





ある時、ある場所で聴いた音楽が、非現実的な程に良く聴こえることがある。それは様々な要素、装置だったり音量だったり、自分の気分だったり体調だったり、その時一緒にいた人だったり、あらゆるものが影響しているので、再現しようと思っても出来るものではない。以前にも書いたが、亡くなった僕の父は、ジャズを聴くことが好きな人だった。引っ越しのゴタゴタなどで、かなり紛失してしまったが、そのレコードは僕が受け継いでいる。その中の一枚に、「This time by Basie / CountBasie Orchestra」がある。カウント・ベイシーは豪華絢爛なビッグバンドを擁することで有名なミュージシャンである。だが僕はそのビッグバンドというカテゴリーが好きではなかった。楽しんで聴けるようになったのは、正直なところ、ここ数年の話である。そんな僕が例外的に聴き続けた一枚が、「This time by Basie / CountBasie Orchestra」なのである。
あれはいつのことだったろうか。多分小学校5年生の頃だ。当時、僕は痩せっぽちでヒョロヒョロの体系だった。男なんだからもっと身体を鍛えた方が良い、そういう周囲の勧めもあり、柔道を習っていた。週に何回か、夕方の2時間ほど道場に通った。この柔道場通いが僕は嫌で嫌で仕方なかった。その日、僕は道場に行く振りをして、実際は外をほっつき歩きサボタージュをしていた。通常道場が終わるのは夜7時過ぎで、片づけと清掃を終え、家に帰るのは7時半をまわる頃になる。夕方に小学生が一人で時間をつぶせる場所などなく、適当な頃に僕は家に帰ることにした。今日は早く終わった、と嘘をつけばよい。
ところが、家に帰ると何故かジャズの音が外に流れてきている。普段は帰りの遅い父親がその日に限って帰宅している。面倒なことになるかもな、そんな予感はあったものの、疲れて喉も渇いた僕は早く家の中に入りたかった。当時住んでいた家は、両隣が空き地になった一軒家(借家)で、所謂サザエさん家的な縁側がリビングの脇にあり、窓を開けると裏庭に面していた。そっと裏庭に周り様子を伺うと、父は縁側に座りビールを飲んでいた。見つかったら、怒られるかもしれない。後ろめたい気持ちのある僕はその場に立ちすくんだ。そのとき、レコードは「Moon River」を演奏していた。何の曲かなんて、当時は知らなかった。季節は丁度夏至で空は中々暗くならなかった。紫に空が染まり始めたマジックアワーに、その曲は似合っていた。
そのとき、裏庭にいる飼い犬、レオが「ワオーン」と吠えた。今の今まで気づいていなかったどころか、普段と違う行動を取る僕を不審者と勘違いしたのだ。
「誰だ?」父がこちらに向かって呼びかけた。僕は怒られることを覚悟して「僕です」と言った。父は特段驚くこともなく、「何してる?家にあがれ」と言い、犬のレオにサラミか何かを放り投げた。白い雑種の犬、レオは嬉しそうそれを食べた。
家に上がっても、父は道場のことは何も言わなかった。そもそも道場が何時に終わるかなんて知らなかったのかもしれない。
「この曲いいね、何て曲」
「MoonRiverだ」短く父は言った。父はそういう人だった。話としてはオチも続きもなく、それだけのことだ。
(中略)
その後、いろいろなことがあったが、僕は東京で大学生になり、ジャズを本格的に聴くようになっていた。ジャズといっても好きなのは、モダンジャズで、ブルーノートのレコードなんかを貪るように聴いていた。ビッグバンドや中間派の演奏には興味がなかった。ある時、ふとしたキッカケで、「This time by Basie / CountBasie Orchestra」をターンテーブルに載せた。特別な理由はない。ジャズファンは定期的にそういう普段聴かないものを掛けてみるという習癖がある。そして「やはり苦手だな」とA面の半分くらいを聴いて針を上げるのだ。でも、この時は違った。何かが心に引っ掛かる。最初に僕の脳裏に浮かんだのは、亡くなった飼い犬のレオの顔だ。散歩が大好きな犬なのに、面倒がって連れていかず、繋ぎ放しで可哀想なことをした。犬にとって、散歩がどれだけ大切なことかわかっていなかったのだ。申し訳ない。あれ?なんで僕はこんなことを考えているのだろう。そう気付いた瞬間、僕は先ほど書いた一連の出来事を思い出した。いや、思い出したというレベルではない。その場面が生々しいほどに頭の中に再現され、それを追体験したのだ。風の匂い、染まる空の色、半ズボンの足に絡まる草の感触、それらを僕は明確に感じることができた。飼い犬レオが吠えて父が僕に声を掛ける、その瞬間さえも。そんな記憶が僕の中に残っていることなど想像すらしたことはなかった。柔道をサボった日から10年後の出来事だった。
それ以来、夏至に近い初夏の気候の良い晩になると、無意識に「This time by Basie / CountBasie Orchestra」を取り出して聴くようになった。本当に不思議なことなのだけれど、無意識にレコードを手にすることが先で、その後に「もうそんな季節か」と気づくのである。ベイシーファンからは、「ヒットパレードのようで、ポピュラーだけどベイシーの本質ではない」と揶揄されるアルバムだけど、今年も僕はMoonRiverを聴いて、そのトルクフルなアンサンブルに一時酔いしれるのである。それはお盆に墓参りにも行くことのできない、僕なりの追悼の儀式といえるのかもしれない。
泣く子も黙る、岩手県一関市のジャズ喫茶「ベイシー」である。日本一音の良いジャズ喫茶として有名である。我が家のオーディオも数年掛けてセッティングも安定し、結構良い音になったと自負している今日この頃、かのベイシーの音は如何かとお邪魔した。いや、もう凄い音で、過去何度もベイシーには来ていて、当然今までも良い音だと思っていた。だが今回、もしかしたら思い込んでいるだけで分かっていないかったかもしれないと気づいた。家で38センチウーハーのJBLを日常的に聴くようになって、初めて分かったベイシーの音の真価である。この日は「Miles in Berlin」がかかったが、このアルバムを初めて「良い!」と思った。良い音というより、生演奏を聴いたような気分になる。本当に良い音は、分析的に聞かせるのではなく、演奏自体を聴かせてくれるものである。それにしても、使っているカートリッジは、シュアーのV15(Type3)とのことである。あの軽針圧カートリッジで、何故あんなに太い音が出るのか、摩訶不思議である。
LEICA M9 / SUMMICRON 35mm ASPH
1961年、ニューヨークのビレッジバンガードでのライブ盤である。このライブから11日後、ベーシストのスコット・ラファロが交通事故で亡くなっている。ピアニストのビル・エヴァンスは1980年に肝硬変で亡くなり、残るドラマーのポール・モチアンも2011年に亡くなった。もう、この伝説的なトリオの構成メンバーは誰一人としてもの世には存在しない。
よく「あなたは人生の最後の瞬間に何をしたいですか」ということが話題になることがある。僕は命が尽きる最後の5分間に、このアルバムの冒頭の曲「My Foolsih Heart」を聴いて死ねればなと思う。それほど美しい演奏である。
このアルバムはライブ盤である。信じがたいことに、演奏だけでなく、1961年のニューヨークのライブハウスの空気をそのまま音圧に変換して収録している。夜、照明を落とし強い酒をやりながら、いつもより大きな音量で聴いてみる。グラスや皿が触れる音、咳払い、人の声、それは単なる音というより、完全なる気配としてスピーカーの振動と共にやってくる。もうそこは、「秋田県」ではないのである。時空を超えて、僕はニューヨークのビレッジバンガードでビル・エヴァンスの生演奏を聴いているのである。トリオの演奏を、その時その場にいた観客と共に聴いているのである。
今年になって、とうとう僕はこの「Waltz For Debby」のモノラルオリジナル盤を入手した。下段3枚のうち、一番左手のものがそれだ。透明度はCDやステレオ盤のLPレコード(再発)の方が上である。でも、モノラルオリジナル盤は音圧も凄ければ、閉じ込められた気配の濃厚さも圧倒的である。このライブ盤では、演奏中に近くのトンネルを通る「地下鉄」の音が収録されていることで有名だ。それが聴こえたから何だってことはないのだけど、オーディオ的には、聴こえるべき地下鉄の音が聴こえないのは何か問題があるからだということになる。だからエヴァンスファンは、地下鉄の音が聴こえると殊の外喜ぶ。オリジナル盤では、はっきりとそれが聴こえる。厳密には地下鉄自体の音というよりも、マイクごと振動を拾っているのではと気づくほどはっきり聴こえるのである。だが、重要なことはそこではない。一番重要なことを書く。
このアルバムを聴くと思う。人生は小さな小さな奇跡のなだらかな連りそのものであり、人は奇跡が起きていることさえ気づかずに日々暮らし、やがて死んでゆくのだと。時折、とても信じられないような大きな奇跡が我々を驚かすことがあるけど、実は世の中は大小様々な奇跡に満ちていると言ってよい。1961年にビレッジバンガードで、エヴァンストリオのライブが行われた。これがライブレコーディングされていたという奇跡。わずか11日後にメンバーの一人が亡くなってしまい、録音テープがなければ、このトリオのライブアルバムはこの世に存在しなかったという事実。そして、その場に居合わせた幸運な人たちもいる。だが、彼らはこの演奏が後に歴史に残るライブ演奏となることにはまるで気づいていない様子だ。ホールは騒がしく、笑い声も聴こえる。表題曲が佳境にが入った際の「ある男」の笑い声は、いまでも全世界の人に繰り返し聞かれている。さらに僕は、地下鉄のことを思う。この名演奏、後にも先にも1961年の6月25日、NYのビレッジバンガード、その時その場でしか聴くことのできなかった名演奏。それが目と鼻の先で演奏されているとは露知らずに、地下鉄に乗って奇跡の現場の脇を通過した無数の人たち。人生の織り成す綾とは何と切ないのだろう。そして、それから半世紀以上を経て、僕は当時新品で発売されたレコードを入手し、聴いているのである。そのレコードは、どういう経緯を辿ったか分からないが、NYを出発点にヨーロッパの片田舎に移り、いまは日本の片田舎の僕の家にある。エヴァンスの人生と僕の人生は、直接的は交差することはなかったが、こうして僕は当時の仲間の末席にいれてもらったのである。この権利を生涯行使できるのであれば、いくらであろうと安いものではないか(と思う)。