ゆっくり行きましょう

好きなことじっくり楽しむシニア

亀戸「クレシェンド(CRESCEND)」再訪問

2025年01月21日 | カフェ・喫茶店

この日は夕方から演劇を観る予定だったので、その前に劇場近くの亀戸に行ってまたあの「珈琲と音楽/クレシェンド」を訪問しようと思った

亀戸の北口から歩いて5分くらい、駅前の飲み屋街を通り抜けて静かな住宅街に入ったところにこのカフェはある

この日は土曜日、店に入ると何組かお客さんが入っている、海外の観光客もいるのには驚いた、若い人もけっこう来ていた、前回訪問した時は平日だったせいか、私のほかにお客さんがわずかしかいなかったが週末はけっこう来る人が多いのか、それはうれしいことだ

4人掛けのテーブル席に腰かけて、苦みのあるフレンチブレンド500円を注文した、ここは注文を受ける都度、豆を挽いて抽出しているようだ、ケーキなどは無いが持ち込みOKというのもめずらしい

店内は結構広く、奥の壁際にいくつものスピーカーが置いてあり、入って右側にはオーディオ装置やカウンターがあり、背面にはアルバムやコーヒーカップがいっぱい収納してある、また、本も何冊か置いてあり自由に読めるし、新聞も何紙か置いてある

この日にかかっていた曲は我々シニア世代が若い時にはやったポップスだった、ここの店主はオールディーズが好きなようだ、オーディオマニアはクラシック音楽かジャズが好きな人が多いが、ポップスを聴いている人はめずらしいのではないか

この日は時間に余裕があったので持ってきた本を読みながら音楽を聴き、1時間くらい滞在した、2回目の訪問で気付いたのは、ここは喫煙可能な店だということだ、今時めずらしいだろうが、禁煙者にとっては若干つらいところだ

良い場所である、くつろげました


舞台神聖祭典劇「パルシファル」をテレビ観劇

2025年01月20日 | オペラ・バレエ

バイロイト音楽祭2023、舞台神聖祭典劇「パルシファル」(ワーグナー 作曲)をテレビで録画してあったので鑑賞してみた、4時間10分の放送時間

<出演>

パルシファル:アンドレアス・シャーガー
クリングゾル:ジョーダン・シャハナン
クンドリ:エリーナ・ガランチャ
グルネマンツ:ゲオルク・ツェッペンフェルト
アンフォルタス:デレク・ウェルトン
ティトゥレル:トビアス・ケーラー

演出:ジェイ・シャイブ
合唱:バイロイト祝祭合唱団
管弦楽:バイロイト祝祭管弦楽団
指揮:パブロ・エラス・カサド
収録:2023年7月25日 バイロイト祝祭劇場

鑑賞した感想を述べてみたい

全般的なことについて

  • 初めて観るオペラで、かつ、4時間超の長いオペラなので、いくら予習をしても1回で理解するのは難しかった、それでも自宅で録画を見る良さは、何度でも繰り返し後戻りして確認することができること、また、一気に4時間ぶっ続けで観ないでもよいということでしょう、私は3日に分けてゆっくり観た

演出について

  • 最近のバイロイトは人気演出家による奇抜な演出がはやっているようだ、今回のマサチューセッツ工科大学教授ジェイ・シャイブの演出は観客が3Dメガネをかけることにより舞台上の演出に加えARを体験できるという奇抜なもの、ただ、これは一部の観客だけのようだ
  • 3Dメガネをかけないで観る舞台も十分ユニークなものだった、舞台が中世の城やその周りの森だけど聖杯がレアアースであるコバルトだったり騎士団がレアアース採掘現場の労働者だったり、何が何だか分かりにくい設定だった

  • どうもシャイブはレアアース獲得競争が引き起こす環境破壊をもテーマにしているようで、パルシファルは最後に聖杯と見立てたレアアースを地面のたたきつけて粉々にしてしまう、これは、環境破壊に対する批判なのか
  • オペラのストーリーの中に環境問題などの時事問題を入れる演出は今までもあったであろうが、好きになれない、そもそも温暖化ガスによる環境問題など欧州が騒ぎだしたもので、これをまともに取り上げること自体、思考停止であり、欧州各国や米国では行き過ぎた環境原理主義に是正の動きが出ている、そんな問題をオペラでも演じるというのはオペラの政治利用であり、別の場所でやってもらいたいし、取り上げるなら皮肉を込めて劇中に入れるほうがセンスが良いと思う
  • また、観ていてわからなかったのはガランチャのやったクンドリについてだ、ガランチャのクンドリとそっくりの衣装や髪形、髪の色をした影のクンドリとでもいう存在が何度か出てきてグルネマンツ役のツェッペンフェルトと絡むところが多いことだ、いったい何を意味しているのかさっぱり分からなかった

歌手について

  • 観ていて良いなと思ったのはアンフォルタス役のデレク・ウェルトンであった、禿げ頭の王であったが、そこがびっしょりと汗でぬれるほどの熱演であったし、聖槍で刺された傷口の血がグロテスクで良かった
  • タイトルロールのアンドレアス・シャーガーはピンチヒッターでの出演だったそうだが、歌いなれている演目らしく、その歌唱力を存分に出していたと思う、また、彼は最近観たばかりの2024年バイロイト音楽祭の「トリスタンとイゾルデ」にトリスタン役で出演していたあの彼だ(こちら参照)、もうバイロイトではおなじみの歌手なのでしょう

  • そして、カーテンコールで一番の喝采を浴びていたのはガランチャだった、確かに観ていて適役だと思った、単なる美女ではなく、ちょっと特徴のあるこんな女がガランチャは一番似合うし得意なのではないか、特に第2幕のシャーガーとのキスシーンなど映画女優並みの演技力であり熱演に驚いた

指揮者について

  • カサドは、バロックオケとシューベルトやメンデルスゾーンまでのロマン派領域まで時代考証を経た演奏を重ねてきて、さらにはモンテヴェルディのスペシャリストでもあり、ブラームスやチャイコフスキー、ヴェルディ、現代音楽も普通に指揮してる多才な指揮者だそうだ、彼が指揮する姿が何回も写されており、良かった

今後、機会があれば見直したい、何回か観て勉強を重ねないと理解できないオペラだと思った

あらすじ

第1幕

中世のスペイン、モンサルヴァート城の近くの森の中、アンフォルタス王は聖杯守護から外された異端者クリングゾルに聖槍を奪われ、傷を負った、この傷をなおすには「共に苦しんで知に至る純潔(パルシ)なる愚者(ファル)」を待たねばならない、その時一人の若者が白鳥を矢で射たかどでひきたてられてくる、老騎士グルネマンツはこの若者が「純潔なる愚者」かもしれないと考え、城に連れていく、城内で聖杯の儀式が行われるが、若者はこの儀式の意味を理解できない

第2幕

クリングゾルの魔法の城、あの若者が無邪気にやって来て花園の乙女たちの誘惑にあうが、関心をしめさない、その時クンドリの「パルジファル、待って!」という呼び声で、若者は自分が何者であったかを知り、彼女の熱烈なキスにより自分の果たすべき使命を悟る、クリングゾルがパルジファルに槍を投げつけるが、それはパルジファルの手に落ちる、その槍をパルジファルが振ると、クリングゾルは倒れる

第3幕

数年後、森の中のグルネマンツの小屋の外に、クリングゾルの手からのがれたクンドリが倒れている。そこへ槍を手にしたパルジファルが現れ、王の傷を癒すためにやってきたと告げる。グルネマンツとクンドリがパルジファルの体を清めると、森は呪いから救われて輝きだす。グルネマンツはこれこそ聖金曜日の奇跡と喜び、三人は城へと向かう。パルジファルは聖槍で王の傷をなおし、みずから聖杯守護の王となる。魂が救済されたクンドリは、彼と見つめあい手を触れあう


ギュスターブ・ル・ボン「群衆心理」を読む(2/2)

2025年01月19日 | 読書

(承前)

第三章 群衆の指導者とその説得手段

  • 群衆が人間にせよ動物にせよ、ある数の生物が集まれば指導者の権力に服従するようになる
  • 指導者はあまり明晰な頭脳を有していない、なぜなら明晰な頭脳は概して人を懐疑と非行動にするからだ、指導者は実行者である、偉大な帝国は学識あるものや哲学者の手によってできたのではない
  • 常に大衆は強固な意志を備えた指導者の言葉を傾聴する
  • 偉大な指導者の役割は人物や事業、思想に対する信仰を想像することである
  • 群衆の精神を支配しているものは自由への要求ではなく、屈従への要求である
  • 群衆の心理に信念や思想をしみ込ませるために支配者がやる3つのことは、断言と反復と感染である
  • 甲は不埒極まる破廉恥漢であり乙は極めて誠実であると新聞が連日報道すれば、その反対意見を言う新聞を読みさえしなければ、そのことを固く信ずるようになる
  • 意見や信念の伝播は労働者が酒場で断言、反復、感染するからで、それがやがて社会の上層にも及ぶ、その有力な意見が不条理なことによってもだ、この思想に屈服した指導者たちがこれを使用して党派を組み、その思想を変形させ、また群衆の中に広める、世界を導くのは究極においては知性であるがはなはだ間接的であり時間がかかる
  • 威厳はある思想などが我々に働きかける一種の魅力なのである、ナポレオンの威厳は死後まで残り、人々を虐待し何人もの命を奪い、侵略に次ぐ侵略をしようとも、すべて許されている

コメント
今の日本で断言、反復、感染を実行しているのは新聞ではないか、安倍批判などが最たるものだ、疑惑だ疑惑だと繰り返し騒げば、国会は空転し、為政者に対する悪印象が広まる、安倍氏が非業の死を遂げてからもなお批判しないと気が済まない執拗さは異常であろう

第四章 群衆の信念と意見が変化する限界

  • 群衆の変動しやすい意見の総和というものはかつてないほど大きい、それは最近の新聞の普及で相反する意見の相違を人の眼に触れさせたからだ
  • この結果、政府に世論を説得する力がなくなった、それどころかひたすら世論に追従しようとし世論に対する気がねが往々にして恐怖になり、政治家の行動から一定の安定性を奪った
  • 群衆の意見が政治に対する最高の調節者になる傾向がある
  • 政治が理性に導かれず動揺しやすい群衆の衝動を指針としているを見れば、政治は感情の問題ではないとは言えない
  • 世論の気配をうかがうことはしても世論を指導するものがいなくなった結果、群衆の無関心が増大した
  • 文明の崩壊を遅らせることができるのは、極度に変動しやすい意見と群衆の無関心である

コメント

著者の主張には理解できない部分もあるが、今の日本の新聞が物事についていろんな見方を読者に提供することをほとんどしていないという点で、現状はこの著者の見立てとは異なる、いろんな意見がある問題でも自分たちの考えを読者に押し付けているのが今の新聞だ、「驕れる人も久しからず」となるのも時間の問題だろう、そんな新聞世論を怖がっているのが政治家だから情けない、この点は本書の出版当時と何も変わっていない

第三篇 種々な群衆の分類とその解説

第一章 群衆の分類

  • 種族性によって異色の群衆をかなり明確に分類できる、それが人間の行為を決定しうる最も有力な原因である

第二章 いわゆる犯罪的群衆

  • 犯罪的群衆の一般的な性質は、暗示を受けやすいこと、物事を軽々しく信ずること、動揺しやすいこと、善悪の感情が誇張されること、ある型の徳性が現れることなど
  • フランス史上最も残虐なのは九月の虐殺者たちだ、彼らは裁判官と死刑執行人の二重の職務を行い、自分たちが犯罪者とは思っていなかった

第三章 重罪犯罪人の陪審員
第四章 選挙上の群衆

  • この群衆に現れる特徴は微弱な推理力と批判精神の欠如、興奮しやすいこと、物事を軽々しく信ずる単純さである、また、この群衆の行う断定のうちには指導者の影響と、断言・反復・威厳・感染の作用も見られる
  • 普通選挙の欠点は、ピラミッドの頂点をなす少数の人物が一国民の下層部を現わす点だ、トックヴィルは「万人が同じ程度の教養を具えている以上、真実が最大多数の側に存在しないなどとは、到底真実らしく思えない」と喝破している、あらゆる人間は同じ程度に無智になる
  • 普通選挙は種族の無意識的な要求や願望の現れである、祖先伝来の残存物によって導かれる、種族性と複雑に入りくんだ日常必要事、これこそがわれわれの運命をつかさどる神秘な支配者である

第五章 議会の集会

  • 議会の集会にも群衆の一般的な特徴が見いだされる、すなわち、思想の単純さ、興奮しやすいこと、暗示を受けやすいこと、感情の誇張、指導者(政党の領袖)の強力な影響など

いろいろ勉強になった、ばかげた群衆心理にならないようにするには物事をいろんな角度から見る癖をつけることが大事だと思った、意見の多様性こそ必要だ、新聞があることを執拗に報道している場合などが一番危ない、著者が指摘する通り新聞は読者にいろんなものの見方を紹介するのが一番大事な仕事でしょう

さて、この本はNHKの「100分de名著」というテレビ番組で取り上げられたことがある(2024年3月6日放送の名著113)、私は見なかったがその番組のweb記事では「果たして、私たちは、群衆心理とどう向き合ったらよいのでしょうか? 現代の視点から「群衆心理」を読み直し、「単純化」「極論」に覆われた社会にあって「思考し問い続ける力」をどう保っていけばよいかを考えます」とある(こちら)、どういう結論になったの知りたいと思った

(完)


映画「オークション、盗まれたエゴン・シーレ」を観た

2025年01月18日 | 映画

映画「オークション、盗まれたエゴン・シーレ」を観た、2023年、91分、フランス、原題Le tableau vole(絵は飛ぶ)、監督パスカル・ボニゼール

パリのオークションハウスで働く競売人アンドレ・マッソン(アレックス・ルッツ、1978、仏)は、1939年に失踪したエゴン・シーレの絵(ひまわりを描いた風景画)が工業都市ミュルーズの労働者の家にあるので鑑定してほしいという手紙を受け取り、興味をそそられる、それは先の大戦でナチスに略奪され長らく行方不明となっていた作品、元妻で相棒のベルティナ(レア・ドリュッケール)とともにミュルーズにある化学工場に勤める青年マルタン(アルカディ・ラデフ)と未亡人の母が2人で暮らす家を訪れた、現物を見てシーレの傑作であることを確信し、風変わりな研修生のオーロール(ルイーズ・シュビヨット、Louise Chevillotte)に助けられながらオークションで高値で売ろうとするが・・・

この映画は実話がベースになっている、第二次世界大戦中に略奪され、最近になって再発見されたエゴン・シーレの絵が、思いがけない発見と鑑定人やオークション会社の対決のきっかけとなる話

鑑賞した感想を書いてみよう(ネタバレあり)

  • 久しぶりに観たフランス映画だったが、良い映画だった、ただ、途中で眠くなってしまい、ところどころ観てない部分があるので正確なストーリーは把握できていない、最近これが多いので弱っている、ガムを持っていくのを忘れたのが痛い
  • ストーリーが実話をもとにしているが、人間模様についてはフィクションである、どこまでが実話かわからないが、主役のマッソンは初めはあまり好きになれなかったが、だんだんと応援したくなってきた、彼は一流の衣服を身にまとい、高級車を乗り回す一見スノッブで鼻持ちならない人物であるため女性研修生とうまくいかないが、実は自己抑制の効いた熱血漢であることがだんだんわかってくる

  • 彼のもとで働く研修生の女性オーロールが一つの大事な役割をこの映画では果たしている、最初はマッソンと衝突して、マッソンの人間性に嫌気をさして退職を申し出るが、最後はマッソンを応援することになる、その理由が良く分からなかった、そして、彼女はマッソンにこの映画のキモとなる重要な情報をもたらす、これもなぜ彼女がその情報を把握したのかがわからなかった

  • そして何よりも最後にこの映画で感動したのは、絵画を保有していた青年マルタンの生きざまである、それまで慎ましい生活を営んでいた工場労働者の青年が多額の金を手に入れれば生活が一変し、人生を狂わしかねないのに、金は母親に家を買ってあげたことと自分のエレキギターを一つ買うのに使っただけで、あとは手をつけず工場労働者として以前と変わらない生活を続け、多額の金を手に入れたことは工場の同僚にも話していない、と最後のテロップに出るのである、素晴らしいことだ、自分が想定外の金を手に入れてもそうありたいと思うような生き方だ

絵画をめぐる物語を映画にした「黄金のアデーレ 名画の帰還」を以前観たことがあり、良い映画だと思った、今回の映画も絵画がらみで楽しめた、よくわからない点があったのでもう一度観ても良いと思った


ギュスターヴ・ル・ボン「群衆心理」を読む(1/2)

2025年01月17日 | 読書

フランスの心理学者ギュスターヴ・ル・ボン(1841 - 1931)著「群衆心理」(講談社学術文庫)を読んでみた

著者はフランスの医学者、社会学者であり心理学者である、その著作の多さを見れば著者が百科全書家的な知識の所有者であることがわかる、著者の学的立場が18世紀の合理主義とは対蹠的であり、理性に対して意志と感情の優位性を主張し、民族の伝統的要素の影響力を強調している、本書はル・ボンの最も重要な書籍の一つであると訳者は述べている

人は個人として物事を判断するときは常識的な判断を下し、それに従った行動をするが、ひとたび集団となるとばかげた判断や行動をする、というのは一面の真実であろうし誰しも経験をしてきたところでもあろう

今回、改めてなぜ人間は集団になると馬鹿な考えをおこすのか考えてみるためにル・ボンの本を手に取ってみた、読了して各章の順番に従ってポイントとなる感じたところを書き上げ、私の感じたことをコメントとして書いてみた

序論

  • これまで老朽化した文明の破壊者が群衆であった、群衆が支配するときに混乱が起こる
  • 集団の支配者は群集の精神を極めて適切に知っていた
  • 理論上の正当性では群衆を操れず、群衆の心理に起こさせる印象こそが彼らを動かす

コメント
現代においてはマスコミによる特定の事項や人物に対する情緒的な印象操作が行われている

第一編 群衆の精神

第一章 群衆の一般的特徴

  • 群衆は各個人の性質とは異なる性質を持つ
  • 集団では個人が本能に任せて行動する、それが集団内で感染する、個人を抑制する責任感がなくなる
  • 人間は群集に加わることで文明のレベルをいくつも下げてしまう
  • 群衆は事情次第で良いこともするが、歴史に残るような良い行為はない

第二章 群衆の感情と徳性

  • 群衆は思考力を持たないし、持続的意思もない
  • 群衆は物事の批判精神を欠き、物事を極度に信じやすい
  • 感情は暗示と感染により群衆に広まり著しくその力を増大する
  • 群衆の心をとらえようとする者は強い断定的な言葉を使う
  • 群衆は偏狭であり横暴である、いささかでも反対するものがあればリンチを加える

コメント
政治家は確かに断定的な言葉を使って民衆に訴えかけるというのはその通りでしょうがメディアも負けてないでしょう、国民は常に政治家やメディアの声高な主張に懐疑的態度を持つ必要がある、例えば「人生100年」とか

第三章 群衆の思想と推理と想像力

  • 特殊な場合を一般化すること、群衆を御することを心得ている者がやることだ
  • 群衆が正しく推理するとができないために批判精神を欠き、適格に判断する能力に欠ける、群衆が受け入れる判断は他から強いられた判断で自分で吟味したものではない
  • 群衆の抱く確信は宗教的信仰と同じだ、崇拝、畏敬、盲目的服従、議論が不可能、教義を流布、拒むものを敵対者とすることなど

コメント
日本人は人や物事をすぐに信じてしまう傾向がある、国連勧告やWHO、WTOなどと言われればすぐに正しいものと信じてしまうお人よしさが悲しい、今まで信じ込まされてきたものに対して懐疑の眼で見る癖をつけることが必要でしょう、これは本来、新聞や学者の仕事だけど彼らはその役割を十分に果たしていない

第二編 群衆の意見と信念

第一章 群衆の意見と信念の間接原因

  • 民族の根本的な任務は伝統を少しずつ改めつつそれを保存することである
  • 伝統的思想の強固な支持者でその変化に最も反対するのが群衆である
  • 伝統は幾世紀にわたり緩慢に消耗に屈する
  • 民主主義などの政体ではなく民族の性格がその民族の運命を決定する
  • 民族はその性格に応じて統治される
  • 教育は有益ではなくやり方を間違えると有害となりうる、無政府主義者は諸学校の優等生の中からでる
  • 教育は教科書の暗記をさせることにより判断力や創意を養うことをせず、暗唱と服従をする人間を育てている
  • 教育は社会の下層ではプロレタリアを、上層では軽佻浮薄な有産階級を生み出す、無用の知識の獲得は人間を反逆者に変える確実な方法である
  • 職業教育こそが有用だ
  • 一国の青年に授けられた教育を見ればその国の運命の一片でも予測できる、学校は今日、不平家や無政府主義者を養成している

コメント
著者の主張には極論もあるが一面真実もある、学校成績が優秀なだけの世間知らずほど左派になるというのはその通りであろう、また、教師が愛国心や国旗・国歌を敵視し、自国の歴史に誇りを持てない教育をしている日本の将来が心配である

第二章 群衆の意見の直接原因

  • きわめて意味のあいまいな言葉が極めて重大な影響力を持つことがある、例えば、民主主義、平等、自由などだ、これらの言葉の意味は漠然としている
  • 同じ時代の同じ程度の文明があるが種族が異なる場合、民主主義という言葉は全く正反対に解される、ラテン系では国家の意思や創造の前に個人の意思は消滅し、ますます国家が指導、集中化、専売、製造の責務を負わされることになる、アングロサクソン系では警察と外交以外の国家意思はなく、個人意志の強烈な進展を意味する
  • 文明の黎明期以来、群衆は常に幻想の影響を受けてきた、群衆に幻想を与える術を心得ている者は容易に群衆の支配者になり、群衆の幻想を打破しようとする者は常に群衆のいけにえになる
  • 経験が群衆の心理に真実を伝え、幻想を打破する、例えばフランス革命、純理の示すところによっては社会を改造できないことを大きな犠牲を出して示した
  • 群衆の心を動かすことを心得ている弁士は、理性に訴えずに感情に訴える、合理的な理論は群集に何の作用も及ぼさない、道理は哲学者に任せておこう、感情はしばしば道理に反して生れ、あらゆる文明の大原動力となった

コメント
平和憲法を維持すれば戦争にならないという「幻想」を振りまいてきたのが新聞や政治家だ、これを打破しようとすれば長らくメディアのいけにえになってきた、今の日本の新聞やテレビの情緒的な報道を見れば著者の言わんとするところはよく理解できる(例えば、国のエネルギー政策で原発有効活用とすると「福島の教訓を忘れたのか」などの感情的な社説を書くのが情緒的報道のいい例だ)

(続く)


MATCHA&COFFEE MIYANO-YUでくつろぐ

2025年01月16日 | カフェ・喫茶店

上野から谷中をブラブラ歩いて買い物をしているときに、どこかカフェで一休みしたくなった、Googleマップで根津あたりでカフェ・喫茶店で検索してみて、根津駅のすぐ近くにあったこの店に入ってみた、初訪問

このカフェはこの場所にあった銭湯「宮の湯」が閉店した後、改造してカフェにし2021年にオープンしたもの、宮の湯は1951年に開業し、地域の人々に親しまれてきた銭湯だったが、2008年に57年間の歴史に幕を下ろした

HPによれば、このカフェは宮の湯の名前を引き継ぎ、かつて銭湯が果たしていた地域コミュニティの中心としての役割を現代に再現したいという意図で開業したもの、様々なクリエイターやイベントを通じて「時代と世代」「地元と観光客」「日本と海外」という様々な境界を越えた新しいカルチャーの発信の場となるよう、そして街の新しいシンボルとなることを目指しています、とある

外から見ると煙突がそびえたっているので目立つ、入口を入ると直ぐに受付があり、そこでカフェラテを注文750円、受付の女性に中の様子を聞くと、受付の背後に和室があり、また、受付を入って右に行くと元銭湯の風呂場をカフェに改造した部屋があるとのこと

銭湯のイメージが残っているのはそっちの方なので右手に進むと、確かに風呂場だったということがわかる部屋があった、窓が多く外光が入ってきて明るい、観葉植物もいっぱい置いてあり、ゆっくりくつろげそうだ

椅子に座り、持ってきたKindleで読みかけの本を1時間くらいゆっくり読んだ、カフェラテもおいしかった、最初は私一人しかいなかったが1時間のうちに次々とお客さんが入ってきて賑やかになったが、皆さんパソコンを見たりスマホを見たりおとなしいので読書しやすかった

ここのコーヒー豆は、全てスペシャルティコーヒーというコーヒー市場TOP5%ほどの貴重な豆を使用しており、全て自家焙煎しているし、抹茶も静岡県産の有機栽培の希少な抹茶[おくみどり]を使用している、私が座った部屋の奥にはコーヒーの焙煎機が置いてあった

良いムードでした


演劇「殺しのリハーサル」を観劇

2025年01月15日 | 演劇

ティアラこうとう大ホールで演劇「殺しのリハーサル」を観劇した、6,500円、4時半開演、5時半終演、座席は7割がた埋まっていた

原作:レビンソン&リンク
翻訳:保坂磨理子
演出:鈴木孝宏

「殺しのリハーサル」は刑事コロンボの生みの親、レビンソン&リンクが、全盛期の1982年にTV映画として書き下した作品

あらすじは、

ブロードウェイのとある劇場、誰もいない客席に姿を現す劇作家アレックス、一年前の今日、恋人であった女優モニカが、自らの主演舞台の初日、自分との婚約発表を目前に謎の死を遂げた、自殺と処理された彼女の死を殺人事件と断定したアレックスは、事件後行方をくらましていたが、 丁度一年経ったこの日、この劇場に当時の舞台関係者を招集していた、続々と集まる俳優たち、そして演出家、舞台監督、プロデューサー、新作の稽古と称してこれからアレックスが行うのは真犯人を暴くための「殺しのリハーサル」だった

出演:伊藤洋三郎/紫城るい/山本みどり/清雁寺繁盛/川原洋一郎/庄田侑佑/松浦海之介/岸田茜/岩田翼/新藤真耶/馬場真佑/坂上麻優

観劇した感想などを書いてみたい

  • ホールに到着して今回も事前予習のために公演プログラムを1,100円で購入して開演までの間に読んだが、実際の演技を観て、最後のどんでん返しという意味が分からなかった
  • 1年前に一緒に公演した舞台の役者やプロデューサーなどが劇作家アレックスの呼びかけで再び集まってアレックスの新作のリハーサルをやる、ということで舞台がスタートし、リハーサルを進めていくがその途中で刑事が出てきて、メンバーが逃げ出さないように見張るという、その辺から不自然なストーリーになってきて、最後はこの刑事が実は偽刑事であり、何が重要な役割を演じるというものだが、さっぱりわからなかった
  • 自殺したモニカというアレックスと婚約する予定の女優は他の役者に殺されたという、その真犯人の犯行の証拠というトリックも「何ーんだ、それかよ」というもので、どんでん返しというほどのものではないと感じた
  • それぞれの役者は良く演じていたと感じた、ホールが結構大きく、セリフが聞こえないのではと心配したが、R席にいた私にも役者たちの声は良く通った、発音がはっきりしていて、発声方法もよく訓練されているからでしょう、怒鳴るような話し方はしていなかったのは良かった
  • 役者の中で特に頑張っている感が出ていたのがアレックスの秘書役を演じた坂上麻優だ、テキパキした性格の秘書の役を可愛らしく演じていたのに好感を持った
  • 今回の舞台の場面転換は舞台の奥行きの途中に黒幕が出てきて舞台の横幅3分の2くらいを隠し、その客席では見えない黒いカーテンの向こう側で転換後のセッティングが準備されるというもので、よく考えたうまいやり方だと思った
  • あと、この日の公演は午後4時半開演だったが、大ホールはこの公演だけだったのでなぜ2時か3時開演にしないのかなと感じた

演劇というのもなかなか難しいものだと感じた

この日は少し早く到着したので、ティアラこうとうのすぐ前にある猿江恩賜公園をブラブラした、スカイツリーが見えて良いところだと思った

※ このブログを投稿する際、タグに「殺しのリハーサル」とこの演劇のタイトルを入れたら、この言葉でタグは利用できませんと出た、なるほど、殺人のやり方をネットで共有するような投稿とみなされたのでしょう、恐れ入りやした


Netflix「地面師たち」を観る

2025年01月14日 | 映画

この映画とイカゲームを観るためにわざわざネットフリックスにまた契約した、まず、「地面師たち」を年末年始に観た

この映画はは、新庄耕の同名の小説を原作として2024年7月25日にNetflixで配信が開始された日本の配信ドラマ、出演は、綾野剛、豊川悦司、ピエール瀧、小池栄子、北村一輝、山本耕史、松尾諭、リリーフランキーなど

この映画は、土地の所有者になりすまして売却をもちかけ、多額の代金をだまし取る不動産詐欺を行う「地面師」の犯罪を描くもので、2017年に実際に起きた被害額約55億円に上る「積水ハウス地面師詐欺事件」をモデルとしている

かつて、父の経営する不動産会社に勤めていた辻本拓海(綾野剛)は、自身が原因で地面師による不動産詐欺に遭い、それにより破産した父が放火による一家心中を図り、母と妻子を亡くした過去を持つ、その後、地面師グループのリーダー・ハリソン山中(豊川悦司)に偶然に出会い、仲間に誘われ「交渉役」として活動することになるが・・・

観た感想を述べよう

  • 面白かった、不動産取引の怖さをまざまざと見せつけられた、積水の詐欺事件以降、再発防止のためいろんな法改正などがなされているようだが、引き続き不動産取引というのはリスクが高いものでしょう
  • 物語の最後の100億円単位の詐欺と実際の積水ハウスの詐欺とは類似するが、いろんな面で映画の方が複雑でスリリングに、かつ、誇張して描かれているのでしょう、その見せ方がうまいと思った
  • このような犯罪集団に一度組み込まれると抜け出すことは不可能なのでしょう、その点は映画で描かれている通りだろうなと思った、最近多発している広域強盗殺人もSNSの闇バイトなどで一度でもかかわると抜け出すのは自分や家族の危険を意味するため不可能なのでしょう、怖いものだ
  • 物語では辻本拓海が自分の家族が地面師詐欺の被害に遭った過去があるのに自分が今度は地面師になって他人を不幸にしてしまう理由がはっきりわからないような気がした、そして最後にハリソン山中と対決する場面で辻本がハリソンに拳銃を向け、すぐ引き金さえ引けば殺せるのに余計な話をして殺しそこなった場面があったが、小説や映画だからのシーンだと思った

  • 俳優の演技としては、ピエール滝がいかにもという演技をしてうまかった、北村一輝もこの人は本当はこんな人ではないかと思わせる真に迫った演技だった、山本耕史もエリートサラリーマンの焦りと強引さと悲哀をうまく演じており大したものだと思った、一方、山本耕史の同僚でライバルの松尾諭だが、この人はこんなエリートサラリーマンは似合わないと思った、イメージに全然合わない、この人は「ダメ男」、「ダメおやじ」が一番ピッタリでそのイメージが固定してしまっているのかもしれない
  • 物語の中で、詐欺集団が石洋ハウスの青柳隆史(山本耕史)に、地主の本人確認面談日までに土地取得の稟議決裁を済ませろと迫る場面がある、青柳はこの条件をのみ、社長のアイディアで稟議書の空白個所に、「本件は社長が事前に物件を下見し内容確認済み」との補足説明を鉛筆で描きこんで回覧がなされ、それならばということで反対派の役員たちも承認印を押し、最後に社長が決裁印を押すと、社長自ら鉛筆書きを消しゴムできれいに消す場面があった、これは有り得る処理だなと思った、鉛筆ではなく、付箋に書いてそれを貼って稟議回覧して後で外す例もあろう、自分が反対派の役員だったらこういうケースはその鉛筆書きのある稟議書をのコピーを取っておくけど
  • この映画でも出てくるのだが、自分の経験からも、会社でも個人でも何らかの契約をする時には「契約締結を急がせる相手には注意しろ」ということがある、これは相手に考える時間を与えないずるい戦略であり、よく考えられると不具合がバレるから早く契約させる、ということが多いからだ、例えば「今日中に契約してくれたら30%割引する」とか、「今日決めてくれなければ明日は別の客との面談が入っている」などと巧みに攻めてくるので要注意である

楽しめました


歌劇「ボエーム」をテレビ観劇する

2025年01月13日 | オペラ・バレエ

NHKクラシック音楽館で放送していた井上道義指揮の最後のオペラとなった「ボエーム」をテレビ鑑賞した

指揮/井上道義
演出・振付・美術・衣裳/森山開次

出演 

ミミ:ルザン・マンタシャン(Ruzan Mantashyan、アルメニア、ソプラノ)
ロドルフォ(詩人):工藤和真(テノール)
マルチェッロ(画家):池内 響
ムゼッタ(マルチェッロ恋人):イローナ・レヴォルスカヤ(Ilona Revolskaya、露、ソプラノ)
コッリーネ(哲学者):スタニスラフ・ヴォロビョフ
ショナール(音楽家):高橋洋介
ベノア(家主):晴 雅彦
アルチンドロ(年配紳士):仲田尋一
パルピニョール(おもちゃや):谷口耕平
ダンサー:梶田留以、水島晃太郎、南帆乃佳、小川莉伯

合唱:ザ・オペラ・クワイア
世田谷ジュニア合唱団
管弦楽:読売日本交響楽団
バンダ:バンダ・ペル・ラ・ボエーム(「バンダ」とは、オーケストラなどで、本来の舞台上の編成とは別に、離れた位置で「別働隊」として演奏する小規模の演奏者のこと、 舞台裏や客席、いろんなところで演奏する)
2024年9月23日、東京芸術劇場

2024年末での引退を宣言している指揮者・井上道義が、自身最後となるオペラに選んだのは、“最愛のオペラ”と語る『ラ・ボエーム』の新制作、演出には、深い信頼を寄せる舞踊家・演出家の森山開次

森山氏の演出は、「パリの物語を日本に近づける」をコンセプトに、画家役のマルチェッロを若くしてパリで活動していた日本人画家・藤田嗣治に設定し、マルチェッロを着物姿の藤田の風貌にして、藤田の愛した猫たちは子供コーラスとして出てくるが、「ラ・ボエーム」の基本的な世界観は維持されている、振付家の森山らしいのは、4人のダンサーを黒子的に登場させて、ミミのロウソクの火を消す役を演じていたりして、演出効果を高めたことなど

「ボエーム」のテーマは、ボヘミアンの青春、愛、そして死、「ボエーム」とは、「ボヘミアン」のこと、1830年当時のパリに多くいた芸術家の卵たちはみな貧しく、けれども、みな希望に胸あふれ、活き活きと過ごしていた、そんなボヘミアンの特別でない日常的な風景をこのオペラは描き出す、作曲したプッチーニも20代で故郷ルッカからミラノに出て、苦学に励んでいたことから、このオペラに特別な愛着があったと言われている

観劇した感想を述べたい

  • 私はこのオペラはあまり好きではない、なぜなら悲恋、悲劇だからだ、最初から最後まで「暗い」のだ、「椿姫」も暗いが第1幕に華やかな雰囲気があるだけマシだ、ただ、このオペラはCDも持っているので何回も聴いているので音楽は良く覚えているが、なかなか「好きだなー」とはならない
  • 好きではないが、レコードやテレビ、公演とあらゆる機会に聴き続けていると、ある時突然、その良さがわかることがあるから聴いている
  • 従って、今回の井上指揮の演奏も良いのか悪いのか自分の評価の基軸がないので判断できなかった
  • ただ、森山開次の新制作の演出、振付、美術、衣装は非常に良かった、特に第2幕のクリスマスのカルティエラタンの場面はカラフルで良かった、また、その時に出てくるパルピニョール(おもちゃや)の谷口耕平の衣装、パフォーマンスが奇抜で良かった
  • 歌手陣であるが、みんなそれなりに頑張っていたと思う、その中で主役のミミ役のルザン・マンタシャン(Ruzan Mantashyan )が良かった、スリムで美貌で、歌もまずまずだった、ミミのイメージにピッタリの歌手で、既にヨーロッパの名だたる歌劇場で主役級の役を務めた実績がある、よくこんなすごい彼女を呼べたなと思った
  • ムゼッタ役のイローナ・レヴォルスカヤ(Ilona Revolskaya)も美貌で役柄に合っていた、ただ、ムゼッタが歌う場面はそれほど多くないので歌唱力は判断できなかった、また、彼女はまだ実績は少ないようだが将来が楽しみである

  • ロドルフォ役の工藤和真であるが、歌はうまいと思ったが、貧乏なボヘミアン役なのに太目な体形であることが如何なものかと思った、日曜日に放送中の「坂の上の雲」で正岡子規を演じていた香川照之は闘病中の子規を演じるのに、本当に病気になったのではないかと思わせるような痩せぶりだったのには驚いたし役者根性を見た思いがした、オペラ歌手は単なる歌手ではなく役者でもあるのではないか

楽しめました


上野界隈で買い物

2025年01月12日 | お出かけ・国内旅行

この日は都心で眼の定期検診、今日は視力、眼圧、眼底写真による検査、眼圧が普段より高かったが、昨年も1月に検査した時に同じくらいの高さだったため様子見となった、眼圧は一日の中でも季節によっても変化するという、自分で測定できないし、高いとわかったところで生活習慣を改めれば低くなるというものでもなく、困ったものだ

新年早々ガッカリ気分で医者を後にし、帰りの途中の上野駅で降りて、駅構内と谷中界隈を歩きながら買い物をした

駅構内では軽井沢のパン屋のブランジェ浅野屋に行き、テレビで紹介されましたと言う札がついて山積みされていた「軽井沢レザン」というパン388円を一つ買ってみた

このパンはラム酒漬レーズンをたっぷりと加えたふんわりと甘いぶどうパンをフランスパン生地でまるごと包み焼き上げたもので、発売から30年以上のロングラン商品だそうだ、翌朝さっそくトーストにして食べてみたがおいしかった、ただちょっとパサパサした食感がしたので、サンドイッチなどで食べたほうが良いかもしれない

次に駅を出て、谷中の方に行き、夕焼けだんだんから延びる谷中銀座商店街をブラブラ歩き、これもテレビに出たのでしょうか、有名芸能人の色紙がいっぱい出ていた店で一番の売れ筋というメンチを2つ買った

次に、同じ谷中銀座商店街の中のフランス焼き菓子フロランタン(Florentins)の専門店、「アトリエ ド フロレンティーナ」に行ってみた、店員さんに聞いてみるとこの店はできてから8年目だそうだ

フロランタンはメディチ家の姫がフランス王のもとへ嫁ぐ際にフィレンツェから伝えられたお菓子、フロランタンとはフィレンツェのフランス語

狭いながらも上品なたたずまいの店は谷中銀座の雰囲気には合っていないような気がするが、中に入ると商品棚には思っていたよりかなり小さなフロランタンがラップにくるんでおいてあった、全部で数種類の味があるので、その中で3種類選んで2つずつ買ってみた、一つ220円くらいだった

小さな店でそんなに客が入っているわけでもなく、採算は合っているのだろうかとつい考えてしまう、味の種類はあるが、大きさはこのサイズのみだったのが気になる、最近日経新聞で取り上げられていたので大丈夫だと思うが頑張ってほしい

帰宅してさっそく、3時のお茶で味わったがおいしかった

お疲れ様でした