おい、お前また温泉に行ったのかよ。骨折で足が痛いとか嘯いて、その実は遊び呆けているんじゃないか。そういう批判が来るかもしれない。まず例によって言い訳から入ると、諸事情により一日家を開けなければならなかった。厳密にいえば、必須ではないけどベターだった。次にギプスが取れてから2回温泉に行ったが、あれは家族旅行という名目だ。今回は僕の一人旅だ。更にいえば、3月〜4月にかけて、僕は頂いたお小遣いに全く手をつけていない。自分の財布からは紙幣を一枚も使っていない。そこで執行されなかった予算が今回の財源だ。皆さんが外に飲みにも行ったり、ゴルフに行ったりする代わりに、僕は月に1回湯治温泉などに一人旅に行くのである。そんなわけで、リハビリも兼ねて、定宿の鉛温泉(花巻市)に行ったのである。実はこれを機に一つのミッションがあったのだけど、それは別の機会に。今回は鉛温泉での四方山話を・・・。
(その1)水圧に負けてクラゲのように漂う
写真は撮れなかったけど、鉛温泉には「白猿の湯」という名物風呂がある(参照:https://blog.goo.ne.jp/6x6_2008/e/9718572cc2c8a1fd0901f5b1283fe581)。立ち湯といって、立ったまま入る湯である。最も深いところでは130センチはあると思う。この入浴方法が骨折のリハビリには良いだろうとは思っていた。仮にも定宿。来週の通院で一応の完治となる可能性もあり、その前に定宿の風呂に入っておく必要がある。ところが入浴して驚いた。一番深い所あたりで歩こうとすると、水圧に身体が負けて浮き上がってしまう。え?何故だ。でもその感覚は楽しくもあり、何回も何回もチャンレンジした。どうも身体を前に進める推進力がないようだ。多分、足の踏ん張りが全く効いていないのだと思う。プールで歩行するリハビリがあるそうだが、出来ることなら鉛温泉でリハビリ生活をしたいものだと思った。
(その2)湯あたり客現る。
皆さんは温泉の浴室内で湯当たりをした人を見たことがあるだろうか。僕は結構ある。それは本格温泉に行く機会が増えたからだろう。今回も浴室の脱衣場(狭い)のスノコの上で横たわって動けなくなった高齢者がいた。風呂には3〜4人の客がいたのに無関心だ。高齢者は30代くらいの男性と、小学生の子供の3人連れだった。小学生は仕方ないとしても、30代の男性はじっと見ているだけ。僕は「大丈夫ですか(意識の確認)。助けが要りますか?」と声を掛けた。「湯当たりだから大丈夫です。ちょっと休んでいれば治ると思う」。でもそこは休憩所ではなく、脱衣場のスノコの上。とても大丈夫そうには見えない。30代の男は高齢者に敬語で喋るので、婿殿かもしれない。僕は「涼しいところに移動した方が良いので、宿の人を呼びましょうか」とも聞いたが、「大丈夫です」と。生憎、僕の足では移動のお手伝いは無理だ。白猿の湯は数十段の石階段を降りた場所であり、その階段を再び登らない限り、外にでは出れない。僕は風呂から速やかに上がり、宿の人に状況を伝えた。すぐに対応するとのことだった。それにしても、風呂に入っている他の客も、連れの婿殿(想像)も、もう少し何とかしろよ、と思った。
(その3)習性変わらず
今回の部屋と食事写真で分かると思うけど、「岩手県民割(東北6県+新潟県民向け)」を利用し、いつもより豪華なプランを使った。5千円の割引と2千円分のクーポン、それらを利用して総支払額は9900円くらいだった。3千円弱のアルコール代金を含んだ金額である(部屋用に家から持参した分は含まず)。料金に含まれるアルコールは生ビール2杯に、岩手県遠野産の「どぶろく」である。この計算で行けば、湯治部に泊まるより安いのだから不思議な制度である。心のどこかで湯治部に泊まりたかったのも事実である。湯治部の制約のない自由、これは何物にも変えられない。好きな酒を飲み、本を読みながらの食事(ここでしか出来ない)が堪らない。今回は旅館部なので、食事処で静かにやった。
でも自分で可笑しくなることもあった。風呂に入っても、食事をしても、その後無意識に湯治部の部屋に向かってしまう。階段の前まで来て「あれ?何か違う」と気づき、旅館部に戻る。それを4〜5回繰り返した。とにかく何も考えずに動くと、身体が自動的に湯治部に向かうのである。僕は湯治部ピープルだ。
そんな四方山話も終わり(本当はもっとあるけど)。翌日は一日町歩きの日となる。ミッションの達成が成るかどうかも気に掛かる。お湯の中で歩き廻った僕は、ぐっすりと寝たのである(終わり)。