登山における究極の快(フロー)とは
それぞれの個の実力にみあったちょうどよい挑戦にあたいする登りかただと確認する。
それ以上だと不安になるし、それ以下だと退屈になる。 という。
登山者はでも日々進化するものだし、その丁度に値する登山もそれにともなって日々変化していく。だとすると、わたしの登山のフロー体験は意識できる意味としてどんな感じなんでしょうか?とりあえず感覚としては、不安になる直前のぎりぎりの登り、もしかして不安感のなかにすこし入ったところが、もっとも緊張感があってもっとも充実できる登りになるんでしょうな。今年は、雪の不安、自己の体力の不安等等、そこいらへんと仲良くつきあいながらこれからもフロー体験をしたいな。山に取りつかれた人とはフローの世界を知った人でしょう、たとえそれがデスゾーンであったとしても・・・・・・