、現在、美術館のコレクションをさまざまな視点から紹介する展覧会の第4弾「ピカソ いのちの讃歌」展を開催中である(10月14日まで)
ピカソは好きな画家だが、彼の女性遍歴は好きになれない
表参道の駅を降りて、徒歩15分くらいであろうか、表通りの喧騒を離れ、閑静な住宅街の一角にこの美術館がある、外観も白を基調にした上品なたたずまいで周囲の高級住宅街に溶け込んでいる
展示室は地下1階と地上3階にあり、順路は地下から、地下の展示室はもちろん窓はなく、照明も暗くしている、一方、3階の展示室は外光を存分に取り入れ、対照的である、その意図するところはわからないが、面白いと思った
今回の展示は、「ピカソと闘牛」「ラ・パロマ —鳩への思い—」「フクロウ ―豊かな瞳―」「手のひらのいのち —海の生き物、虫、鳥—」「いのちを超えて、牧神パンとジャクリーヌ」と題した全5章で構成されていた、それぞれの章では、そのタイトルに掲げられている鳩などをセラミックに描きこんだ作品や、その対象物を陶芸で作り上げた作品が展示されていた
そして、3階の奥の部屋には、常設展示50作品と題した陶器の皿が50個、壁一面に飾られていて圧巻であった
陶器作品の皿も含めて、ピカソの絵画や陶器に描かれた人物、動物などは、デフォルメされて歪んだ表情や泣いているものなどがあるが、そのような作品より、上の写真のように穏やかな表情を見せている作品の方が好きだ
それぞれの章の狙いと、私が観て良いなと思った作品の一部を紹介したい
第1章 ピカソと闘牛
ピカソは闘牛が好きだった、主役であるマタドール(闘牛士)ではなく、馬に乗り槍で牛を興奮させながら闘争心を高め、同時に力をそいでいく重要な役目を持つピカドールへ憧れていた
観客がいる闘牛(1950年)
闘牛の太陽(1953年)
第2章 ラ・パロマ —鳩への思い—
ピカソにとって鳩は父親が鳩を描く画家としても知られていたこともあり親しいものがあった、1949年の「パリ平和会議」で彼の「鳩」のリトグラフが採用され、その2か月後にフランソワーズ・ジローとの間に女児が誕生しパロマ(鳩)と名付けた
鳥型の水差し(1953年)
屋根裏の鳩(1949年)、名曲喫茶バロックの鳩の絵を思い出す、あの絵もピカソだろうか
青い鳩(1953年)
第3章 フクロウ —豊かな瞳—
1946年にグリマルディ城で傷ついたフクロウを保護したことを契機とし、以降のピカソの作品にはしばしばフクロウが登場するようになる
森梟(1968年)
第4章 手のひらのいのち —海の生き物、虫、鳥—
南仏ヴァローリスでの暮らしで頻繁に食卓に上ったはずの魚やウニがこの土地で描かれた。鳥、バッタ、虫などの小さな命と、それらとともにある日常を愛し、器に描いた
ウニ(1963年)
第5章 いのちを超えて、牧神パンとジャクリーヌ
ピカソが1946年に描いた≪生きる喜び≫ はフランソワーズ・ジローが身籠ったときの作品。彼女の左右の笛を吹く牧神とケンタウロスが祝福してる。しばらくして彼はセラミック制作に没頭し、その工房にジャクリーヌがやって来る。彼女が工房に来た翌月、フランソワーズ・ジローは子供たちを連れて出て行った
こどもの牧神パン(1963年)
お菓子(1937年)、お菓子メーカーゆえのコレクションのこだわりか?
ピカソは多くの陶芸作品を残したが、これには2種類あって、ピカソ自ら製作したオリジナル作品と、ピカソ監修のもとでマドゥーラ陶房で制作したエディション作品だ、確かにこういうことをしないと多数制作はできないでしょう
さて、この美術館はお菓子のヨックモックのグループ会社である、ただ、法律的にはヨックモックから切り離され、一般社団法人となっている
最近、昨年訪問した川村記念美術館(その時のブログはこちら)の運営主体のDICが美術館の「規模縮小と移転」を軸とする対応策を発表し、運営中止の可能性もあり得るというニュースがあった(こちら参照)、企業直営の美術館が価値創造に貢献していないので投資家から圧力をかけられたのも一因という。
その点、ヨックモックミュージアムは既に本体とは切り離しているし、上場会社でもないので関係ないが、その辺のところを十分に考えているという点で立派であろう。ちなみに、私が良く行くアーティゾン美術館(旧ブリジストン美術館)は土地と自社株を寄贈したうえで財団法人形態で運営されているようだ
楽しめました
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