ベタですが・・・。一枚目は街中で見つけた本物の落花。二枚目は廃業した建物に残る造花である。自然に任せて落花した本物の花は、どこか作為的に見える。一方で朽ちた造花は、むしろ自然に劣化したように見える。事実は小説よりも奇なり、作り話は現実よりもリアルなり。そういうことだと思う。
ギプスが外れてから、骨折のリハビリは順調に進んでいるようだ。医者から「マニュアルミッションの車は暫く無理だね。でも今どきは、みんなオートマ車だから問題ないですよね」と言われたのは、丁度二ヶ月前。愛車はマニュアルミッションなんだよ!と怒れる気持ちを抑え、通勤車(AT)を運転することにしていた。それが昨日、とうとうマニュアルミッションの愛車を運転することにした。前日にクラッチを踏む練習を何回もした。クラッチは既に踏めるけど、びびってしまい力を入れらなかっただけと分かった。そんなわけで、丸二ヶ月振りに愛車を運転したのである。何故か想定以上にスムーズに運転でき、快晴の空の下、気持ちよくドライブした。
ちなみに僕は秋田県に住むまで、クルマのことなんて全く興味がなかった。いらないとすら思っていた。でも今はどこに行くにもクルマがなくては不可能。山道も高速道路も雪道も、安心して走れる相棒が必要なのだ。
X-PRO3 / XF16-80mmF4 R OIS WR
2011年3月11日に発生した東日本大震災。あれから11年が経過した。先月、岩手県の全ての市町村で写真を撮ることが完了した(岩手コンプリート)。その際、広大な海岸線をクルマで走り回った。最北部の洋野町のように防潮堤が機能し、津波の被害から逃れた町もある。一方で、陸前高田市のように、町並み全てが失われた町もある。いまだ復興関連工事も行われている。それでも人々は、海と共に生きている。全ての犠牲者に哀悼の意を表します。
2022年3月11日
僕は以前に京都に住んでいた。京都から引っ越しても、夏の暑い時期になると、「嗚呼、もうすぐ祇園祭りだな」と反射的に思う。それが一度は京都に住んだ者の性(さが)だ。とはいえ、京都を去ってからもうすぐ15年。「祇園祭り」なんて遠い夢の世界のように感じるようになった。そんな中、コロナ禍の影響から「長刀鉾ちまき」をインターネット申し込みで入手できることを知り、早速入手した。昔、これを入手するために、随分と並んだことが懐かしい。
LEICA M10 / SUMMILUX M50mm ASPH
尊敬する写真家、上原稔師匠のご逝去から一年が経ちました。改めてご冥福をお祈りいたします。亡くなられたのは4月28日なのですが、4月29日付けのブログ記事がアップ(予約投稿)されているので、勝手ながら僕の中では4月29日が亡くなられた日と思っています。
写真は昨年の4月29日のものです。鳥海山の山頂付近だけに美しい日が差していました。その印象的な光を覚えています。他に何もできませんが、これからも町の写真を撮り続けます。
2011年3月11日に発生した東日本大震災。あの大惨事から十年が経過した。改めて、お亡くなりになられた方に哀悼の意を表します。また被害に遭われた方にお見舞いを申し上げます。
あの未曾有の大震災から十年。完璧とは言わないけど、被災地は徐々に復興を遂げていたのは事実だ。何事もなければ「復興オリンピック」を謳った東京オリンピックが昨年に開催されていた筈だ。日本中が高揚感に包まれていただろう。だが、それは実現しなかった。新型コロナウイルスの世界的蔓延で、全世界が停止状態になってしまった。そんな状況を誰が想像しえただろう。あの震災から十年は、激動の十年だったように思う。そして「十年」という月日の流れは余りに重い。いまだ未解決の問題が山積する一方、震災後に関連死する方も多くいる。震災とは全く別の災害や疫病で亡くなった方も多い。人々の関心は直近の被害に向き、語り継ぐべき大震災の遺訓も薄れていく。だからこそ、「十年」の節目を機に今一度、あの出来事を思い返さなければと自らを戒めている。次の十年後には、もっと多くのことが忘れられ、三十年後には全く同じ大震災が起きるかもしれないから。
思えばこの十年は、僕個人にとっての世界のあり方も大きく変わった。幾つかのとても大事なものも失われた。それでも、こうして僕は生きている。震災直後のことを考えれば、僥倖といえるかもしれない。ここ一年だって新型コロナで多くの命が失われている。そのことを思えば「生きているだけで丸もうけ」かもしれない。丸もうけなんだから、自分の出来ることをやり続けなければと思う。
※我が家の猫、銀次郎くんは2011年生まれ。震災からの経過年数は、そのまま銀次郎くんの年齢でもある。
鉢植えは雪に埋もれていた。それは2週間前の週末のことだが、今では遥か昔のことのように思える。今では雪はすっかり溶けてしまったに違いない。今週末には再び寒波が来るようで、消えた雪が補充されることになる。効率的なのか、非効率なのか、全く分からない。
さて、話は変わって先日の出来事だ。車で決して広くない市道を走行していると、前方に極端に遅い速度で走る軽トラックを発見した。農村地帯なので、そんなことには慣れっこだが、その車はそれにしても遅かった。予感めいたものがあり、僕は念のため距離を取って後方を走った。案の定、軽トラはフラフラと道路左側に逸れていき、道路脇の防護柵に激突した。スピードは遅かったが、かなりの衝撃音がした。救護しようと車を停めた。運転手は、高齢男性だった。車の左半分はペチャンコだった。幸いなことに運転手が無傷だった。その後のやり取りは省略するが、時間を掛けて安全を確認し、気が落ち着くまで付き添った。車もとりあえず自走可能だった。ほっとした。だが家に帰れば「お爺ちゃん、運転は禁止だよ!」と免許返納騒動が起きるだろう。今回は単独の自損事故だったけど、一歩間違えると、複数が絡む事故になったかもしれない。やはり車にドライブレコーダーは必須だと痛感した。
X-PRO3 / XF16-80mmF4 R OIS WR
今年に入ってから、街中で見つけた花。主には何かの店先などである。いくら小雪とはいえ、真冬の東北地方、そして新潟。本当の花と、造花が入り乱れている。どれが本当の花で、どれが造花か分かるだろうか。それを想像してみた時、この際どちらでも良いと思いませんか?。大事なのは、花があることだけだと。今回は、フィルムシミュレーション「クラシッククローム」で撮りました。
X-PRO3 / XF35mm F1.4R
平成と令和を跨いでの大型連休。またしても諸事情で遠出は叶わない。どこか遠くへ行きたいなあ。知らない街を旅してみたいなあ。写真は、2008年に出かけた金沢。この金沢行きの翌月から、僕はブログを始めた。町歩き大好き人間からすると、金沢は天国だった。
破損した過去の写真データは、少しづつ復活している。厳密にいえばデータ自体は壊れていない。その分類データが壊れたのだ。毎日、過去の写真データとにらめっこしていると、脳内で時間旅行をしている気分になる。でも本当は、実際の世界で、いま遠くへ行きたい。
追伸:当時はキヤノンの一眼レフを使用していた。あまり出来はよくないが、昔つくったLightroomの「森山大道」という自作のプリセットを適用した。いまはもう使用していないプリセットだ。
パナソニックのカメラ、LUMIX GX7が突然壊れた。直前まで普通に動いていたのに、電源を入れても全く反応がない。色々試したが、明らかに死んでしまったようだ。過去にデジタルカメラを何台も使ったが、今回のLUMIXのような極端な壊れ方、つまりは突然電源が入らず、一切使えなくなるなんてことは初めてだ。あまりにも家電っぽい壊れ方に困惑している。最近、僕には禍々しいことばかり起こる。他のカメラがあるので、実用上は困らないものの、折角買ったレンズの問題などもあり、思案している。
追伸:中古購入品なので、壊れたこと自体は仕方ない。修理費目安を聞くためメーカー窓口に電話した。型番を「LUMIX GX7です」と伝えた。「その型番では登録がないようです」と言われた。えっ?。結論から言うと、正式型番は「パナソニック GMC GX7」だそうです。
例えば、ソニーのα6300だって、型番は「ILCE-6300」だ。これを「α6300」といっても、メーカーサポートが「そのような型番はない」なんて口が裂けても言わないだろう。パナソニックが多方面の家電を展開していることも理解しているし、テレフォンオペレーターだって外注委託かもしれない。たまたまよく分からない担当が電話に出たのかもしれない。でも、それも含め、がっかりしたのは事実だ。良いカメラだったけど・・・。個人的にはパナソニックはカメラメーカーとしてまだ認定できないなあ。それでも、家にまだ眠るフィルムカメラを処分して(資金がないので)、GX7 Mk2を買うことも検討している。あるいはパナ用のレンズも全て処分して、すっきりするか・・・。サポートが真っ当であれば、気持ちよく次の準備が出来たのに惜しい。
ちなみに住宅設備機器などでは、パナソニックは驚きの親切サポートをしてくれるし、出張修理に来てもらっても、しかも良心的な料金なのだが・・・。
iPhone 8