No Room For Squares !

レンズ越しに見えるもの または 見えざるもの

ここに来れて良かった

2025-01-18 | 街:福島









福島県の旧・東和町(現・二本松市)の写真である。福島遠征シリーズ最後の写真だ。東和町といってまず思い浮かぶのは、岩手県の旧・東和町(現・花巻市)だ。土沢という大好きな街があるところであり、もう頭の中で地図を再現することだって出来る。僕の中では至高の東和町である。また宮城県にも旧・東和町(現・登米市)があった。登米市は9つの町が合併して出来た市である。当然すべての町に行ったのだけれど、旧・東和町がどんなところだったのか正直覚えていない。そして今回は福島の旧・東和町。それなりに雰囲気のある町だったことは間違いない。でも一月もしたら他の町と区別が付かなくなっていると思う。これはもう仕方ない。町を軽視はしていない。僕の記憶容量が限られているのだ。全ての町を鮮明に記憶することは不可能である。だから僕は写真を撮る。写真を見れば、なんとなくだとしても、その町を訪れたときのことを思い出すことができる。

福島を訪れる人は数え切れないほどいても、二本松市にある旧・東和町の町並みを歩き、写真を撮った人間はそう多くない。その事実に謎の達成感を覚えるのである。もしかしたら、もう二度と行かないかもしれない町。一期一会に相応しい振る舞いが出来たのか甚だ自信はないけど、ここに来れて良かったと思う。


X-PRO3 / XF23mmm F2R WR
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シカゴ郡山(終)〜 さようなら郡山

2025-01-17 | 街:福島



















前段が多くなったが、いよいよ郡山の夜。時間帯と場所にもよるだろうが、街は以前のような騒々しいイメージはなかった。僕が歩いた場所では呼び込みなどの姿も見かけなかった。チェーン店、地場店、様々な店もあった。ここが出張で泊まった場所であれば、特に不満はないだろう。でも今回は忖度なしの評価をする。これは街自体の評価ではなく、僕と街の相性に対する評価である。結論からいえゔぁ、今後の福島訪問で郡山を拠点にすることはないと思う。位置的にも交通的にも絶妙な場所であることは確かだ。過不足なく夜を楽しむこともできるだろう。でも過不足なく夜を楽しむために泊まるわけではないのである。今回は楽しかったにしろ次は無いと思う。拠点とするには、いささか賑やか過ぎた。もう少し落ち着いた街で、ボロ宿を探すことにしよう。その気持とシンクロしたのか、撮影した写真は通常の夜の3分の1以下であり、出来栄えもパッとしなかった。今後、鄙びた町を拠点にすれば、また郡山のような街に来たくなることもあるかもしれない。それでまでは、さようなら郡山。

X-PRO3 / XF23mm F2R WR


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シカゴ郡山②〜風情の残り香

2025-01-15 | 街:福島









僕が持っていた郡山の騒々しいイメージ。駅前の繁華街には客引きが溢れ、平均すれば10メートル毎に一人が声を掛けてくる。もう四半世紀前の出張時のことである。確かに当時はそういう繁華街が多かった。それにしても郡山の客引きは見るからに胡散臭く、無下に断ると悪態をついてくる始末だった。それが鬱陶しく食事をする店選びも適当になり、美味しいものを食べた記憶もない。食事が終われば、下世話な風俗店の呼び込みがまた付いてくる。きっと今でもそうなんだろうと思っていた。

まずは陽の高いうちに繁華街の町並みを撮ろう。西陽が差す町に繰り出した。うん、まあ昼間は普通の街だ。何となくだけど、素っ気ないビルが乱立した繁華街だとばかり思っていた。意外なことに古い昔ながらの飲食店(の建物)も残っていた。もっとも十年くらい前に営業を辞めたような店が多かった。かつて僕が歩いた四半世紀前には現役バリバリだった店だ。そういうイメージは記憶にないので、意外だった。当時は僕も若く、わざわざ小料理屋に行くようなこともなかった。現在住む秋田県と比べ明らかに陽射しの強い空を眺めながら、今と昔に思いを馳せつつ街を歩くのだった。半分崩壊した飲み屋横丁など、郡山が僕に残してくれた置き土産かもしれない。そんなことを思った。

X-PRO3 / XF23mm F2R WR



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シカゴ郡山①〜イメージからの脱却

2025-01-14 | 街:福島


福島県郡山市である。今後、福島コンプリートを進める上では、拠点となる地(宿泊地)が必要だ。岩手県では花巻の鉛温泉が、宮城県では鳴子温泉がその役を果たしてきた。広大な福島県を廻るには、郡山を中継地とすれば効率が良い。そう見当をつけている。郡山には前職の京都での会社員時代にも何度か出張で訪れている。正直、風情に欠けた騒々しい街というイメージだった(郡山市民の方、すいません)。東北のシカゴという異名を持ち(シカゴ市民の方もすいません)、治安もよろしくないと聞く。東北に移住してからも何度かは来ているが、正直敬遠していたのが実情だ。

そんな郡山で宿を取り、写真を撮った。街の雰囲気は実際、どうだったのか。一切の忖度なしで書こうと思う。詳細は次回以降にて。ちなみにタイトルは「パリ、テキサス」をもじったもので、「シカゴ、コオリヤマ」・・・。

X-PRO3 / XF23mm F2R WR
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福島コンプリート経過報告〜川俣町の光景

2025-01-13 | 街:福島









福島方面に一泊二日の遠征に行ってきた。それは旅行(物味遊山)ではない。便宜的に「旅」とも表現するが、少し違うような気もする。今後も増えるであろう福島方面への外出、つまりは東北コンプリートへの挑戦は、「遠征」という表現がしっくりくる。今回の道中では、5つの新たな町を巡った。①川俣町、②大玉村、③旧・白沢村(本宮市)、④旧・岩代町(二本松市)、⑤旧・東和町(二本松市)の5つである。全く全貌の掴めなかった福島コンプリートも道筋は見えてきた。それでも全92市町村に対し、現状では約35の市町村にしか行けていない。ほぼ日帰りは不可能なので、拠点となる宿(温泉付きのボロ宿が理想)も確保しないと達成は無理だろう。

今回の遠征は大雪の最中であり、道路事情も心配された。でもそんなことを心配していては到底コンプリートなど達成できない。以前は大雪の中に移動し、夜中に帰宅することだってあった。もはや雪道の運転だけは北国の男となった僕は意を決して遠征に出発した。改めて分かったことは東北は広大だということだ。秋田県と山形県の一部は大雪で遭難するかと思ったが、宮城、福島はあまり雪は降っていなかった。まあコンプリートまでは数年単位の時間はかかるので、慌てずに進めていく。今日は「川俣町」の写真を掲載する(すべての町の写真を掲載するわけではありません)。


X-PRO3 / XF23mm F2R WR


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喜多方ラーメンの哀歌(エレジー)

2024-09-16 | 街:福島









僕は喜多方の町が大好きだ。事ある度に立ち寄っている。今回も旅の岐路に立ち寄った。喜多方ラーメンの老舗「あべ食堂」のラーメンを食べようと決めていた。行列ができる有名店で、その行列に並ぶ根気がなく、一回も食べたことがなかった。一度、台風の時だったか、コロナ禍だったか、喜多方に立ち寄った際に、最大のチャンスがあった。実はどうせ混んでいるだろうと別の店でさっさとラーメンを食べた。食後に散策すると、あべ食堂に行列はなかった。滅多にない奇跡だ。喜多方ラーメンはあっさりしているので、2杯くらいは食べることはできると思う。だが僕はカロリーとか塩分のことを思い悩み、絶好の機会を逃してしまった。どこかで「ここで食べないと一生食べることが出来ないかも」という想いがあった。

今回はそんな想いを払拭すべく、例え1時間でも並んで食べようと、並々ならぬ覚悟を決めていた。そして店に行くと・・・・。嗚呼、営業していない。というか店は廃業していた。知らなかった。移転したのかもと思ったけど、聞けば間違いなく廃業だった。仕方なく僕はいつも通りの喜多方の町の巡回を続け、いつも通りの写真を撮り、あべ食堂の代わりに別の知らない店に入った。こうして旅のおまけも終わってしまった。

追伸:代わりに入った店でのことである。外から見ればラーメン店だけど、既存の別店舗と内部で繋がっていて、どちらも高齢の店主がみていた。若い女性の先客がいた。聞くともなしに聞こえる会話から、いまは県外に出ている元地元民で、店主とは小さな頃から顔馴染みのようだった。女性客は「おじちゃんがラーメンやるなんて思わなかった。凄いね」という意味のことを言っていた。それに対するおじちゃんの応えが衝撃的だった。
「何にも凄くないよ。指導するコンサルタント(多分商工会?)はいるから、誰でも作れるようになる。メニューなんかも考えてくれる。でも本当のラーメン屋は喜多方でも数えるほどで、うちみたいな店は底辺中の底辺だ。客も知らずに来る観光客くらいで(おい!)、数人しか来ない日ばかりだよ。本当にゼロの日だってある。正直、味も底辺だから仕方ない」。・・・・。確かにそうかもしれない。そして自虐ユーモアで大げさに言ったのかもしれない。でも数少ない客である僕がいる前では言うなよ(笑)。でも、おじちゃん。言うほど悪くなかったよ。専門店からの高品質麺はいまいちだったけど、スープは独特のコクがあった。この揺らぎが食の面白さでもある。

X-PRO3 / XF23mm F2R WR
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会津の奥を目指す旅(終)~世に三島は四つあり

2024-09-14 | 街:福島









僕は西伊豆の出身で、現在は秋田県に住んでいる。伊豆には伊豆長岡町(現・伊豆の国市)という町がある。新潟県長岡市と区別するためのネーミングだと思う。また秋田県には湯沢市という町があり、新潟県には湯沢町という町がある。新潟の湯沢町は「越後湯沢」と称されることが多い。これも区別のためである。僕が知る限り、三島という名のつく市町村は、①愛媛県の伊予三島市、②福島県の三島町、③鹿児島県の三島村、④静岡県の三島市の4つである。他に地区名や市町村内の町名などでは沢山あると思う。状況によっては、静岡の三島市は「伊豆三島市」になった可能性があるし、福島の三島町は「会津三島町」になった可能性もある。何となくだけど、三島と名のつく町は須らく良い町で、水の綺麗なところだと思っている。僕は行く先に、例え小さな集落名であっても、三島という町を見つければ必ず立ち寄るようにしている。

そんなわけで会津の三島町に来た。先へ先へと延びる道。両脇に建つ木造の大きな家屋たち。かつて人々はここを歩いて移動したのだなと容易に想像できる。街道特有の町並みに魅了される。ここはモノクロで撮った。今回の旅では全体の3割くらいはモノクロで撮影したいと思っていた。でも会津の「色」にやられてしまい、三島町が唯一のモノクロ撮影である。こういう時にライカM10モノクロームのようにモノクロ専用機だと悩まなくて済む。例え、色に未練があってもモノクロしか撮れないのだから、嫌でも頭がモノクロモードになる。でもライカはもう手元にない。フジフィルムでもモノクロ専用機を出してくれないかなーと思っている。どことなく色に未練の残る写真になってしまった。次の旅では、この辺りを修正したいと思う。

さて、全4回(+番外編)で掲載した「会津の奥を目指す旅」もこれで終了となる。東北コンプリートも終盤に入り、完全なる未知の町は数えるほどしか残されていない。奥会津は残り少ない未知なる場所という意味であり、心わくわくする旅だった。今回は三島町で終えたが、その先にまだ町は残されている。クルマの運転距離は長くなったけど、わくわく感が勝り、思ったよりスムーズな旅だった。会津奥地への旅は近いうちに再開されるだろう。


X-PRO3 / Voigtlander NOKTON 23mm F1.2 Aspherical

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会津の奥を目指す旅(番外編)~緑の会津

2024-09-13 | 街:福島



会津旅シリーズは次回が最終回となる。今回は番外編である。僕は町並みを偏愛し、自然風景などはあまり撮らない。もちろん自然風景が嫌いということではない。うまく撮ろうという意思と努力と技術がないだけである(ほぼ全てないわけだけど)。今回は只見川(またはその支流)沿いにクルマを進め、折に触れ美しい光景が目に入った。少し山を昇れば、JR只見線の橋梁のビュースポットなどもあった。列車通過時間と合わなかったので行かなかったけど、きっと絶景だったと思う。只見川も夕景とか、あるいは朝靄に包まれる早朝は、えも言われぬ美しさに違いない。そういう特別な光景は撮れなかった。それでも適当にクルマを停めて、パシャっと撮るだけでも十分美しい緑の光景があった。会津は山と川と緑、冬には雪を抜きには語れない土地だと思った。



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会津の奥を目指す旅③~赤べこ伝説発祥の地

2024-09-12 | 街:福島









初日の最終目的地は柳津町。柳津町は「赤べこ」発祥の地である。今から400年前に、この地域は大きな地震に襲われた。お寺(圓蔵寺)の本堂を再建しようとすると、どこからともなく大きな赤い牛たちが現れ、木材の運搬などに力を尽くしてくれたという。福を呼ぶ牛「赤牛(べこ)」として、人々から慕われるようになった。現在では首を振る可愛い赤べこの玩具となり、人気がある。そんな柳津町は本当に美しい町だった。町の真ん中に只見川が流れる。水鏡のように橋梁が映る姿には目を奪われた。町並みも素晴らしかった。

柳津町の中心部はコンパクトである。端から端まで歩いてもさほど時間は掛からないはずだ。どこをどう歩いたのか、気づけば相当な時間が経っていた。青空の下にあった橋梁は、帰る頃には夕焼け空の下だった。この柳津町で宿を取り(今回は写真は割愛する)、翌日に備えるのであった。

X-PRO3 / Voigtlander NOKTON 23mm F1.2 Aspherical
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会津の奥を目指す旅②〜街道を西へ向かえ

2024-09-11 | 街:福島









会津坂下町から進路を南西(南南西)に取れば、奥会津へと向かうことになる。その前に一旦、真西へと向かう。そこにあるのは西会津町である。西会津町も宿場町(街道町)として栄えたところで、新潟県との県境に位置している。すぐ先には阿賀町がある。阿賀町は現在は新潟県の町だが、江戸期には会津藩の領地であった。嗚呼、町歩きには歴史の勉強も必要なのかと愕然とする。僕は歴史には疎い。でも知っていれば、また別の何かが見えてくるのも事実である。いつかここから新潟方面に抜けなければと思いつつ、趣のある町並みを眺めるのであった。ちなみに「ルービンリキ」の酒屋さんは、ここ西会津町で見つけたものだ。モノクロで撮るという当初の予定を変更し、カラーで撮影した。色に魅惑されてしまったからだ。西会津町は会津坂下町よりも湿度感があり、ぬめっとしている。冬の積雪期には全く異なる顔を見せるだろう。それはもしかして、津軽を連想させるような光景かもしれないし、新潟の豪雪地帯に似ているのかもしれない。見てみたいけど、ハードルは高そうだ。いつまでも想像に浸っていたいけど、次なる町へ。さあ、いよいよ南南西に進路を取ろう。

X-PRO3 / XF23mm F2R WR

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