No Room For Squares !

レンズ越しに見えるもの または 見えざるもの

盛岡編(終)~キリンシティでビールを飲む

2024-11-15 | 街:岩手





ビールは専らサッポロ派である。キリンは得意ではない。でもキリンシティで飲む場合は例外である。初めてキリンシティに行ったのは学生のときで、新宿の店舗だったと思う。真夏の昼間であり、茹だるように暑い日だった。キンキンに冷えたビールで喉を潤そうと目の前にあった店に入った。それが初めてのキリンシティ体験だった。実はキリンシティのビールは、あまり冷たくない。銘柄は覚えていないが、ほぼ常温の生温いビールが出てきた。なんだこれは?。さっさと飲んで次の店に行こうと思った。ところが何故かこれが旨い。冷たさで胡麻化さず、ビール本来の味と香りが拡がる。マシュマロのように弾力のある泡にも魅了された。気づけば腰が立たなくなるほど飲んでしまった。

その後、社会人になってからは銀座の店にもよく行った。当時はトーマス・マンの「魔の山」にハマっていて、例のサナトリウムで朝食に生温い黒ビールが出てくる。滋養強壮的なドリンクだったようだ。ハンスがそれを飲む描写が好きで、僕も黒ビールが好きになった。キリンシティ銀座店では黒ビールばかり飲んでいた。そこから暫くのブランクがある。転職で京都に住むようになって、三度(みたび)キリンシティに巡り合う。なんか以前ほど生温くないけど、旨さは変わらなかった。京都店に最初に行ったのも昼間で、やはり腰が立たなくなり、進歩しないものだなと思った。最後にキリンシティに行ってから20年以上が経過した。何だか嘘みたいだと思う。泡萎み、泡消えゆく麦酒かな。麒麟のことも夢のまた夢。

さて、今回の盛岡出張を鉄道で行ったのには訳がある。JR盛岡駅内にキリンシティ盛岡店があるのだ。東北では仙台と盛岡にしかキリンシティはない。帰宅する日、ここで早めのランチ(というの名の一人宴会)を取るのである。実に20年振りのキリンシティである。感慨深い。この「泡」はテイクアウトで持ち帰りたいくらいだった。そして、これだけ能書きを垂れたのにも関わらず、家に戻ればサッポロのビールを飲むのである。

GRⅢ






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盛岡町歩き~軽さは正義

2024-11-14 | 街:岩手











盛岡の夜が明けた。翌朝、僕はホテルをチェックアウトし、荷物を駅のコインロッカーに預けると、小さなカメラだけを持って街に出た。コンデジ一つだけを持って旅に出れば、どれだけ身軽だろう。そう思いつつも、なかなかその勇気は出ない。帰宅までの限られた時間、こうやって身軽なまま町を歩くと、とても気持ち良い。スポーツカーに例えるようだけど、「軽さは正義」。そう実感した。軽快かつ航続距離が飛躍的に向上する。そして狭い路地裏に侵入していく。さあ、最後にあそこに行ってから、新幹線に乗ろう。あそことはどこか。それは次回、盛岡編最終回にて。


GRⅢ

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盛岡アフターダーク

2024-11-13 | 街:岩手











これも何度も書いていることだが、僕は盛岡という街が好きだ。街の規模だとか、雰囲気が本当にしっくり来る。都会すぎず、田舎過ぎず、広過ぎず、狭過ぎず。そして歩いて色々なところを廻れるところも良い。仕事の出張があったことを幸いに、盛岡に一泊して写真を撮った。それが今回の記事であり、主に夕刻から夜に至る時間帯のものである。通常は繁華街のど真ん中に宿を取る。それはそれで十分楽しいけど、結局は繁華街で飲みすぎて撃沈するのが習わしだ。今回は繁華街から少し離れたところに泊まったので、昼にしか来たことのない街角の夜の様子も見ることが出来た。

また、これまでになかった新たなことは、街中で同業者を頻繁に見かけるようになったことである。同業者というのは、僕と同じように街の写真を撮る人たちだ。大抵、僕が行く街では僕以外に写真を撮る人を見かけない。見かけるのは観光スポットや名所旧跡くらいで、街中で写真を撮る人は極めて少ない。自撮りくらなものだ。以前は盛岡も同様だった。ところが今回は写真を撮る人が多かった。その多くは外国人観光客であり、その好奇心旺盛な姿には感銘を受けた。何人かは僕の後を付けてきて、嬉しそうに同じ写真を撮っていた。そんなものを撮ってどうするのか、僕が言うのも変なので放っておいた(笑)。


X-PRO3 / Voigtlander NOKTON 23mm F1.2 Aspherical
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秋吉敏子ジャズミュージアムに行った

2024-11-12 | 街:岩手











業務上の出張で盛岡市に行き、そのまま一泊して来た。宿泊したホテルは、盛岡バスセンター近くだった。以前の「旧・盛岡バスセンター」の昭和的佇まいが大好きだったが、建て替えになってからは一度も内に入ったことがない。様々な店舗も入居し賑わっていると聞き、いつかは行かきゃと思っていた。そこには「秋吉(穐吉)敏子ミュージアム」なる展示スペースがあると聞き、この機会に行ってみたわけだ。ミュージアムは入場無料であり、実施的に「Cafe Bar West 38」というカフェに併設されていた。このカフェはジャズ喫茶「開運橋のジョニー」のマスターが運営しているとのことで、期待も膨らむ。

要約すれば秋吉敏子さんの熱狂的なファンにとっては垂涎の施設だと思う。でも秋吉敏子さんを尊敬する人は多くいても、熱狂的なファンの存在は余り聞かない。安心して下さい。普通のジャズファンが行っても損はない施設だから。何回も行くかといえば、正直微妙だけど・・・。カフェバーでは週末などを中心にライブなども開催されている。通常は薄くBGMでジャズが流れる程度の普通のカフェバーである。ミュージアムを見せて頂いたお布施にビールとソーセージを注文した。感じの良い店員さんで、気楽に過ごせそうな空間だった。ビールのグラスにも気を使っている。でもソーセージは少し残念だった。ライブ感のない業務用ソーセージを温めただけのもので、しかもすぐに冷めてしまう。うーん正直フードは・・・・。ジャズカリーなるオリジナルカレーは美味しいそうだが、今回は辞めておいた。ここは若いカップルや女子会などが、クリームソーダなんかを飲むのに向いているようだ。オジサンは黙って「開運橋のジョニー」の方に行く方が良いかもしれない。それでも街中にこういう施設ができるのは良いことであり、盛岡はやはり良いなあと思った次第だった。参考までに昭和匂漂う「旧・盛岡バスセンター」の過去記事リンクを貼っておく。


iPhone 15PRO
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街のラーメン屋にドラマチックな光差す

2024-11-11 | 街:岩手


特にエピソードがあるわけでもなく、そこに至る何らかのストーリーもない。ただ単に町中のラーメン屋さんに、無駄にドラマチックな光が差していた。それだけです。

GRⅢ



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あの頃の大東町(終)〜こんな風に過ぎて行くのなら

2024-10-17 | 街:岩手








初めて大東町に来たのは何時のことだったのか、それは覚えていない。確かなことは、僕が最初に来た頃と今では多少の変化はある。何かが失くなったり、どこかが変わったり・・・。それでも大きく捉えれば、ここは紛うことなく大東町であり、本質的なことは変わっていないようにも見える。こうして撮っている自分はどうだ?。進歩がないとも言えるけど、自分では何も変わっていないと思ってはいる。でもそんな訳はない。町が経年するように、僕という一人の人間も同じだけ歳を取っていく。以前はその事実に焦燥感が募ったが、今ではそれも別に悪くないと考え始めた。ああこうやって僕は歳を取っていくのだな。町を歩きながらニヤッとした。

Maki Asakawa 浅川マキ「こんな風に過ぎて行くのなら (歌詞付)」


X-PRO3 / Voigtlander NOKTON 23mm F1.2 Aspherical

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あの頃の大東町①〜君子、危うきに近づく

2024-10-16 | 街:岩手









岩手県の旧・大東町大原地区である。丁度、昨日掲載したラーメン屋さんの周辺だ。大東町には、大原、猿沢、摺沢という3つの町並みがあり、どれも魅力的な町並みだから困る。岩手コンプリート達成後、訪問機会が減っているが、それは飽きたからではない。なまじ町の魅力を知ってしまったから、生半可な気持ちで来ることが難しくなっているのだ。どうしても本腰を入れて歩かざる得なくなる。前後の予定とか、帰宅時間とか、色々なことに支障が出る可能性がある。支障が出たとしても歩くことを選ばされてしまう、そういう危険な町なのである。この日はラーメン屋さんに行くことありきで訪れたけど、正直「面倒なことにならないだろうか」と腰が重かったのも事実である。

とにかく摺沢や猿沢には近づかないようにして、大原地区だけを歩こう。上原師匠の写真から岩手の街道町を知り、わくわくしながら毎週のように訪れていた「あの頃」。それを追体験しよう。これが今回のテーマだ。二回掲載する予定である。


X-PRO3 / XF23mm F2R WR
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幻の中華そば食堂は健在だった

2024-10-15 | 街:岩手








暑かった(秋田県ではそうでもなかったけど)夏が嘘のように、急に冷え込んできた。気づけば10月も半ば。本来は秋真っ只中であり、東北地方では雪を想定してスタッドレスタイヤのCMも増えてきた。こんな季節になると岩手県花巻市の竹駒の中華そばが無性に食べたくなる。でももう竹駒は閉店してしまった。現代の技術を持っても、味だけはアーカイブのしようがない。これは現地に行って現物を食べ、自分の身体と記憶に残すしか方法がない。そんなことを考えているうちに、「そうだ大原の中華そばを食べに行こう」と思い付いた。大原といっても京都ではなく、岩手県の旧・大東町(現・一関市)の大原地区のことである。そこでは金物屋さんの奥に併設された食堂で、素朴な中華そばを食べることができる。暖簾こそ掛かっているものの、ここがラーメン屋さんとは一見では確信が持てない。もう幻の中華そば屋といっても過言ではない。

さて、久しぶりに訪れた幻の中華そば屋「岩幸商店」。僕は過去に2〜3回来ているので、迷うことなく暖簾を潜る。そして雑然と物が並べられた金物屋店舗を抜け、奥にある食堂入口に入る。そこに現れる食堂は、もう昭和30年代(僕は生まれていないけど)そのものという感じである。あたかもタイムトンネルを抜けてきたかのような錯覚を覚える。少年ジャンプ(これも数年前のもの)があることを除けば、令和どころか平成さえも感じない。ほんの少し前までラーメンは450円だったらしいが、こんなところにも物価上昇は波及している。でも安い。600円でも良いのではないか。当然そのラーメンを食べる。安定したあっさり味、いわゆる中華そばである。優しさが染み入るような味だった。またいつの日か、突然ここのラーメンが食べたくなり、はるばる秋田から訪れることになるだろう。




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天然松茸だよ!奥さん!

2023-11-02 | 街:岩手





岩手県の西和賀町、ほっとゆだ駅近くの商店にて。岩手県では松茸がよく取れる。花巻周辺の「小さな」温泉旅館では、松茸の土瓶蒸しが名物メニューとなっている。何故「小さな」を付けたかというと、どこからか大量に(かつ安定的に)仕入れるような類の食材ではないからだ。宿の親父が一子相伝の秘密の場所を持っているか、地元の松茸名人から買い付けるのである。大江戸温泉的な大型旅館で出すには馴染まない。

今回は神社に参拝するために花巻に行った。行ったからには台温泉に宿を取った。神社に近い土沢の町と、大迫の町を歩いた。途中で何軒か農産物直売所とか道の駅を覗いてみたけど、「松茸」は売っていなかった。もう諦めた帰路、西和賀町で松茸を見つけた。二軒の店が並んでいたが、松茸は一軒の店だけで売っていた。正真正銘の西和賀産の松茸。店主は鼻高々だった。「もちろん西和賀の天然松茸だよ!。奥さん買って行って!」。僕は奥さんではないけど、立派な一本を買って帰った。少しだけ焼いて食べて、残りは松茸ご飯にした。当然ながら、その濃厚な香りを楽しんだ。え?値段ですか?。ふふ(笑)。教えましょう。1800円から2800円くらいのものが殆どで、1〜2本だけ4000円台だった。都会と比べれば嘘のように安い。僕が幾らのものを買ったのかは秘密です。iPhone13PROとの大きさ比較を見て下さい。


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土沢AGAIN(終)〜記憶の管財人になりたい

2023-11-01 | 街:岩手










諸条件によって異なるけど、町で写真を撮れば一日あたり大体300〜400枚以上の写真を撮る。土沢の町の写真も累計でいえば軽く千枚以上はあると思う。何のために撮るのか。正直、何のためということはない。ただ好きだから撮る。上原師匠は「可能であれば全部持ち帰りたいけど、それは無理なので写真に撮って持ち帰る」と仰っていた。僕は元々、昆虫採集の延長に写真撮影があると思っていたので、その言葉に激しくうなずいた。網で昆虫を取るように、レンズで写真を撮る。表現の違いはあれど、同じことだと思う。

さて、一つの町で長い期間、写真を撮り続けることが増えた。町の中の特徴的な建物や施設が失くなっていく様もリアルタイムで見てきたし、これからも見ていくだろう。その町を離れた人から、「懐かしい」というコメントやメールを頂くこともある。大抵は何かしらの町のエピソードが添えられる。それが僕にはとても嬉しい。先程のテーマ、何のために写真を撮るのか。恐らく僕はその町の「記憶」の管財人になりたいのかもしれない。そう思えてきた。全ての記憶を網羅することはできないけど、それぞれの人が持つ記憶や思い出、それを喚起するための光景をアーカイブしたいのだと思う。いやアーカイブしたいのではなく、光景と記憶を繋ぐ媒介人になりたいのだ。最近になってそういうイメージが湧いてきた。まだ思いつきの段階ですが・・・。今後の活動に取り入れていこう。

LEICA M10 MONOCHROME / Summicron M35mm ASPH
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