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帯とけの平中物語
平中物語(二十五)また、この男、志賀へとてまうづるに・(その三)
この男(平中)、文を受け取らないので使いが帰って来たことを、ひどく言い、恨んだので、深く恨めしいように言ったので、をさをさ(女は・しっかりきちんと)応えなくなったので、この男、かたくなで一途であっていいものかなあ、万の憂きことを他人が言っても、こうも(黙り込む)ものかと思って、車のもとを退いたのだった。そうすると、車を(牛に)掛けようとしたので、この男は、なほしばし(やはり、もうしばらく)と言い留めて、誰がこの怪しいことを(させたのか)と、問おうと思って、ともなりける(供であった……あの友だちめいた)男をして、「(わが主人は)身もいと憂く(身もひどく辛く)、御心も、恨めしく、身投げしようとしてやって来ましたが、ただ一言、(この世で)聞き置くべきことがですね、ございまして。それで、この(三途の……涙の)川を渡れずに、帰って参ったのです」と言って、
身の憂きをいとひ捨てにと来つれども 涙の川は渡る瀬もなし
(身の辛さを嫌って、捨てようと来たけれども、涙の川は・悔し涙の嵩増して、渡る浅瀬もない・ありさま……身の浮きを嫌って捨てようと来たけれども、波多の女の川は、わたる瀬もない・取りつくしまもない)。
言の戯れと言の心
「うき…憂き…辛い…浮き…浮気な」「なみだ…涙…波多」「川…女」
返し、
まことにて渡る瀬なくは涙川 流れて深きみをと頼まむ
(ほんとうに渡る浅瀬がないならば、涙川、流れて深い水脈であってと頼む・君、命惜しみ給え……ほんとうに、わたって来る背の君なければ、波多かは、泣かれて、深き身おと、頼みましょう)。
「瀬…浅瀬…背…男」「川…女…かは…疑問を表す」「ながれて…流れて…泣かれて…泣けて来て」「みを…水脈…水や潮の流れ…身お…おとこ」「たのまむ…頼みましょう…身をまかせましょう」。
(女)「なほ、立ち寄れ、もの一言はいはむ(もとのように、たち寄って、もの一言はいいましょう)」と言えば、男(平中)、車のもとに立ち寄ったのだった。(貶めたのは誰の仕業か一言いって)、そうして、夜、しだいに暁方になったので、この女、「いまはいなむ(すぐに行きます……今はもう否よ)」と、「ゆめゆめ・言わないでね、今宵のこと、また、人にこうだったとはね、現実だとはさらに」と(女)、
秋の夜の夢ははかなくあふといふを
(秋の夜長の夢は儚く逢うということよ……飽き満ち足りの夜の夢は、はかなく、あっけなく合うという、を)。
「あき…秋…飽き満ち足り…厭き」「あふ…逢う…合う…和合する」「を…感嘆を表す…お…おとこ」。
と言えば、男、
春にかヘリて正しかるらむ
(季節は春に返って、まさに正夢となるだろう……涸れたもの・張るに返って正しく、間差し狩ったのだろう・と思う)。
「春…季節の春…春情…張る」「まさし…正し…間差し」「間…女」「かる…ある…狩る…刈る…めとる」。
と言っている間に、ずんずん明るくなったので、「いまは、早く、行かれるところへ、お行きなさいませ・たしか身投げにでしたかね」と言えば、この女の入る所を見ようとして、男、行かなかったので、女、家(いへ…井辺)を見せたくないと思って、しきりに辛がるのだった。それで、このように、(男)、
ことならば明かし果ててよ衣でに 降れる涙の色も見すべく
(できることなら、夜も家も・明かし果ててほしいよ、衣の袖に降った我が涙の色も見せられるように……こと成れば、身も心も・開かし果ててほしいよ、身の端に降ったおとこ涙の色も見せられるように)。
「ころもて…衣の袖…心身の端」「あかし…(夜を)明かし…(身や心を)開かし…開き」「なみだ…(目の)涙…ものの涙」「色…色彩…色情」。
返し、
衣でに降れる涙の色見むと あかさばわれもあらわれねとや
(衣の袖に降った涙の色彩見ようと、明かさば、わたくしも、あらわにならないとでも・言うの……身の端に降った君の汝身だの色情見ようと開かさば、わたくしもあらわにしてしまえと言うのか)。
「ね…ず…打消しの意を表す…てしまえ…『ぬ』の命令形」「とや…というのか…疑いの意を表す…問い返すいを表す」。
と言う時に、たいそう明るくなったので、童一人留めて、「この車の入る所を見届けて来い」と言って、男は帰ったのだった。童、見て来た。いながなりにけむ(後はどうなっただろう・この女と男)。
あえて描写しないが歌から察して、女車に合い乗りで、秋の夜長ゆるゆる行きつつ、女の家近くまで来たのである。
伊勢物語には、男、女車に合い乗りで、なんと、葬儀見物に出かける場面があるので、平中物語にもあって当然である。
原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。