No Room For Squares !

レンズ越しに見えるもの または 見えざるもの

(過去の光景)2005年遠い昔の桜〜見納めと思えば桜は美しく

2020-04-14 | 過去写真(フィルム)




2005年の春。僕は勤めていた会社に辞表を出し、5月の退社に向けて大忙しだった。6月から秋田に移住することが決まっていた。そんな最中、疲労から高熱を出した。インフルエンザかと思い、検査をしたものの、陰性。そこで仕事に復帰すると、僕の席の周囲の人がバタバタと倒れていった。その数、5〜6人。全員、インフルエンザだった。あれは今でも僕が原因だと思っている。これはインフルエンザに掛かる前に行った平野神社の桜。当たり前のように楽しんでいた京都の桜。それが最後の年と思うと、余計に美しく見えた。

新型コロナウイルスの影響で、外出もままならない。また機会をみて、過去の写真を掲載してみたいと思う。

EOS10D / EF17-40mm F4L USM
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太陽の塔を見て関西を想う

2018-05-26 | 過去写真(フィルム)
太陽の塔。2000年前後に撮ったものだと思う。その数年前まで岡本太郎は存命だった。もう遥か昔のことのように思えるし、実際かなり昔のことなのだろう。関西に自分が住んでいたなんて、幻のような気がする。こうして昔のフィルムスキャンすると、確かに関西の色々な場所に行っている。ちなみに京都在住時代は、標準語で喋っていた。無理して関西弁で喋ると、かえって嫌がられると思っていたからだ。京都を離れ、もう十年以上が経過した。

ところが昨年のことだ。家人いわく、酔って帰宅した僕は何故か関西弁で喋りだしたそうだ。僕が関西弁で喋るのは、京都時代も含めて初めて聞いたそうだ(当時、家人は関西弁を使っていた)。ちゃんと関西弁だったというから、潜在意識下ではマスターしていたのかもしれない。

結論:お色直しされた太陽の塔を見てみたい。


EOS-3 / Velvia(RVP)
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懐かしの明石海峡大橋と思い出すこと

2018-05-24 | 過去写真(フィルム)
このカテゴリは、昔撮ったフィルムをスキャンするものだ。僕はフィルムの整理が出来ない男なので、いつ撮影したものか分からない。明石海峡大橋の完成は1998年ということなので、それから1〜2年後のことと思われる。使用カメラは不明だが、フィルムはベルビア(リバーサルフィルム)だ。デジカメ黎明期の当時、こんな青が出せるのはフィルムのベルビアだけだった。僕のようなアマチュアが、初めてベルビアを使って出来上がりを見た時の感動、それはもう言葉にできないくらいだった。嬉しくてライトボックスも買ったくらいだ。当時は多くのアマチュアフォトグラファーがそんな感動を味わっていた。富士フィルムXシリーズのフィルムシミュレーションの「ベルビア」とか「アスティア」とか「アクロス」には、そんな歴史が内包されている。ベルビアを使った時の、あの感動。「俺がこんな写真を撮ったのか??」。あれを味わっていないと、「ベルビアモードって何だよ?風景モードとか分かりやすい名前にしろよ」と思う人がいても不思議はない。


ところで、当時住んでいた京都と明石の間は距離にして100Km前後だった。東北の移動で100Kmは序の口だけど、都市部ではかなりの移動となる。当時は遊びだけでなく、仕事でも西明石の営業所によく行った。会社の規定では、100Kmを超える移動では出張手当が付くはずだった。会社の最寄駅から西明石駅まで移動すると100Kmを超えていた。だが、しょっちゅう出かける(業務命令で行ったのだけど)ので、営業所間の移動については会社からではなく、京都駅からの距離で計算するという裏技を会社が使った。冗談みたいだが、それを適用すると移動距離は「99.8Km」となった。朝は早くから電車に乗らなければならないし、明石行きは大変な仕事だった。それにも関わらず、休みの日に明石焼きを食べに行ったり、淡路島まで行ったりしているから不思議だ。もう遠い場所になってしまった明石。機会があればもう一度行きたいものだ。



EOS-3 / Velvia(RVP)
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20世紀の漁港猫

2016-11-05 | 過去写真(フィルム)

昔のフィルムスキャン。もうこの写真は、いつどこなのか、さっぱり分からない。前後の写真を見ると瀬戸内海らしき海の風景があり、明石大橋のあたりか、岡山あたりだとは思う。この写真をセレクトしたのは、出来が良いからとかではない。昔に撮っていた写真と現在撮っている写真が大体同じようなものだと再発見したからだ。同じことを10年以上続けているのだから、少しは進歩したいものである。




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あの頃の造り酒屋

2016-10-31 | 過去写真(フィルム)

もう死ぬまでに絶対終わらないと思われる昔のフィルムのスキャン作業。フィルムのコマ間に撮影データを記録するデータバッグ、無理してでもあれを付けておけば良かったと今になって思う。撮影年度も使用機材も特定することは困難だけど、少なくとも10数年前の写真である。この建物は造り酒屋さんで、京都の伏見区に住んでいる時に撮ったものだ。何でこのアングルかというと、土手沿いの道を歩きながら撮っているからだ。当時は日曜日に歩いて伏見の造り酒屋さんに行き、直営店でランチと樽酒を頂いて、ほろ酔い気分で歩いて帰る、そういうことをよくした。行き帰りに写真を撮りながらの散歩で、ささやかだけど、ある意味で贅沢なひと時だったと思う。

若かったし、色々仕事で悩むときもあった。それでも自分の足で大地を歩き、自分で世の中を渡っているという確信が持てる時期でもあった。人は何かを得る代わりに、何かを失っていくことを痛感する。それが人生というものかもしれない。



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さらば大食堂

2016-03-27 | 過去写真(フィルム)


















岩手県花巻市のマルカン百貨店。惜しまれつつ、この6月で閉店する。建物の6階には大食堂があり、老若男女を問わず、花巻市民に愛されている。何しろこの食堂は、いつ行ってもそれなりに混んでいる。どんなに混んでも驚異の収容能力なので、入れないということがないのである。閉店まで残り二ヶ月。懐かしの味を求める人たちで、食堂はいっぱいだった。その時点で、東北の飲食店の中で客の数が一番多かったことは間違いない。久しぶりにEOSを使ったらAFが合わず、ちょっと心残りの写真しか撮れなかった。閉店までにもう一度行こうと思う。


EOS 6D / EF40mm F2.8STM, iPhone 6S


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彩・・・with 8na8na-club

2015-01-28 | 過去写真(フィルム)

スキャンした昔のフィルム写真を掲載する「20世紀写真」のカテゴリである。元フィルムが出てこないので、フィルム種類は分からない。もう処分してしまったが、先代のマクロレンズで撮影した。別にこの写真自体に価値もなければ、意味もない。単に、昔はストレートに綺麗な色を撮ろうとしていたなあ、最近は「渋い色」狙いで、こういう写真を殆ど撮っていないなあ、と思った。それだけの話である。しばらく気候が緩んでいたが、今日は久しぶりの寒気で、雪が舞っている。ピンクのチューリップが咲く日はまだまだ先である。

《8の付く日は 「8na8na-club」》
「8na8na-club」の詳細は、awaさんのブログまで→→→ Dear to you

EOS-3 / EF100mm F2.8 MACRO


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南国の小さな花・・・with 8na8na-club

2015-01-08 | 過去写真(フィルム)
何か花の写真を撮らなきゃと思っていたが、写真どころじゃない暴風雪。仕事の合間に、ちょっと足を伸ばしてなんて不可能で、安全に家まで帰るまでが一苦労といった状況であった。この真冬の厳しさから自己逃避すべく、昔の南国の写真をセレクトした。画面には穏やかな海と名も知らぬ小さな花、小舟。吹雪のなか、こういう写真を見るのも乙である。

EOS-5 / RDP2


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猫とフィルム

2014-12-20 | 過去写真(フィルム)
我が家では、2匹の猫が天寿を全うした。その猫たちの写真は常に家に飾られている。一足早く、来年用に飾る写真を入れ替えた。勿論、デジタルカメラの写真もたくさんあるが、フィルムで写真が残っているということを、とても嬉しく思う。猫の思い出とフィルムは、とても相性が良いのである。

EOS-3 / EF50mm F1.4 /
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枯れ山水雑考

2014-12-03 | 過去写真(フィルム)
京都に住んでいる頃によく行った龍安寺の石庭である。撮影年度は忘れてしまったが、1999年頃ではないかと思う。ふらっと龍安寺に行く、そんな贅沢な行為は今ではもう出来ない。何か思うところがある時、この石庭に出かけて思案に耽ることが出来たら、そう考える人も多いだろう。実際に東京あたりから、そのために京都に出かける人もいるだろう。でも実際には、ここは有名観光地である。いつ行っても多くの観光客、特に外国人観光客で賑わっている。一人静かに孤独を楽しめる場所ではないのである。

それでも、多少なりとも龍安寺で孤独を楽しみたいのであれば、開門と同時に行くか、比較的に空いている6月とか2月に行くべきかもしれない。あるいは、「動中に静あり」の精神で、喧騒の中に静寂を見出すかである。僕は、この石庭は見る者の心を鍛えるのではなく、修行僧が庭を整えることによって鍛えられていると解釈していた。写真の方は、いつ行っても同じような写真を撮り、結果的に同じような写真が何十枚も残っている。


EOS-5 / レンズ不明 / RDP2
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