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No Room For Squares !

レンズ越しに見えるもの または 見えざるもの

八戸探訪(番外編)~鮫という町

2025-03-16 | 街:青森










八戸市の鮫地区。海岸沿いの地区であり、名前の通り鮫が多かったのだと思う。また鮫地区の蕪島は、ウミネコが数多く生息する場所としても有名である。ここは車で通過したことはあるが、実際に降り立って歩いたことはない場所である。今回は二日目の朝に鉄道で移動し、鮫駅から蕪島(神社)まで歩いて往復してきた。鮫の街を突っ切る形で歩いた。

上原師匠は、よく鮫の町を歩いて写真を撮っていた。気にはなるものの、僕にはハードルの高い町でもであった。そこでどういうものを撮るべきか、よく分からなかった。今回行って、悩まずに行けば良かっただけと分かった。駅があり、商店街があり、港があり、飲み屋街があり、蕪島があり、猫もいる。全部撮れば良い。ここだけはモノクロにした。蕪島神社の上空は青く澄み切っていて、色を諦めるのは困難だった。原点回帰の試みをしなきゃということで・・・。ちなみに神社には大量のウミネコ(カモメ?)。糞攻撃を避けることで精一杯だった。



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八戸探訪(終)~夜は野となれ山となれ

2025-03-15 | 街:青森










そんなわけで陽は落ちて夜が来た。夕刻までの時間は、末席ながら自分のことを写真撮りと思っている。夜の帳が降りてからは、旅人と呑兵衛の比率が写真撮りを上回る。夕方までは高揚感に包まれながらも、どこか覚めた眼と意識で街を見ている。それが今や僕は夜の街の一部と化し、弛緩した意識を保ちながらも単なる酔い人となる。犬から酔っぱらい(笑)。もう被写体の細部なんか見えていない。身を置いたその場から見えるものを拾い上げるだけである。写真だって人様に見せるようなものではないかもしれない。

そんな僕の唯一優れたところを記すとすれば、街への紛れ方だと思う。酔客が闊歩する繁華街(この日は殆ど居なかったが・・・)。明かりを灯した夜の店。ここで写真を撮ればトラブルに発展する可能性もある。でも僕はどこからどう見ても一人の酔っぱらいのオッサン。完璧な擬態を成し遂げている。まあ擬態ではなく、変身ではあるが・・・。八戸の夜は楽しかった。すぐにでもまた来たい。前回来たときもそう感じたことを思い出した。終わり。 

*番外編あります。


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八戸探訪⑤~夕刻の嗅覚(再び犬となる)

2025-03-14 | 街:青森









鉄道で来た八戸探訪の旅。これまで鉄道旅だと嬉しくて、ついつい昼間のビールを飲み過ぎ、夜にダメージが残るパターンが多かった。今回は対策はバッチリ。往路は酒を一滴も飲まなかった。酒蔵見学で試飲はしたが、お代わりはしていない。ホテルにチェックインしてから休息を挟み、万全の態勢で夕刻の街に出た。

八戸夕刻の時間は、ほぼノープラン。最初の一杯はビールで、陸奥八仙を必ず飲む、と飲酒のことは決めていた。それでも一つだけ気になっていることがあった。それが1~2枚目の「マルタ」の建物である。毎回八戸に来る度に撮っていて、頭に残っている。でもあれが何処にあったのかは記憶にない。まあいい、それが必然であれば歩いているうちに見つけるだろう。上原師匠はよく言っていた。「この町で写真を撮る人間であれば、〇〇には必ず辿り着くのです」と。それを嗅覚と呼んでいた。今の僕にその嗅覚は残っているのだろうか。一抹の不安を抱えて街に繰り出した。

結論から言うと、あっという間に見つかった。メインの通りから何本かずれていたが、何故か顔を上げるとマルタはそこにあった。全てが報われたような気がした。こうして八戸の夕刻は上々のスタートを切ったのである。僕は三沢でそうしたように、再び犬となって街を歩く。

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八戸探訪④〜小中野竜宮城(後編)

2025-03-13 | 街:青森












八戸は太平洋に面した港町で、同じ青森県の日本海側や内陸部に比べると積雪量は少ない。それでも北国は北国。雪も降るし、浜風が厳しく体感温度は低い。かつて港から上がった船員で賑わった遊里の町の飲屋街にも工夫が見られる。内部廊下が異様に長い飲屋長屋のような構造の建物が幾つも見られる。元々バラックの飲屋があり、それを連結して屋根代わりに二階部分を増築したのかもしれない。薄暗いトンネル廊下は50mくらいありそうだ。内部の店を飲み歩き、外に出たらいつの間にか明るくなっていた。そんなこともあったかもしれない。まるで竜宮城から出て来たかのような感覚を覚えたに違いない。

内部の店が今でも営業しているのかどうかは疑わしい。殆どは廃業しているとみて間違いない。それでも幾つかの店は現役のようでもある。僕は店が営業している姿を思い描き、自分が陸に上がった船員になった気持ちで、トンネルを歩いてみた。目を薄目にして今は夜だと信じ込む。ロールプレイングだ。そして朝になった気分で外に出る。陽はどこまでも眩しかった。玉手箱を持っていなくて助かった。

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八戸探訪③〜小中野の遊里を歩く(前編)

2025-03-12 | 街:青森











八戸探訪編に戻る。八戸に来るのは3回目であり、過去2回はどうしても本八戸の中心地を歩くことがメインの日程になっていた(陸奥湊まで行って、魚市場で朝食を食べたが・・・)。今回は中心地以外の場所も歩いてみようと思い、小中野駅から散策を始めた。実際は、ここから旅を始め、小中野を抜けて八戸酒造に行ったのが本当の時間軸だ。だから前回の蔵元見学から少しだけ時間を巻き戻すことになる。

八戸でやりたいと思っていたことの一つに、新むつ旅館に泊まることがあった。元遊郭が転業した旅館で、玄関を入った大広間に部屋に登る見事な大階段がある。僕は青森黒石の中村旅館には3〜4回泊まっており、同じく元遊郭の中村旅館にも朱塗りの大階段がある。新むつ旅館の階段は中村旅館より遥かに大きなものである。いつか行こうと思いながら時間は流れ、とうとう新むつ旅館は廃業してしまった。それでも建物は残っている。とにかく見るだけ見よう。小中野駅から遊里の飲食店街を抜けて、新むつ旅館まで歩いた。想像以上に香ばしい町並みだった。そして想像していた通りの新むつ旅館を眼にすることが出来た。ここに泊まることが叶わなかったことは、返す返すも惜しい。小中野、もう一回続きます。

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八戸探訪②〜陸奥八仙の蔵元へ行く

2025-03-10 | 街:青森







皆さんは「陸奥八仙」という日本酒をご存知だろうか。青森県の八戸酒造が造る酒である。青森の酒といえば、田酒(青森市)が最も有名だ。でも僕は陸奥八仙(八戸市)と豊盃(弘前市)こそが青森を代表する酒だと考えている。その八戸酒造の蔵見学に参加してきた。蔵内部の見学写真はSNSアップ禁止なので、可能な範囲での写真を掲載した。思いつきに近い計画だったが、現地に向かう新幹線の中で調べると、実に興味深い歴史に触れることになった。まず陸奥八仙というブランドの話である。このブランドは1998年に作られたもので、創業から300年近い蔵の歴史からすれば新しいものである。現代の嗜好と日本酒本来の味わいの高度なハーモーニーが陸奥八仙の味わいの特徴でもある。では陸奥八仙以外の代表的な酒は何かと言われれば、それは「男山」である。この「男山」という酒は日本全国に数多くある(これもよく分からなかった)。北海道旭川とか宮城県気仙沼などが有名である。八戸酒造の男山は、「陸奥男山」などとも呼ばれている。

次に蔵元の名前である。陸奥八仙を造る八戸酒造は、駒井酒造と呼ばれたりもする。実際、蔵元の看板も「駒井酒造店」となっている。八戸酒造は「駒井酒造店」として創業し、経営は代々の駒井家が担っている。現在も駒井家の八代目蔵元が経営している。実はここに激動の歴史があった。単に酒蔵を見るだけのつもりが、そこには実に壮大なドラマがあった。とてもまとめる自信はないが、簡単に説明する。まず戦時下(太平洋戦争)に国策により近郊の酒造会社は強制合併され、合同会社(十数軒による)が作られることになった。それが八戸酒類株式会社である。会社は現在の八戸酒造の蔵元に置かれていた。戦後も合同会社は継続され、各蔵元で酒を製造し、売上管理は会社(八戸酒類)が行う形式だった(生コン組合みたいなものだろうか)。元々、駒井酒造は「男山」のブランドを持ち、地域の中心的な作り酒屋だった。合同会社の初代社長も当然ながら、駒井家が担っている。だが合同体制が続けば、その弊害も出てくる。参加蔵元は自ブランドの売上や品質が悪くても、利益は平等に分配される。日本酒の衰退と流れを同じにして、合同会社の価値も薄れていく。駒井家は自分たちの酒造りを再開すべく、平成になってから八戸酒類を抜ける決断をした。現在の蔵元家屋は、当時は合同会社の管理下にあったので、別の場所で独自の酒作りを始めたわけである。商標や蔵元を取り戻す裁判などもあった上に、酒の品質も中々あがらず、大変苦労したようだ。だが2000年代に入ってから、経営環境が落ち着くと、理想の酒作りに邁進。陸奥八仙は現代の日本酒シーンにおいて重要な位置を占めるに至った。単に陸奥八仙の蔵元を見学したかっただけなのに、途方もない情報の連続だった。ちなみにこれは、僕がネットで調べた情報である。蔵元見学では、そんな生々しい話は出なかったことは明記しておく。

見学のあとは試飲も楽しんだ。僕は試飲で一番旨かった「裏八仙」を購入した。裏八仙の旨さと来たら・・・。見学前と比べ、一層と陸奥八仙のことが好きになった。ちなみに今回は鉄道の旅である。日本酒は重いので、現地から宅配便にて発送した。届くのは火曜日であり、ワクワクしている。

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三沢に犬を探しに行こう(終)~蔦温泉、アントニオ猪木家の墓、そしてフィナーレ

2024-11-10 | 街:青森










「三沢に犬を探しに行く」と言って三沢に来た。初日こそ寺山修司記念館と三沢の繁華街を歩いた。でもそれ以外は、三沢市の外で過ごしている。二日目(最終日)も、まず向かったのは七戸町。もうこのまま帰ろうかと思い始めた。そんな時、ふと頭に浮かんだのは「蔦沼」である。朝日が当たり真っ赤に輝く、あの絶景の沼である(存じない方は是非一度ネット検索して下さい)。もちろん日の出はとっくに過ぎているので、あんな絶景は望めないだろう。でも季節は紅葉真っ盛り、そこそこ綺麗な沼を見ることは出来るかもしれない。距離的にも近く、30分も掛からずに到達できる。この時期にこの場所にいる。その幸運を逃すわけにはいかない。クルマで来ることになったのは、この為ではないか。そう思い始めた。仮に沼が残念な状態でも、蔦温泉に入浴するだけでも価値がある。更に言えば、あそこには「アントニオ猪木家の墓」もある。もはや犬のことなんて頭の片隅にもなかった。全く無関係のフィナーレを思い描く。

そういう経緯で訪れた蔦沼(蔦温泉)。結論から言うと、蔦沼は朝日が当たらないと単なる普通の沼だった(写真も掲載しません)。まあ見ることが出来ただけで良しとしよう。途中の遊歩道は紅葉で美しかった。その後に入った蔦温泉は、気持ち良くて最高だった。やはりいつか泊まりたいと思いを新たにした。それなりに満足し、最後にアントニオ猪木家の墓を拝んで帰ろうと思った。本来の猪木家のお墓は横浜市にあり、猪木寛治はそこで眠る。蔦温泉にあるアントニオ猪木家の墓は、先に死別した最後の妻と共同で入るためアントニオ猪木自身が生前に造ったお墓である。猪木さんは蔦温泉をこよなく愛していた。「道」と大きく描かれたお墓だった。卒塔婆の代わりに闘魂タオルが巻き付けられていることに感動する。墓前で手を合わせ、神妙に拝む。これで旅は終わった。さあ帰ろう。・・・。ん?脇に一際小さな墓石がある。なんだろうこれ?。・・・・。え?。何ということだ。愛犬ファアの墓とある。これは猪木夫妻の愛犬の墓ではないか。猪木さんの犬といえば、何となくドーベルマンとかピットブルではないかと思えるが、どうもチワワのようである。犬種は問題ではない。三沢に犬を探す旅に出て、最後の最後に見つけたのは、アントニオ猪木さんの愛犬のお墓だった。終わり。

※狙ったオチではありません。本当に偶然です。

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三沢に犬を探しに行こう⑤~脱線

2024-11-08 | 街:青森












「三沢に犬を探しに行く旅」、二日目(最終日)の朝が来た。撤収を意識しながら移動する日になる。話は変わる。岩手・青森には、名前に「戸」と数字が組み合わされた町がある。一戸から九戸まで(四戸は現在は欠番)、これに十和田を含めれば10の町があり、これがユダヤの失われた十氏族と関係がある。そんな「月刊ムー」のようなネタがあり、僕はそういうものに興味を持ってしまう悪癖がある。残る未踏の町は五戸で、その五戸もそう遠くない場所にある。もっといえば、以前に行ったことのある「キリストの墓」にだって行くことはできる。正直、行きたかった。でもそれでは脱線にも程がある。妥協案として、以前に行って気に入っている七戸の町を歩くことにした。これも脱線には違いないが、とにかく良い町だ。クルマで十分くらいの距離、やはりクルマで来たから自由度が増した。その代わり、ランチにビールを飲むことは出来ない。

七戸では、酒蔵通りに絞って歩いた。何度来ても痺れる通りである。脚を伸ばせば町並みも拡がっているし、さらには南部縦貫鉄道の駅跡も残っている。見所満載ではないか。本来であれば、半日は歩くことのできる町である。それでも、これはあくまで脱線。犬は見つからなかったし、旅の落とし所を決めなければならない。ブログ的にも次が最終回。さあ・・・・。


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三沢に犬を探しに行こう④〜町の陽が暮れる

2024-11-07 | 街:青森









旧・上北町から更に北上し、東北町(元々の旧・東北町)まで来た。ここは野辺地の南側に位置し、野辺地駅までは鉄道で行けば2駅10分ほどの距離である。むつ市からの帰路に野辺地に立ち寄ったことがある。是非、東北町(乙供駅)までと思ったが、時間の関係で泣く泣く諦めた。やっと念願叶って来ることが出来た。時間は夕刻の一歩手前。この後は、近くの温泉銭湯に宿を取ることになっていた(掲載しません)。

時間帯のせいもあるけど、じわじわと来る町だった。寂しさが胸に染み入り、優しい気持ちにさせてくれた。「からすと一緒に帰りましょう」と頭の中でメロディーが鳴った。そんな町は中々ない。厳冬期の姿も見てみたい。犬は見つからなかったものの、道路を横断する猫を見た。猫たらしの僕でさえ呼び込むことが出来ないほど、警戒心の強い猫だった。旅の一日目が終わった。この時点で翌日はノープラン。帰宅までの短い時間をどう過ごそうか、考えなければと思うのであった。


X-PRO3 / XF23mm F2R WR

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三沢に犬を探しに行こう③~縄張りを拡げる

2024-11-06 | 街:青森









三沢市といえば、米軍と自衛隊の基地があり、民間航空も含め多くの航空機が往来する。イメージとしては大きな(面積の広い)ところだと思っていた。実際には、その面積は約120k㎡であり、青森県の中では最も小さい(狭い)市である。西側には東北町が隣接していて、その面積は約326k㎡と三沢市の2.5倍以上となっている。同じく北側には六ケ所村が隣接しており、面積は約253k㎡と三沢市の2倍以上である。そして今回の写真は東北町のものである。クルマで走る限り、三沢と東北町では景観的な変化は殆どない。上空の米軍機から見れば誤差の範囲だろう。

それでも外部の我々からすれば三沢市は何となくイメージできても、東北町は想像し難い。僕も以前から気になっていた。そんなわけで東北町にお邪魔したたわけだ。現在の東北町は、元々の東北町と上北町が合併して出来た町である。今回の写真は、東北町の中の旧・上北町となる。犬が縄張りを拡張するように、僕は三沢からここに来た。続く。


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