朝起きて「サンデープロジェクト」を見ながら朝食。テーマはもちろん「ライブドアvsフジTV」と「西武王国崩壊」。自分の本棚をチェックしてみたら西武や堤義明さんに関する本は6冊あった(全部昔の本)。ぼくが学生だった頃は堤義明さんと言えば本当にヒーローだった。原野のような場所にゲレンデやゴルフ場やホテルを作り、土地の価値を上げていくという雄大なビジネスモデルに憧れたものだった。当時の「国土計画」って社名にも憧れた。
学生の頃は西武グループの苗場ゲレンデと苗場プリンスホテルは、羨望の場所だった。確かユーミンのコンサートなんかもやってたと思う。「スキー&コンサート」の「白い休日」って感じ。あれはやっぱりバブルだったのだろう。時代は変わった。
もう少しスキーの話しをすると、自分はゲレンデは志賀高原と八方尾根が好きだった。志賀はいろいろなゲレンデが連結されていて、ゲレンデ巡りが楽しかった。大きなゲレンデの狭間に「タンネの森」という小さなゲレンデがあったのが妙に印象に残っている。すごくメルヘンしていて、かわいい感じのゲレンデだった。八方尾根はもうストレートに最高。晴れた日には白馬三山が目の前に見えて、眺めも抜群。TOPから一番下まで豪快に滑り降りるような、そんなダイナミックなスキーが楽しめた。どちらにしても20年以上前の話。
遅い朝食の後は床屋へGO。しかし・・。混んでいた。「これだけでわかる個人情報保護」という本をもっていって読みながら待っていたのだが、気がついたら完睡していた (^_^;) 。ま、いいと。床屋さんでは「花粉症で困った」とか「今年の花粉はすごい」とか「マスクを買いに行ったら売り切れていたので、マスク屋はさぞかし儲かっているだろう」とか、いろいろ話しかけてくれるのだが、自分としては、もう花粉対策は実施済み(3/9のブログ参照)なので、ぜんぜん関心が向かず、「はぁ」とか「そうっスね」とか可もなく不可もない返事を繰り返していた。
その後出社。会社でメールチェック&送付。
家に戻ってきて家族で卓球をやりにいく(写真は長男と次男)。長男はこの4月で中3になるけど、ずっと部活は卓球部。自分も卓球は多少自信があって、つい先日までは家族内で試合をやっても負けなかった。それが前回卓球しにきたとき、初めて長男に負けた。前回のときはフルセットの末、ジュースなんかを繰り返しながらの接戦負けだったけど、今日はあっさりストレート負けした。次男も4月から中学進学で、部活は卓球なのだそうだ。次男にもいつか負けるようになるかもしれない。
長男は昔は不用意にスマッシュを打ち、自滅するパターンが多かったが、最近は慎重で、ここぞいうときに打ってくるスマッシュは決定率が高くなった。普通は父親として「勝負より子どもの成長を喜ぶ」という結論なのだろうが、自分はそれが老化の第一歩だと思っている。実はまだ完全にあきらめていなくて、次回はこれまでとはまったく違う卓球をやって長男に一アワ吹かせてやろうと密かに思っている。その方が自分も成長できるし、その方がおもしろいと思っているのだ。それでも負けたら・・? それはそのとき考える。
卓球から家に戻り、夕食。その後、メール → ミクシィ(コミュニティ加入)→ ブログ。後は風呂入って、本読んで、寝ようかな。日曜日の休日はこんな感じ。「普通」だと感じる。でも考えてみれば、学生の頃バイトして、休日と言えばスキーなんて思っていたあの頃はあれが「普通の休日」だと思っていた。いつも「今」が「普通」なのだろう。長男や次男は 親と一緒に卓球をやっている休日よりも友だち(または彼女)とスキーにいく休日を過ごしたいと思うときがくるはずで、それはそれでいいことだと思う。その頃は自分たちの休日の過ごし方もまた変わっていくはずだ。
なんかもの足りない感じがしないでもないけど、今はこれで十分幸せだし、いいと思っている。こういうことはムキになって変えようとしない方がよくて、なんとなく自然に休日の生活パターンも変わっていくような気がする。もっとエキサイティングになるかもしれない。変わらないことは「幸せな休日」であること。そんな風に思っている。
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20歳台のときは1年に5,6回は当たり前でした。
出向先のM社が高天ヶ原に保険組合の宿泊施設があり
よく利用させてもらいました。
だから志賀高原は毎年のように行っていましたね。
一ノ瀬と高天ヶ原の間にあるタンネの森は、木々を
すり抜けて滑るような感じで、とても良いですよね。
オコジョという動物が出ることでも有名です。
一度も見たことは無いですけど。
では、また。
そうでしたか。むとさんも志賀へはよく行かれていたのですね。一ノ瀬とか高天ヶ原とか、懐かしいサウンドですね。
タンネの森は木々をすり抜けて滑る感じがよかったですよね。あの雪の森へまた行ってみたいっスね。