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No Room For Squares !

レンズ越しに見えるもの または 見えざるもの

会津のしっぺ返し(終)~締めはラーメン

2025-04-03 | 街:福島








旅の最後の訪問地は、旧・新鶴村(会津美里町)である。当初の予定では更に北上して、旧・高郷村及び旧・山都町(共に現・喜多方市)に行く予定だった。寒さと道路の積雪への不安からとても行く気にはならなかった。旧・新鶴村にはJR(只見線)の駅が二つある。小さな村に駅が二つもあったことは驚きだ。一つは今回の写真の「新鶴駅」。もう一つは南隣にある「根岸駅」。横浜と同じ根岸である。しかも新鶴駅と根岸駅の間は約2kmと至近距離にある。根岸駅周辺には特に何もないので、どういう経緯で駅が存在するのかは分からない。20年くらい前のデータによると、一日の利用客素は25人だった。今はもっと少ないだろう。

そんなわけで写真は新鶴駅である。今は鶴(タンチョウ鶴含む)といえば、北海道以外ではごく限られた場所でしか見ることはできない。十年ほど前だっただろうか、1羽のタンチョウ鶴が北海道から秋田県に飛来し話題になったことがある。結局、それは単発で終わり、秋田県に鶴が定着することはなかった。でも江戸時代には割と日本全国各地に鶴は飛来したそうだ。鶴に関連する地名や逸話も数多く残っている。新鶴町はどのような経緯で「鶴」を名乗るようになったのだろうか。明治に新田村と鶴野辺村が合併して出来たというから、大体の想像はつく。恐らく旧・新鶴村で写真を撮るのは、今回一期一会だろう。町の来し方行く末に思いを馳せるのは渡世の礼儀である。そんなことを考えているうちに旅の終わりが近づいた。帰路の前に遅めの昼食、喜多方ラーメンを食す。寒さは撮影することの敵になった。その代わりにラーメンを十倍旨くした。帰りの大峠は問題なく通過できた。結局、旅の終わりは鶴ではなく、ラーメンだった。

X-T5 / XF23mm F2R WR

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会津のしっぺ返し④~春に浮かれるべからず

2025-04-02 | 街:福島







さあ、そろそろしっぺ返しである。その前に話は昨年に遡る。昨年は記録的な少雪の年だった。積雪が全くない日が続き、スタッドレスタイヤが激しく摩耗した。この春もまた磨耗するのではないか。そんな不安から今年は早々に夏タイヤに交換した。会津遠征にあたり、山形と福島の県境の山道は夏タイヤでは若干の不安があった。そこで事前に天気予報やライブカメラを調べたところ、問題ないだろうと判断した。実際、往路は全く問題なかった。

ところが翌朝である。宿の部屋のカーテンを開けると・・・。降っている・・・。割とはっきり降っている。地面に落ちるのと同時に雪は溶けている。それでも長時間降るにつれ、停車している車のフロントガラスが白くなってきた(あまりの動揺に写真を撮ることも忘れた)。福島と山形の県境を走る国道121号線、通称「大峠道路」をライブカメラで見ると霙(みぞれ)状の雪が道路に散見する。まずい・・・・。これはまずい・・・。猪苗代経由で福島に出たらどうだろうか。宿のスタッフに相談すると、親切にライブカメラなどを参照してくれた。今のままであれば多分大丈夫だけど、この後は分からない。もう僕は頭っが真っ白。普段あれだけ夏タイヤで雪道を走る首都圏ナンバーのドライバーを揶揄しているのに・・・。この降雪問題が「しっぺ返し」の第一派である。午後は天気が回復しそうなので、そこまで様子を見ることにした。

そんなわけで辿り着いたのが、ここ旧・河東町(会津若松市)である。そそる町並みだった。芦ノ牧温泉を出て北上すると、降雪というより小雪が舞う程度の天候となり、時折陽も差すようになった。安堵したところに二つ目の試練が課される。寒い・・・。寒いのである。気温は氷点下1~2℃だった。それほどの気温でもないが、僕はジーンズに薄手の上着。そしてユニクロのパーカーという薄着だった。通常、車で旅する場合は上着を複数用意する。それが今回に限り、持参し忘れたのである。せめて喫茶店で暖を取ろうと思ったが、そんなものは無かった。結局、早々に撤退するしかない。

そもそも僕は秋田県から来たわけだし、雪にも雪道にも慣れている。気温だって多少の寒さなら耐えれる筈だ。ところがタイヤは夏タイヤ、服装は薄着とくればどうしようもない。春気分で浮かれてんじゃねーよ。会津の春はもう少し先だぜ。そう言われたのかもしれない。写真を撮りたい気持ちより、寒さを避けたい気持ちが勝った。何のオチもないけど、次回は旅の最終回となる。


X-T5 / XF23mm F2R WR

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会津のしっぺ返し③〜温泉街、香ばしさ極まる

2025-04-01 | 街:福島











今回の旅の宿は、会津芦ノ牧温泉である。初めての宿泊となる。同じ会津若松市にある「会津東山温泉」には何度も行っている。そちらは会津藩の奥座敷として栄えた温泉であるのに対し、芦ノ牧温泉の方は元々は地元の人が利用する温泉場であったらしい。東山温泉も廃業した旅館が廃墟化しているが、芦ノ牧温泉の方はそれを遥かに上回る(?)廃れ具合である。以前は写真の2〜3枚目に写る土産物店の横にストリップ劇場があった。気になってはいたが、そのうちに廃業したというニュースを聞いた。建物は残っていたので、いつか行って撮影しようと考えていた。考えているうちに建物も解体されてしまった。

今回は宿の写真などは掲載しない。夕方に到着してから散策した温泉街の様子である。夜も歩いてみようと当初は思っていた。でも散策してみた結果、夜に営業している店は殆どないだろうと分かった。確かに温泉街は廃れている。でも僕は、もっと廃れている温泉街だって知っている。廃れた部分と現役の温泉街は渾然一体となり、えもいわれぬ香ばしさだった。夜は久々の温泉に浸かり、ゆっくりと過ごした。良い湯だった。前日の深酒の影響もあり、早々に眠りにつくのであった。翌日があんなことになるとも知らず・・・。

X-T5 / XF23mm F2R WR


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会津のしっぺ返し②〜知られざる焼き物の里に来た

2025-03-31 | 街:福島









最初の町である旧・塩川町を皮切りに、2つ目の湯川村、3つ目の旧・北会津村(現・会津若松市)と巡り、最後の訪問地である旧・会津本郷町(現・会津美里町)まで来た。表題の「しっぺ返し」とは、僕が会津のことを舐めてかかったことの代償を意味する。舐めたことの1つ目は「雑さ」である。旅の前日、僕にはどうしても欠席できない仕事上の飲み会があった。早々に退出するつもりだったが、事情により最後まで残ることになり、ついつい深酒をしてしまった。翌朝、午前5時にアルコールチェッカーで図ると、「0.02」の数値を指した。酒気帯び運転は0.15以上からだけど、「0」ではないことは好ましくない。午後7時には数値は「0」になったものの、念には念をおして、僕は午前10時まで出発を遅らせることにした。

初日には前述の町に加え、磐梯町と旧・河東町(現・会津若松市)に行く予定だった。時間の関係でそれは断念した。湯川村と旧・北会津村にも、単にその地に行った記録を残しただけだ。こういう姿勢が会津を舐めていると反省した点である。それでも兎に角、会津本郷町まで来た。会津若松市の西隣にあった小さな町だ。平成の大合併で、会津高田町、新鶴村と合併し、会津美里町となった。会津本郷焼きという焼き物の里でもある。会津本郷焼は鶴ヶ城の屋根瓦製造が始まりで、後に職人を有田焼の里に潜入させ、その技術を習得したという。江戸版の産業スパイである。興味深い町であるが、駆け足で複数の町を廻ってきたので、正直どこがどこだか分からなくなった。差別化するために、ここはモノクロで撮影したが、やはり分からなくなった(笑)。これでは「会津のしっぺ返し」が来ても仕方ない。続く。

X-T5 / XF23mm F2R WR

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会津のしっぺ返し①〜小魚の光り物のような町

2025-03-30 | 街:福島











実のところ、粛々と東北コンプリートを進めている。なかなか時間は取れないけど、僕のお小遣いは「プライスレス」なコンプリートに集中され、他には殆どお金を使わなくなった。可能であれば、月に1回の遠征を続けていきたい。コンプリートに拘り過ぎると、未踏の町を廻ることだけが優先され、近くにある「おいしい町」を素通りすることになる。これを寿司屋に例えると、通を気取るために「コハダ」とか光り物、酢の物ばかりを注文し、鮪の中トロとかウニは我慢することに似ている。もちろん中トロやウニばかりが寿司ではない。だがコハダばかりでは物足りないのは必然で、中トロやウニが別格に旨いのも事実である。今回は会津方面に遠征し、会津若松市と喜多方市の旧町村部を廻ってきた。宿泊は会津芦ノ牧温泉(激安プラン)で、会津若松と喜多方の中心部(中トロとウニ)には行かなかった。今回の訪問で、入り組んだ周辺の未踏町村が大分整理され、福島コンプリートの道筋が見えつつある。

さて、まず最初の訪問地は、旧・塩川町(現・喜多方市)である。こんなことを言っては叱られるかもしれないが、一体どれだけの人が「旧・塩川町」の存在を知っているだろうか。簡単にいえば喜多方市と会津若松市の間に挟まれた小さな町である。面積は約46平方kmで、これは東京都練馬区とほぼ同じといえば分かりやすいと思う。行ってみたところ、思いの外に町並みがしっかりとしていて驚いた。もっと何もない場所だと思っていた。阿賀川の水運、そして米沢藩との交易で栄えた町であるらしい。いきなり大将オススメの極上コハダが出てきた。どうも僕は会津のことを軽く見ていたのではないかと今になって考え始めた。会津は山間の孤立した地域というイメージを持っていたが、どうやら違うようだ。町の並びも分かり始めた今、もう一度会津の歴史や文化について学ぼうと思っている。今回は準備不足の上に、舐めた態度でむかったため、あとで「しっぺ返し」を喰らうのだけど、それは後の話。まずはディープな会津を堪能した。

X-T5 / XF23mm F2R WR


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ここに来れて良かった

2025-01-18 | 街:福島









福島県の旧・東和町(現・二本松市)の写真である。福島遠征シリーズ最後の写真だ。東和町といってまず思い浮かぶのは、岩手県の旧・東和町(現・花巻市)だ。土沢という大好きな街があるところであり、もう頭の中で地図を再現することだって出来る。僕の中では至高の東和町である。また宮城県にも旧・東和町(現・登米市)があった。登米市は9つの町が合併して出来た市である。当然すべての町に行ったのだけれど、旧・東和町がどんなところだったのか正直覚えていない。そして今回は福島の旧・東和町。それなりに雰囲気のある町だったことは間違いない。でも一月もしたら他の町と区別が付かなくなっていると思う。これはもう仕方ない。町を軽視はしていない。僕の記憶容量が限られているのだ。全ての町を鮮明に記憶することは不可能である。だから僕は写真を撮る。写真を見れば、なんとなくだとしても、その町を訪れたときのことを思い出すことができる。

福島を訪れる人は数え切れないほどいても、二本松市にある旧・東和町の町並みを歩き、写真を撮った人間はそう多くない。その事実に謎の達成感を覚えるのである。もしかしたら、もう二度と行かないかもしれない町。一期一会に相応しい振る舞いが出来たのか甚だ自信はないけど、ここに来れて良かったと思う。


X-PRO3 / XF23mmm F2R WR
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シカゴ郡山(終)〜 さようなら郡山

2025-01-17 | 街:福島



















前段が多くなったが、いよいよ郡山の夜。時間帯と場所にもよるだろうが、街は以前のような騒々しいイメージはなかった。僕が歩いた場所では呼び込みなどの姿も見かけなかった。チェーン店、地場店、様々な店もあった。ここが出張で泊まった場所であれば、特に不満はないだろう。でも今回は忖度なしの評価をする。これは街自体の評価ではなく、僕と街の相性に対する評価である。結論からいえゔぁ、今後の福島訪問で郡山を拠点にすることはないと思う。位置的にも交通的にも絶妙な場所であることは確かだ。過不足なく夜を楽しむこともできるだろう。でも過不足なく夜を楽しむために泊まるわけではないのである。今回は楽しかったにしろ次は無いと思う。拠点とするには、いささか賑やか過ぎた。もう少し落ち着いた街で、ボロ宿を探すことにしよう。その気持とシンクロしたのか、撮影した写真は通常の夜の3分の1以下であり、出来栄えもパッとしなかった。今後、鄙びた町を拠点にすれば、また郡山のような街に来たくなることもあるかもしれない。それでまでは、さようなら郡山。

X-PRO3 / XF23mm F2R WR


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シカゴ郡山②〜風情の残り香

2025-01-15 | 街:福島









僕が持っていた郡山の騒々しいイメージ。駅前の繁華街には客引きが溢れ、平均すれば10メートル毎に一人が声を掛けてくる。もう四半世紀前の出張時のことである。確かに当時はそういう繁華街が多かった。それにしても郡山の客引きは見るからに胡散臭く、無下に断ると悪態をついてくる始末だった。それが鬱陶しく食事をする店選びも適当になり、美味しいものを食べた記憶もない。食事が終われば、下世話な風俗店の呼び込みがまた付いてくる。きっと今でもそうなんだろうと思っていた。

まずは陽の高いうちに繁華街の町並みを撮ろう。西陽が差す町に繰り出した。うん、まあ昼間は普通の街だ。何となくだけど、素っ気ないビルが乱立した繁華街だとばかり思っていた。意外なことに古い昔ながらの飲食店(の建物)も残っていた。もっとも十年くらい前に営業を辞めたような店が多かった。かつて僕が歩いた四半世紀前には現役バリバリだった店だ。そういうイメージは記憶にないので、意外だった。当時は僕も若く、わざわざ小料理屋に行くようなこともなかった。現在住む秋田県と比べ明らかに陽射しの強い空を眺めながら、今と昔に思いを馳せつつ街を歩くのだった。半分崩壊した飲み屋横丁など、郡山が僕に残してくれた置き土産かもしれない。そんなことを思った。

X-PRO3 / XF23mm F2R WR



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シカゴ郡山①〜イメージからの脱却

2025-01-14 | 街:福島


福島県郡山市である。今後、福島コンプリートを進める上では、拠点となる地(宿泊地)が必要だ。岩手県では花巻の鉛温泉が、宮城県では鳴子温泉がその役を果たしてきた。広大な福島県を廻るには、郡山を中継地とすれば効率が良い。そう見当をつけている。郡山には前職の京都での会社員時代にも何度か出張で訪れている。正直、風情に欠けた騒々しい街というイメージだった(郡山市民の方、すいません)。東北のシカゴという異名を持ち(シカゴ市民の方もすいません)、治安もよろしくないと聞く。東北に移住してからも何度かは来ているが、正直敬遠していたのが実情だ。

そんな郡山で宿を取り、写真を撮った。街の雰囲気は実際、どうだったのか。一切の忖度なしで書こうと思う。詳細は次回以降にて。ちなみにタイトルは「パリ、テキサス」をもじったもので、「シカゴ、コオリヤマ」・・・。

X-PRO3 / XF23mm F2R WR
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福島コンプリート経過報告〜川俣町の光景

2025-01-13 | 街:福島









福島方面に一泊二日の遠征に行ってきた。それは旅行(物味遊山)ではない。便宜的に「旅」とも表現するが、少し違うような気もする。今後も増えるであろう福島方面への外出、つまりは東北コンプリートへの挑戦は、「遠征」という表現がしっくりくる。今回の道中では、5つの新たな町を巡った。①川俣町、②大玉村、③旧・白沢村(本宮市)、④旧・岩代町(二本松市)、⑤旧・東和町(二本松市)の5つである。全く全貌の掴めなかった福島コンプリートも道筋は見えてきた。それでも全92市町村に対し、現状では約35の市町村にしか行けていない。ほぼ日帰りは不可能なので、拠点となる宿(温泉付きのボロ宿が理想)も確保しないと達成は無理だろう。

今回の遠征は大雪の最中であり、道路事情も心配された。でもそんなことを心配していては到底コンプリートなど達成できない。以前は大雪の中に移動し、夜中に帰宅することだってあった。もはや雪道の運転だけは北国の男となった僕は意を決して遠征に出発した。改めて分かったことは東北は広大だということだ。秋田県と山形県の一部は大雪で遭難するかと思ったが、宮城、福島はあまり雪は降っていなかった。まあコンプリートまでは数年単位の時間はかかるので、慌てずに進めていく。今日は「川俣町」の写真を掲載する(すべての町の写真を掲載するわけではありません)。


X-PRO3 / XF23mm F2R WR


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