最近、ブログにAi関連の記事を載せた。ひとつは熱海のジャズ喫茶で隣に座ったオジサンを女性に差し替えたし、もうひとつは拙い作詞にAiで曲をつけた。凄いなあと思いつつ、それは本物ではないことも理解している。でも理解しない人もいるだろうし、その比率はどんどん高まっていくだろう。僕自身もその線引が揺らいでいくだろう。
実は写真の世界にもAiはガッツリ入ってきている。広告業界などでは当たり前のツールだし、個人用途でも簡単に使うことができる。我々は古くから、自分の見た世界をどうやって伝えるかに苦心してきた。長くなるので具体的な説明は割愛するが、それは多くの場合、撮影段階の技術で対応してきた。デジタルになると後処理の可能性が格段に向上したが、それでも撮影段階が重要なことに変わりはない。ところが今では削除したいアイテムを簡単に削除したり、朝の空を夕焼に変えたり、そこに存在しなかった何かを勝手に付加したり、大抵のことが出来るようになった。実用という意味ではそれが進むべき道だとは思う。iPhoneのカメラ写真なんて、もはや現実のコピーとはいえないくらいの補正がされているし、その恩恵を我々は享受している。
また長々と内容のない話を書いてしまった。結論に入ろう(前段は要らなかった?)。どれだけ時代が変わり、技術が進歩しようと、眼の前にある現実の光景は何も変わらない。千年前のマジックアワーの海と、現代のそれは本質的に何も変わらない。僕はそのままを見たいのだ。ただ無意味に人工的に綺麗な色に染めた光景。それは悪魔のうまみ調味料のようなもので、美しさに対する我々の感覚にインフレをもたらすと思う。自ら戒めよう。
X-PRO3 / XF16-80mmF4 R OIS WR