すべってころんで{俳句を拾う}山頭火-,いかにも単なる趣味ではできないであろう。彼が彼の知友に宛てて、山中迷路、転倒困苦のありさまを書き綴る時、そこには充実感ともいえるある種の心境が存在したようにも思われてくる。
遠くなり近くなる水音の一人
道が分からなくなり啼く鳥歩く鳥 (木下信三著 山頭火の細道から)
実際の山行きでも同様の感慨があるが、この世を徘徊しているわが身も映されているような気分になってきました。
すべってころんで{俳句を拾う}山頭火-,いかにも単なる趣味ではできないであろう。彼が彼の知友に宛てて、山中迷路、転倒困苦のありさまを書き綴る時、そこには充実感ともいえるある種の心境が存在したようにも思われてくる。
遠くなり近くなる水音の一人
道が分からなくなり啼く鳥歩く鳥 (木下信三著 山頭火の細道から)
実際の山行きでも同様の感慨があるが、この世を徘徊しているわが身も映されているような気分になってきました。
だいぶん黄色くなったページをめくりながら「山頭火の細道」を再読する。
俳句という世界もすごいもんだったんだな~・・・・。
言葉にたいしてそれほどの知識もないし、能力もないんですが、読んでるとだんだんすくなくとも必然を感じてしまう。
世界は(立ってる位置)はちがっても、その必然からでる詩はやっぱり深いところをうごかされます。
ここから越後路のまんなかに犬がねている
また見ることのない山が遠ざかる
けふはけふの道のたんぽぽさいた
若年に読んだ本を再読してみる。
祖谷北面からおよそ一ヶ月ぶりに中津峰。
登り大またで歩をすすめるといつもとちがったところに負担がかかる、まだまだ疲れが抜けてない感じ。
ここんとこ大酒が続いたのが原因か? いやいや全体に体力が落ちてしまった。
近郊の山で赤テラさんにもお会いできました。やっぱ鍛えてますね~。またご一緒にいい山を。
公方さまがいってました(山行)平家平~青の塔やってみたいな。 脚が回復することを念じて。
山では自然との関係が直接になる。
平素、私達は太陽や風や雨や、その他の自然とは間接の関係を作っている。強すぎる太陽には窓に日よけをつけ、風が強くなれば戸を閉ざす。逃れる場所、遮断するものが山にはない。
*
強い風は踏み出す足元を狂わせる。そして重心を失わせる。
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この荒々しく襲いかかる自然については常に計算に入れておかねばならないのに、人は自らの失敗の原因を山に来ても、ほかになすりつけようとする。
*
この思いあがりに気づき、失敗のすべての原因が自分にあったことを認めるようになれば、山の歩き方も変わる。山に対して謙虚になる。すると山が優しい存在となる。(孫一曰く)S.59年11月
忘れてました。山風呂から見上げる竜ヶ岳の岸壁のすばらしかったこと、
高度がないので木々が多いもののあの絶壁は面河の亀腹の岩よりスゴイと感じました。
ちょうど朝焼けに染まって深山の雰囲気たっぷりだった。まだまだどんどん発見です。
(連休山行のお土産話)