No Room For Squares !

レンズ越しに見えるもの または 見えざるもの

熱海(番外編)〜ジャズ喫茶とストリップ劇場

2024-10-07 | 街:静岡
①<ジャズ喫茶ゆしま>





まずは「ジャズ喫茶ゆしま」。昭和27年創業の老舗中の老舗のジャズ喫茶である.四半世紀以上前に何度か来たことがある。多分ほとんど変わらない店構えである。無粋となると思って聞かなったけど、なんとママさんは103歳にしてご存命であり、最近まで店に出ていたそうである。以前に来たときは、エセ文化人みたいな輩がドヤ顔を芸術論を語り合っていた。やたらとエピゴーネンという単語を乱発していた。使いたかったのだろうなと生暖かくスルーしていた記憶がある。今回はそういう輩もおらず、コージーでリラックスした雰囲気が漂っていた。なおマスターに写真を撮っても良いかと尋ねたところ、何故か僕のスマホで写真を撮ってくれた。隣に座っていたのは、本当のところは近所のオジサンで、PhotoshopのAi画像処理で美女に差し替えた。マジです。



②Jazz cafe Blue moon (ジャズ喫茶 ブルームーン)



このJazz cafe Blue moon (ジャズ喫茶 ブルームーン)は、全くのノーマークだった。そもそも熱海に「ゆしま」以外のジャズ喫茶があるはずがないと思っていた。たとえあったとしても、それは正統派のジャズ喫茶ではなく、なんちゃってジャズカフェでしかないだろうと・・・。そんなわけで偶然、この店の前に来たのが午後6時ちょうど。店の入口を見れば、営業は午後6時までとなっている。片付けている最中、お願いして写真だけ撮らせて頂いた。そういう時の反応で、そこがどういう店か分かる。きっとここは居心地の良い素晴らしい店だと確信した。再び熱海に来る機会があれば、必ず寄ろうと思う。




③<ストリップ アタミ銀座劇場>




アタミ銀座劇場は、ストリップ劇場である。熱海銀座の大通りに「ピンクショー実演中」というネオンを堂々と灯らせている。昭和の時代では当たり前だったとしても、今どきこういう光景は他では見ることができない。もはやストリップはサラリーマンのお父さんが欲望のままにガチで観るものではなく、一種の伝統芸能のような扱いになっているようだ。そしてそれは熱海という町だから許されるのかもしれない。これが「杉並区すずらん通り商店街」とかであれば、大問題となること必至である。実際、開演を待って並んでいる人のうち、3〜4割は女性客だった。これも掲載するわけにはいかないので、photoshopのAi合成の世話になった。実際こんな感じだったけど、これは合成画像です。合成画像はやってみたかっただけで、これを写真とは言わないのでやめにします。




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それぞれの熱海(終)~昭和の夜は続いている

2024-10-06 | 街:静岡

















熱海の繁華街は、「熱海銀座商店街」周辺に位置している。JR熱海駅から距離にして1kmちょっとだが、坂道や曲がりくねった道の先にある。隣のJR来宮駅から行った方が若干近いようだ。今では熱海に来た観光客の多くは、ほぼJR熱海駅周辺、海岸付近、ホテル内で過ごすので、繁華街に繰り出す人は減っている。

しかしながら僕のような人間からすると、ここは天国だ。まさに昭和の真空パック。居ぬきで改装された飲食店の中には、「新鮮な魚料理」を売りにした今風の店もあった。正直、ファミレスと大差はないようだった。滅多にない機会なので、そういう店ではなく、きちんとした職人のいる料理店で食べた。生シラスに煩い僕も納得の味だった。若者の姿はファミレスのような飲食店にチラホラあるだけで、時間と共に町を歩く年齢層も高くなる。みんな気になるであろうスト◯ップも、煌々と明かりを灯す。

もし将来、小金を貯めてリタイアできるのであれば、熱海に移住したいという願望を持っている。色々問題があるのかもしれないが、格安となった小ぶりのリゾートマンションに住み、毎日温泉に入る。毎日、町中で写真を撮り、週に一回は小料理屋で酒と肴を楽しむ。たまには東京や神奈川に普通列車で出かける。枯れ具合とバタ臭さを融合させた熱海ジジイ。そんな老後が来れば良いが、夢物語だな。特に総括もせず、本シリーズを終了する。あ、例によって番外編があります。


X-PRO3 / XF35mm F1.4R


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それぞれの熱海①~栄枯衰退の果てに

2024-10-04 | 街:静岡
















熱海に来た。熱海という街を語ることは難しい。首都圏に住む人の大半は、一度や二度は熱海に行ったことがあるだろう。当然それぞれの胸に、それぞれの熱海がある。その分、最大公約数を算出し難い街なのである。僕は伊豆で育ったので、当然ながら熱海には何度も行ったことがある。伊豆を離れてからも訪れている。僕にとって熱海は、地元圏内の町であると同時に、観光地でもある。そして東北に移住した現在では、遠く離れた地にもなった。これから書く熱海は、あくまで僕にとっての熱海である。それが貴方にとっての熱海と少しでも共通点があれば嬉しいし、異質であったとしても何らかの示唆が含まれていればと思う。

さて、今回いつもと違う点は鉄道で熱海入りしたことだ。まず驚いたのは、熱海駅の改札付近の混雑状況だ。これはもう都会並みではないか。調べたところ、熱海駅の一日あたりの利用者数は2万5千人だった。ちなみにJR秋田駅は、約1万7千人である。改札を出た駅前の混雑具合も相当なものだ。イベントでもない限り東北では、これ以上の人数が集まる都市は仙台くらいしかないと思う。だが、しかし・・・。僕の目的はそこではない。駅前の混雑地帯を抜け、古くからの繁華街に向かう。片手にGRⅢを握りしめながら、アップダウンの多い曲がりくねった道を進む。繁華街の中心に近づくと、駅前とは様相が激変する。もはや混雑地帯ではなく、あからさまに昭和を体現した地方都市の姿がそこにある。GRⅢは、この街で使うためにあるようなカメラだ。テンポよく撮り歩くうちに、気分が乗ってきた(笑)。楽しい。熱海がこんなに楽しい街とは知らなかった。

熱海は栄枯衰退を潜り抜けてきた街だ。東洋のモンテカルロと呼ばれ、新婚旅行のメッカとなったこともある。団体旅行客が押し寄せ、街中が好景気に沸いた時期もある。バブル崩壊と共に温泉街は廃れ、旅館の廃業が相次ぐ暗黒期も経験した。黄金期を知る人からすれば、町は廃れたというが、現在は首都圏から気軽に往来できる観光地として多くの人が訪れる。160㎞を超える剛速球を投げていた投手が、肘の故障を経てから復帰した。先発投手として以前のような速球は投げられないが、技巧派の中継ぎ投手としてチームに欠かせない存在になった。そんな感じだと思っている。でもただの中継ぎ投手ではない。エースだった頃の夢の残滓が沢山残った街でもある。さあ、次回は伊豆三都物語最終回。熱海の夜は、どんな姿を見せるだろうか?

GRⅢ


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かつて伊東には伊藤君が住んでいた

2024-10-03 | 街:静岡











僕が学生の頃、静岡県には「高校学区」が存在していた。というか、それが無くなっていることは最近知った。詳細は忘れたが、先の記事の下田市であれば、下田市と賀茂郡が一つの学区となっていた。僕が進学する高校は、三島市、駿東郡(うち清水町、長泉町)、田方郡、熱海市、伊東市が一つの学区であったと思う。確か、地理的要因で、下田市周辺では例外も認められていたように思うが、基本的には学区は厳守された。三島市と沼津市は隣接しており、互いの通学には便利だが、越境は認められない。そんなわけで、僕が通った高校には、熱海とか伊東から通学する生徒もいた。伊東なんて、僕からすれば夏休みに遊びに行く観光地であり、日常の生活圏がクロスするなど考えられなかった。でも伊東から三島、あるいは伊豆箱根鉄道沿線の高校には十分通学が可能であった。そして僕は伊東から通う「伊藤君」という同級生と仲良くなった。伊東の伊藤君(字違い)というフレーズにはまり、もう何十年も会ったことがないにも関わらず、「伊東!」とコールされると、「伊藤!」とレスポンスする。

伊東には少年時代にも遊びに行ったし、社会人になってからも何度も遊びに行った。宿泊したのは数回だけど、通過だけであれば数え切れない。今回、鉄道で下田から北上するに辺り、この伊東の町を歩いてみようと思った。伊東の繁華街は歩いた記憶がないからだ。街の構造を理解していないので、とりあえず観光客用の飲食小路を歩き、通常の商店街を超え、飲み屋街まで歩いた。仮に僕が東北でこういう町を見つけたとしたら、小躍りして喜び、何度か訪れることになるだろう。伊東の繁華街はそういう街だ。予想に反して、良い町並みに出会い、得した気分になった。伊東の伊藤君が今どこで何をしているかは知らない。でも彼も同じ繁華街を歩き、写真に写るどこかの店に入ったことがある、それは間違いないだろう。まだまだ発見はあるものだと思った。さあ、次の町、つまりは最後の街へ行こう。


X-PRO3 / Voigtlander NOKTON 23mm F1.2 Aspherical
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下田幻影(終)〜和解の朝

2024-10-02 | 街:静岡











心の中で必要以上に肥大化した町、下田。前日の午後には、その肥大化した町の一端を見て、日が暮れてからはシャボン玉が弾けるように幻想から解き放たれた。翌朝の別れの刻、町はどんな顔を見せたのだろうか。多分、知ってはいけない秘密を見たことで、親密さは消え失せ、ギスギスした朝を迎えることになると思っていた。

ところが実際には、下田は普通の魅力的な町となっていた。このご時世に表現することが憚られるが、初めて一夜を共にした女性と共に迎える朝みたいなものだ。がっかりする(される)こともあれば、望外の親密さを感じることもある。それは相性としか言いようがなく、そうなってみないと分からないものだ。下田で迎えた朝、生活感のある町並みも、観光的な外面も、ペリーが来航した歴史的な地形も、すべてが普通にそこにあった。何の衒いもなく、気負いもなく、ただそこにあるものを受け入れ、歩いた朝の一時間。不思議なことに写真も、いつも通りの感触だった。何か知らないけど、和解したのかもしれない。求めよ、さらば与えらん。さようなら下田、また来る日まで。

GRⅢ

(下田幻影シリーズ)
③下田幻影(終)〜和解の朝

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下田幻影②〜日暮れとシンクロ

2024-10-01 | 街:静岡











この日は用事を済ませてから下田に来て、市内の温泉ホテルに宿泊した(朝食のみ付いたプラン)。普通の町でビジネスホテルに泊まるよりも格安だった。下田に着いた時点では青空が残っていたが、歩いてホテルに向かい、チェックインしてから温泉に浸かり、街に出る頃になると日が暮れ始めていた。それが前回の記事で、その続きとなる。

商店街を抜けて辿り着いたのは市中観光の目玉である「ペリーロード」だ。最後に来たのは小学校の時だと思う。平日の夕方なので、もう観光客は殆どいない。日が暮れるのと比例して、町は静かになっていく。明るいうちは大きく見えた町が、段々と狭く小さくなっていく。これは当たり前のことなのだ。下田市は人口でいえば約2万人の町だ。観光客が沢山来るし、港町の賑わいがあるにしても、そんなに大きな町である筈はない。考え方によれば、人口の割に町の規模は大きいとも言える。その大きく見える面を注視するか、人口なりの町並みを注視するかによって、町の見え方は相当に異なる。日が暮れると共に、下田の肥大化したイメージは収束され、海沿いの小さな町の姿が浮き上がって見えてきた。気持ちとシンクロするのである。嗚呼、これが下田だよな、伊豆出身の男は安心するのであった。

X-PRO3

(下田幻影シリーズ)
②下田幻影②〜日暮れとシンクロ
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下田幻影①〜肥大化したイメージ

2024-09-30 | 街:静岡











止むに止まれぬ用事があり伊豆まで行ってきた。今年2回目の「大人の休日倶楽部パス」を使い、二泊する小旅行となった。伊豆での用件についてはブログでは触れず、完全スルーする。いきなり要件を済ませた後の写真からスタートする。簡単にいえば、伊豆半島南端から東側への短い旅をした。東伊豆三都物語とばかり、3つの街の写真を掲載する予定である。まず最初は下田市である。下田の写真は何回かに分けて掲載する。

下田は言わずと知れた、黒船が来航した街である。子どもの頃は、伊豆の南端にある下田に何故外国からの船が来るのか疑問に思ったものだ。どうぜなら横浜辺りにすれば良いのにと・・・。それでも伊豆の片田舎が開国の地だったことには感銘を受けたのも事実である。こんな田舎でも世界に通じている。少し離れた西伊豆の海で、太平洋の先にあるハワイ(実際は御前崎)を遠くに感じながら、いつか世界に飛び立とうと思った少年時代。わざわざ外国語大学にも行ったのに、今は秋田県に住む。外国どころか、伊豆でさえ遠い場所になった。人生とは不思議なものだ。愚痴は辞めて先に進もう。下田は西伊豆で育った僕にとって、とても分かり易い町だった。つまり僕が生まれ育った町が何かの加減で大きな町に発展したとしよう。何をどう考えても横浜のようになることはありえず、静岡市とか沼津市のような街になることさえもなかっただろう。でも色々と状況が変われば、下田のような街に発展する可能性はあったかもしれない。つまり自分の町の最大発展型が下田だと思っていた。よく僕は下田市の高校に進学した自分を想像して、その場合はどんな生活になるのだろうかと夢膨らませたものだ。一方で下田は「とても遠い場所」でもあった。伊豆半島の東側からでも、中央を通っても、西周りでも、どこからでも車で60km以上はあり、中には悪路も含まれた。海は外に向かって開いているのに、何となく陸の孤島のようなイメージがある下田。子どもの頃は、亡き父が期間限定で下田で働いた(ホテル業だったので派遣された)ことがあり、その関係で何度も遊びに行った。社会人になってからも何回となく訪れている。実は昨年も、伊豆に残る母親への親孝行で、下田の温泉旅館に泊まりにも行った。それなのに、下田は分からない街のままであり、もやもやを抱えたまま現在に至っている。少し前に下田の町をGoogleマップで見たところ、そこがとてつもなく大きな街に見えた。町並みは途切れずに何処までも続いているように思えた。そんな筈はないことは頭では分かっている。でもどこかでそれを信じたい想いもある。これまでの下田行きでは港とか海とか温泉旅館とか、行く場所は限られていた。今回の旅は完全に一人である。下田に立ち寄り、観光地だけでなく、生活する場としての町を歩こう。そして実際の街のスケール感を確認しよう。どこまでも長い東北生活の中で、街のスケール感という物差しがバグっている(必ずしも悪い意味とは限らないが)。それをリセットする良い機会になるだろう。趣旨はそういうことだ。

初回は午後の到着時、そして一度ホテルにチェックインした後、夕方に差し掛かった町に歩いていくところである。 子どもの頃からの妄想、離れて久しい忘却、それらが入り混じって構成された下田の幻影の中に入って行こう。

(下田幻影シリーズ)
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Another Story~伊豆三島の街を歩いた昨秋

2024-09-19 | 街:静岡













<おまけ:鰻の老舗、桜屋でのひと時>






会津の三島町に行ったことは、日本全国の「三島」の町について考える機会になった。僕にとっての三島は、伊豆の三島市が標準原器となっている。忘れていたわけではないが、昨年の11月に僕は伊豆に戻っている。実家関係の所用なので、詳細は割愛する。その時に短い時間だけど三島の街を歩き、で真も撮った。当時はブログを休んでいる時期だった。後になってこの時に見た富士山の写真だけはブログに掲載した。三島の街の写真自体はボツになっていた。これは何かの機会なので、当時の写真を掲載する。お得意のボツからの救済である。今見返すと悪くない写真のような気がする。

見返して思い出した。帰省中は雨の日ばかりだった。墓仕舞いした永代供養墓に行った時だけ、何故か空は晴れ渡った。青空の向こうには富士山があった。三島の町はその後に行ったのだけど、やはり終日の雨模様だった。鰻の老舗、桜屋にも行った。雨の中、多くの人が待っていた。それでも雨でなければ、もっと多くの人が並んで、僕は食べることを断念したかもしれない。全てのピースが僕のことを待ってくれていたような気がする。これはスピンオフなので、今回一回で終わりです。

X-PRO3 / XF23mm F2R WR
(おまけを除く)

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十一月の富士山は遠くになりにけり

2024-03-07 | 街:静岡
古い話で恐縮だけど、昨年の11月末に故郷の西伊豆に行ってきた。短い滞在中は小雨が降ったり曇ったり、あまり天候には恵まれなかった。本家を継ぐ叔父が墓仕舞いをして、僕の父を含む我が家の先祖は、すべて永代供養塔に入った。永代供養塔は、今回の写真の場所のすぐ近くにあり、同じように富士山が見える。永代供養塔に手を合わせに行く時間だけ、なぜか空は綺麗に晴れ上がった。僕を待っていてくれたのだと思う。僕はこんなにも綺麗な町で育ったのだと改めて思うと、感慨深い。あれから三か月以上経った。嗚呼、富士山が恋しい。


X-PRO3/  XF16-80mmF4 R OIS WR




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THIS 伊豆 しいたけキャッチャー

2018-10-22 | 街:静岡



伊豆の物産品売り場で見つけたUFOキャッチャー。なんと「しいたけ」が内に入っていて、それをキャッチするという。通る人通る人が興味深げに眺めていく。しいたけなんてすくったら、菌糸が飛び散ったり、傘部分が取れたりしないのだろうか。安心して下さい。これフェイクなんです。フェイクのしいたけを取れば、しいたけ加工品と交換できる仕組みだった。結局、短い滞在時間で誰もチャレンジする人はいなかった。


iPhone 8
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