真壁町が古くからの町並みを残す魅力的な場所であることは何となく知っていた。場所を調べると、非常にわかり難い位置にある。鉄道の駅からも遠いし、すぐ近くに高速道路のICがあるわけでもない。何故そんな所が栄えたか、インターネットで調べてみたものの、明確な理由は分からなかった。かろうじて分かったのは、江戸時代に木綿を東北地方に流通する経由地となり、交易が活発だったこと。そして明治以降は、「真壁石」という石が墓石用として人気を博したことである。もう面倒なので、とにかく行ってみることにした。
(以下は、現地の伝承館とインターネットで後から調べたことだ。)
真壁町(桜川市真壁町)の基本的な町並みは、戦国時代に出来たそうである。当時、町を治めていたのが戦国武将の真壁氏であり、それが町の名の由来である。真壁氏は、常陸国を統治する佐竹氏の家臣であった。だが佐竹氏は、関ヶ原の戦いで徳川側に付かなかった責を問われ、羽後国に領地替えとなる。完璧なる左遷である。真壁氏は佐竹氏と共に羽後国に行ったという。真壁氏なき後、真壁町は浅井長政の領地となった。
ちなみに佐竹氏が左遷された羽後国とは僕の住む秋田県のことである。現在の秋田県知事は、この佐竹氏の末裔である。そして真壁氏は、秋田角館にて角館城主となったという。あれ、マイナーな茨城の町に行ったつもりが、何故か繋がってしまった。惜しむらくは、近くに鄙びた温泉さえあれば、僕は再びこの地を訪れて夕方まで歩き回りたいと思うのである。なんといっても、この日は35度オーバーの猛暑日。朝から茹で上がってしまい、不完全燃焼であった。
X-PRO2