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No Room For Squares !

レンズ越しに見えるもの または 見えざるもの

お酒の量の闇

2025-04-11 | その他


居酒屋とかレストランで「とりあえず生中!」とビールを注文し、出てきたジョッキが小さくてドン引きすることがある。グラスビールとして考えても小さすぎて困惑したこともある。「生中」には厳密な定義が存在しないので店によってマチマチである。言ってみれば「ご飯大盛り」と同じであり、その店の中での大中小なのである。これが日本酒の場合となると、かなりバラツキは抑えられる。1合=180mlだけど、飲食店などでは実質容量が150ml位のグラスなり徳利を使うケースが多いという。そもそも江戸時代から米屋の桝は微妙(?)な調整がされていたと聞くし、この程度であればムキになることでもない。

少し前に弘前に行ったとき、居酒屋で「陸奥八仙」を頼んだ。僕は心房細動の手術を受けて以来、基本的に酒は2合まで(医者は1合というが)、旅などの一時的な例外としても3〜4合の範囲に抑えようと思っている。陸奥八仙はぐい呑で提供された。最初これは多分、90mlなんだろうなと思った。でも並々と注いであるので、もしかしたら120mlかもしれない。そこで僕は女将らしき人に質問した。「これは実質的な量としては何mlくらいですか」。量が少ないとケチをつけたのではない。その後に呑む酒の量が決まるからだ。でも言い方が良くなかったのかもしれない。女将は異様に動揺し、一度奥に引っ込んだ。カウンターの大将が「小さく見えるかもしれませんが、1合ぐい呑なんです。だから180mlです」と言った。いやこれ180mということはないだろうと思ったが、特に気に留めず次の注文を決めようとメニュー表を眺めた。メニュー表を良く見ると確かに「1合でのご提供」と書いてあった。僕がメニュー表を眺めていると今度は大将が動揺し、前掛けを外し外に一服に向かったようだった。虎の尾を踏んだようで、僕も困惑した。量の問題を差し引いても値段は決して高くなかったし、酒も料理も旨かった。僕は満足して楽しんでいたのだが、クレームだと思われたようで申し訳ない。でも写真を見返すと、確かに小さい(笑)。21世紀、令和の世になっても計量の闇は継続しているようだ。今回のぐい呑も、180 mlには流石に無理がある。90mlとは言わないがせめて120ml、どんなに話を盛っても150 mlとすれば良かったのかもしれない。何度も言うけど、旨かった。


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裏八仙、忖度なしの感想

2025-03-19 | その他

先々週の八戸行きで購入した「裏八仙」を飲んだ。陸奥八仙・純米大吟醸の生酒(無濾過)の限定版である。酒蔵で試飲したところ、衝撃的な旨さだった。酒は生酒よりも火入れをした方が旨いと思っているので、驚いた。家でじっくり飲もうと購入していた。味の話の前に「裏」銘柄について少しだけ書きたい。「裏◯◯」という銘柄は以前からあるけど、最近のトレンドは反転したラベルを貼り付けているパターンだ。島根の加茂福酒造の「死神」の場合はインパクトがあった。死神は独特のクセのある味わいの酒だ。死神という文字が反転している不気味な「裏死神」。おどろおどろしさとは真逆に端正な正統吟醸酒だった。ストーリー性もあるし、楽しい仕掛けだ。でも最近の反転ラベルの裏シリーズの乱発には、いささか辟易としている。辟易とするけれども、裏ものは大抵旨いので困ってもいる。

さて裏八仙に戻ろう。結論からいえば家で飲んでも旨かった。旨いのは当たり前なので、忖度なしの本音を追加する。少し酸味が強過ぎる。蔵での試飲のときは感じなかったので、ロットの問題なのか、保存の問題かもしれない。念の為、開栓してから二日ほど置いて、再度飲んでみたけど、やはり酸味が強かった。生酒なので当たり前といえば当たり前だけど、これはちょっと強すぎる。この1本だけでは分からないので、陸奥八仙の通常銘柄を1〜2本と、裏八仙をもう1本買うことにした。あくまで検証用です。それを隠れ蓑に飲みたいだけではないことを明記しておく(笑)。


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トゥーティッキのマグカップ

2025-03-06 | その他


一番お気に入りのマグカップである。朝のコーヒーはこれで飲む。当然ながら男は須らくスナフキンに憧れる。でももし僕が女であったなら、トゥーティッキに憧れたと思う。ブロ友のZUYAさんの記事を見て火が付いてしまった。やはりスナフキンのものも買おうと思う。スナフキンを毎日眺めるのは危険だろうか?

追伸:新レンズでも撮ったが、やはりこの距離感はGRの勝ちだった。

GRⅢ
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真空管が灯る夜

2025-03-01 | その他



トライオードの真空管プリメインアンプを使っている。以前はマッキントシュのプリとパワーを中心とした2chマルチアンプだったので、当然ながら格の違いはある。でもこれはこれで気に入っている。雪が深々と降る夜に真空管を灯らせ、ジャズを聴く。スピーカーも小さくなってしまったけど、それがコージーで良い。夏になると、今度は真空管の熱に悩まされることになる。いまはまだ真空管の夜を楽しみたい。
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さようならX-PRO3

2025-02-01 | その他


2019年の発売から丸5年以上、富士フィルムのX-PRO3を使ってきた。昨年カメラの大整理をした際に一度手放した。代替機がしっくりこず、結局再びX-PRO3を買い戻した。迷走している感があった、そして今回、またもやX-PRO3を売却し、今度はX-T5という機種を購入した。これらは全て下取り交換を利用しているので、実際の手出しのお金は少ない。今回の差額は6400円。つまり6400円払ってカメラを新機種(中古)に交換したわけだ。X-PRO3のリセールバリューは衰えを知らない。

X-PRO3はとても気に入っていた。もはや相棒レベルだ。でも液晶の稼働分の構造に問題があり、液晶が突然死するという致命的なリスクを孕んでいる。この件でアメリカでは巨額な集団訴訟まで起こされている。単なる個体差や運ではない。設計と構造の問題であり、どこかの時点かで必ず現象が発生すると考えて良い。僕の最初のX-PRO3も故障し、修理費に4万円ほど掛かった。大体4〜5万円の修理費が掛かるようだ。修理したところで、故障が再発する危険性は拭えない。それでも好きなカメラだから買い直してまで使い続けた。後継機種(X−PRO4?)がそろそろ発売される頃なので、それまで使えればと思っていた。ところが、いつまで経っても後継機は発売されない。このままだと、今回の個体にも故障が発生し、また修理費を払う羽目に陥るかもしれない。二回の修理費で合計10万円近く負担する。それだけは避けたい。要するにそういうことだ。多少、姿形は異なるが新たなX-T5は新型の機種である。写りもカメラの性能も格段に向上している。クラシックネガだって搭載しているので、これまで同様の描写を維持できるだろう。猫の撮影などは利便性が段違いになる。・・・・。なる・・・。

・・・・・。それでも割り切れない喪失感に包まれるのは何故だろう?。まさかの3回めの買い戻しにならないことを願おう。


追伸:これからX-T5のシェイクダウンに向かう。


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猫とポール・オースター(完)

2025-01-25 | その他


11月末から読み始めたポール・オースター最後の作品「4321」をやっと読み終えた。何故こんなに時間が掛かったのか。そもそも800頁、88万後の大作だからということもある。でも時間が掛かった理由は、単純に3回読んだからである。正確にいえば、異なる読み方で3回読んでいる。この本をこれから読む方もいるだろうから、それ以上の言及は避けよう。とにかく誰もが最低2回は読むことになる。そして僕は頭が混乱しているので、多分あと2回くらいは読むことになる。

ちなみに時間が掛かったもう一つの理由が今回の写真である。猫が自分に注目を集める為に読書の邪魔をする、そのことは一度ブログでも書いた。そのうちに猫は、この本を抱え込んだり、頁の上で寝たりするようになった。どけようとしても意地でも譲らず、その場所を死守する。最近では本を開くと同時に、どこからともなく駆け寄ってくる始末である。単に本が気に入ったのか、それとも本と張り合っているのか・・・。

iPhone 15PRO
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陽はまた登る、陽はまた照らす

2025-01-01 | その他



昨日と今日の違いは僅かだけど、その僅かの違いをどこまでも積み上げて我々の人生は成り立っている。新年あけましておめでとうございます。今年が良き年となることを心から願っております。

ちなみに本当のところ、この日の出は新年のものではなく、12月30日のものだ。丁度、大掃除で窓ガラスを拭いた後であり、取り切れていない汚れが見つかった。照らされて初めて分かることもある。ちなみに猫は今回の写真と同じタイミングで撮ったもので、同じ陽に照らせれている。人間にとっても、猫にとっても、健やかな一年でありたい。

GRⅢ


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大村崑は不滅です

2024-12-12 | その他


先日、「こうはらの舞昆」のCMをテレビで見た。あまり(殆ど)テレビを見ないので、まさか大村崑先生が今でもCMに出演中とは知らなかった。調べたところ、御年93歳。この現役感はどういうことだろうか。時代感覚がバグってしまう。あ、大村崑先生はオロナミンCの琺瑯看板に写っているあの人です。オロナミンCの看板は昭和40年代から日本中に貼られているそうだ。つまり軽く50年以上、大村崑先生は日本中にその顔を晒し続けている。昭和40年代の時点で既にオジサンなわけで、その先生が今でもCMに出ているのは驚き以外の何物でもない。今年も昭和の大スターが何人も亡くなった。何ともいえない喪失感があるが、大村崑先生が健在であれば大丈夫。そういう気持ちになることができる。先生、いつまでもお元気で。

X-PRO3 / XF23mm F2R WR
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シーラカンスモナカを食べた、衝撃的な味だった

2024-12-08 | その他




仙台まで行って、シーラカンスモナカを買ってきた。シーラカンスモナカとは、メゾンシーラカンスという仙台のパティシエショップが作るモナカであり、カルト的な人気を博している。十勝産の小豆に、フランス産のバター(イズニーバター)と塩(ゲランド塩)を組み合わせた大人のお菓子である。あんことバターが絡んだ濃厚な味わいに、癖になる塩気がアクセントを添え、インパクト抜群の美味さだった。和茶にも珈琲にも、更にはワインやスコッチなんかにも合うと思う。パティシエの「カズノリイケダ」氏が考案し、モナカの皮は氏の実家である宮城県丸森町の「榮泉堂」が作っているそうだ。元々、この「榮泉堂」で作られていたモナカをオマージュしたものがシーラカンスモナカであるらしく(今も販売されているそうだ)、シーラカンスとは秀逸なネーミングだと思う。自虐と誇りが、あんことバターの関係のようであり、それをモナカの皮が優しく包んでいる。僕はお菓子系統には詳しくないけど、こんなに美味しいモナカは食べたことがない。まさに衝撃的な味だった。

GRⅢ


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石破首相の国会答弁を聞いて思い出した

2024-12-07 | その他


クルマで移動しながら、NHKラジオから流れる石破首相の国会答弁を聞いた。そこから思い出したことがあるので、書きたい。イデオロギーとは関係ない話である。石破首相は質問に対し、「それは~」と強めのアクセントで答えるのが口癖である。インタビューやTVでの討論会などでも、相手の発言に対し被せるように「それは~」と強めのアクセントで反論する。「それは」と発言する場合、大抵は否定、拒絶、自己弁護に直結している。そしてこの「それは~」という口癖は、以前の僕の口癖でもあった、20代後半のときに、当時の会社の上司から厳しく指導を受けた。「お前の口癖は、(それは)と(いや)だ。その喋り方をしている限り、例え内容が正しくても、人の共感は得られない」と。それに対し言い分のあった僕は、「いや、だってそれは~」と思わず言い返してしまった。その瞬間、確かに上司の言う通りかもしれないと自覚した。日常の会話の度に、打ち合わせの度に、会議の度に、僕は上司から指導された。お陰様で半年ほどで口癖は半減し、一年で大体収まった。でもこの癖は完治しない。今でも気を抜くと、症状が再発する。

今こうやって石破首相の「それは」を聞くと、口を尖らせて反射的に相手の発言に反発しているのが分かる。そこから始めて自説をクドクドとかつ流ちょうにまくし立てるのも、当時の僕と同様だ。一国の総理大臣としては正直どうかと思う。専門家にコーチングして貰うべきではないだろうか。煮え切らない鵺のようだった岸田元首相の語り口の方がまともに見えるから不思議である。あ、その岸田元首相の語り口は、専門家のコーチングを受けたのだろうなと当時から思っていた。こう書くと反発も予想されるが、安部元首相の語り口は素晴らしかったと今でも思っている。まあそんな話です。若き僕と現役の内閣総理大臣を比較した失礼は許して貰いたい。

GRⅢ
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