帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの三十六人撰 公忠 (三)

2014-08-06 00:07:29 | 古典

       



                    帯とけの三十六人撰



 四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。


 公任(きんとう)は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、太政大臣藤原兼家も道長も、藤原公任を詩歌の達人と認めていた。江戸の学者たちの国学とそれを継承した国文学の和歌の解釈は、公任の歌論を無視した。和歌は鎌倉時代に秘伝となって埋もれ木のようになっていたため、漏れ聞く「古今伝授」の歌の解釈やその方法は荒唐無稽に思えたのだろう。そして、字義どおりに歌を聞き、論理実証的に解釈した。解明された歌の内容は、明治時代に正岡子規よって「古今集はくだらぬ集に有之候」「無趣味」「駄洒落」「理屈っぽい」歌のみと罵倒されるまでもなく、味気も色気もない技巧だけがある歌に見える。「古今集」の歌を、「心深く、姿清げで、心におかしきところ」があるなどと思う人は誰もいなくなった。そして、国文学の合理的解釈方法に異を唱える近代人は誰もいないので、そのまま現代に至る。


 清少納言や紫式部は、今の人々と同じように、和歌を聞いていたのだろうか、大いなる疑問である。江戸時代以来の学問的な訳と解釈方法(序詞・掛詞・縁語などの概念を含む)を棚上げして、平安時代の歌論と言語観に帰り、改めて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。



 公忠  三首(三)


 玉くしげふたとせあはぬ君が身を あけながらやはあはむと思ひし

 (玉櫛筐、蓋と背の合わぬ君の身の上よ、緋・五位の色の衣のままか、二年ぶりに京で・逢うのだろうと思った……玉具しけ、ふた門背、合わぬ、君が身を、血気盛んなままか、二年ぶりに妻と・合うのだろうと思った)



 この歌は大和物語(四)に作歌事情が語られてある。


 大宰府大弐小野好古が、純友の乱の時、追討使に任じられ、正五位下、少将として下向した。朝廷に仕えて、四位になるだろうという年だったので、正月に位を賜る結果が、とっても知りたく思ったけれど、京より下って来る人もめったにいない。或る人に問えば、「四位になりにたり」と言う。或る人は「さもあらず」とも言う。確かなことを何とかして聞きたいと思う間に、京よりの便りがある中に、近江守公忠の君(源公忠)の文を持って来ていた。とっても心ひかれ、嬉しくて、開けて見れば、よろずの事を書き、月日など書いてあって、奥付に、この歌があった、これを見てだ、限りなく、かなしくてなむ泣きける(悲しくてだ泣いたのだった…妻を思い泣いたのだった)。四位にならぬ事情は、文の言葉に無くて、唯このようにあったのだった。


 言の戯れと言の心

 「たまくしげ…玉櫛笥…櫛入れ箱の美称…ふた、ひらく、身などかかる枕詞…玉・具・肢・毛…おとこ」「ふたとせ…二年…蓋と背…被る物と背丈(男の器量)…二、門・背…おんなとおとこ」「門…と…女」「背…男…おとこ」「あはぬ…逢っていない…合っていない…好古は戦場に居るので、妻には合っていない」「身を…身の上よ…身の下お」「を…感嘆詞…お…おとこ」「あけ…緋…五位の緋衣…朱…赤…血の色…血気…元気色」「やは…疑いの意を表す」「かなし…悲し…痛切に情愛を感じ胸がつまる感じ」。

 


 好古は、四位になれなかったのだと歌を聞きとり落胆して泣いた。それだけではない。歌に顕れた親身になって身の上も下も気遣う友情に、京の妻を思い泣いたのである。

 
 歌を見て、大の男が泣きけるとあれば、共に泣けるような歌の見方があるはずである。

 


『群書類従』和歌部「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。



 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。

 
 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様(和歌の表現様式)を知り、言の心を心得る人は、古今の歌が恋しくなるだろう」と述べた。

 
 藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義が述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。

 
 清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの、(それが)、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と、重要な言語観を記している。

 
 藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。

 
 上のような歌論と言語観は、今では無視されるか、曲解されているが、貫之と公任の歌論と清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。