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帯とけの平中物語
「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、その生きざまが語られてある。古今集編者の貫之や躬恒とほぼ同世代の人である。
歌も地の文も、聞き耳によって意味の異なるほど戯れる女の言葉で綴られてある。それを紐解けば、物語の帯は自ずから解ける。
平中物語(二十五)また、この男、志賀へとてまうづるに ・(その二)
さて(道連れになった女車と寺で別れて)、翌朝、車に逢おうと、網引かせなどして(帰り路の浜辺で待って)いたところ、知人が、逍遥(その辺を散策)しょうと呼びに来たので、そちらへ、この男は行ったのだった。その間に、この女(あの歌を交した女)は帰って来て内裏に参上して、友だち連中に、志賀寺に詣でて、有った様子などを語ったのだった。それを、この男とものなどいひて知れるが(平中と情けを交し知る女が)、その中に居たのだった、「それで、その男は誰と言ったの」ときいたので、名を言ったところ、この(平中を)悪く思っていた女、「あれはさこそあれ(あれはそうした男よ)、それがうきことよ(それの浮き言……それの憂き事)」と、決してない浅ましいことを作り出しつつ、言いふらしたので、「あらそうだったの、可哀そう、知らずに過ごしていたことよ、それでは、いとこころうきものにこそありけれ(たいそう嫌な感じの者だったのね……とっても心浮かれた者だったのね)、もし、使いの人来ても、その文取り入れるな」など、使う人にみな教えたのだった。それを知らずに、この男、帰って来て、教へにしたがひて(別れの時に教えられた曹司と使う人の名の通りに)、人を遣ったところ、「いまだ里の家に、志賀へと退出されたままに、参上されていません」と、文も受け取らずであったので、使いの人、帰って来て、「このようにですね言いました」と言ったので、事情を知らず、重ねがさね、二、三日文を遣ったけれど、ついに取り入れなかったので、志賀に連れて行った友だちともいえる人で、わけ知りを呼びに遣って、事の有様、有ったことなど諸共に見た人なので、「確かに、怪しい、他人が君を言い貶めたのだろう」などと言ったのだった。
この男(平中)、前栽を見つめて、口ずさみに、
たすくべき草木ならねどあはれとぞ もの思ふ人の目には見えける
(助けなければならない草木ではないが、あゝ哀れと、もの思いする人の目には見えたことよ……助け合うことになる女と男ではまだないけれど、あゝいとしいなあと、恋する人の目には見えたことよ)。
言の戯れと言の心
「草…女」「木…男」「べき…しなければならない…するはずの」。
などと言っていたのだった。この友だち、「げに、ことわりや(全く、当然だ・そう見えた……そうだ、もちろん・女にもそう見えていた)」などと応える間に、日が暮れて、月がとっても趣があったので、「さあ、西の京あたりに、時々、我が・ものいふ(情けを交す女の)辺りにて、話などしよう」と、誘ったので、もろ共に行ったのだった。
あの志賀のことばかり、恋しかったので、女が初めに言い出した歌を、声張り上げながら、甲斐歌に(民謡風に)唄って行ったのだった。
その女の歌は、このようになまめかしかった。
逢坂の 名に頼まれぬ 関川の ながれて音に 聞く人を見て
(逢坂の名に頼んでしまう・あいたい、関川のように流れて、噂に聞く人を見たので……合う坂の山ばの汝に、身を託してしまう、関門、川の、しるは流れて、うわさの人を思って)。
すると、先に立って車が行く。しだいに、朱雀大路を行く間に、この車に付いて、なおも唄って行けば、この車より、「この、言った人の定かな歌を盗んで、すざくにしても(朱雀大路でよ……もてあそんでよ)歌う(どんなおつもり)」と言って寄こしたので、この男、あやしきこと(ふしぎなこと……妖しいこと)ばかりが千種にも思えて、「このように、咎められる人もおられるかと」と言ったので、車より、「とってもよく知る人が、嫌なことがあったのよと言ったのを聞いたので、心憂し(不愉快…つらい)、いはじ(言ってはならない……もう言わない)」と言ったので、それでは、これは志賀の人に違いないと思うときに、今までにない心地がしたので、「さにや(そうなのか)」と問うたところ、女、「さぞ(そうよ)」と答えたので、男、「ただ、片時、車、停め給え」と強要したので、「よし、それでは、みみとがばかりに(耳の過失ぐらいには)聞きましょう」ということで、男、馬から降りて、車のもとに寄って、「どちらへいらっしゃるのか」など言ったので、「ちょっと里へ、退出して来たのよ」という。(つづく)
いまだ里に居る人が、どうして、内裏を退出して里へいくか。文を取り入れないわけも嘘だったとわかった。男はかまかけて確かめたのだった。さて、この二人どうなることやら。
原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。
以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。
古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。
歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。
「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」と『古来風躰抄』にいう。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。