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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。
貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、「言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)」を心得るべきである。俊成の云う「歌言葉は、浮言綺語のように戯れる」ことも。
古今和歌集 巻第七 賀歌 (352)
本康親王の七十の賀のうしろの屏風に、詠んで
書きける 紀貫之
春くれば宿にまづ咲く梅の花 君が千年のかざしとぞ見る
(仁和帝の弟の・本康親王の七十の賀の、後の屏風に詠んで書きつけた・歌)つらゆき
(春の季節になれば、宿に先ず咲く梅の花、君の千歳の時の髪飾りと思い見ています……春の情くれば、や門に先ず咲くおとこ花、貴身の千歳の祝いの頭飾りと見える)。
「春…季節の春…春情…張る」「宿…家…言の心は女…や門…おんな」「梅の花…木の花…男花…おとこ花…白色香りあり」「君…きみ…貴身…君の貴身」「ちとせ…千年…千歳」「かざし…頭飾り…貴身の頭飾り」「見る…思う…見とどける」「見…覯…媾…まぐあい」。
季節の春に先ず咲く梅の花、君の千歳の祝いの髪飾りと思う――歌の清げな姿。
張るくれば、や門に早くも咲くおとこ花、貴身の千歳の祝いの頭飾りと見える――心におかしきところ。
古今和歌集 巻第七 賀歌 (353)
(本康親王の七十の賀の、後の屏風に詠んで書きける) 素性法師
いにしへにありきあらずは知らねども 千年のためし君にはじめむ
(仁和帝の弟の・本康親王の七十の賀の、後の屏風に詠んで書きつけた・歌)そせい
(いにしへに、居たか居なかったかは知らないけれど、千歳の長寿の例、君より始めましょう……昔々に、千歳のもの・有ったか無かったかは知らないけれど、千歳の長寿の先例、貴身より始めましょう・誰が見とどける?)。
「千年…千歳…ちとせ」「ためし…例…先例」「君…きみ…貴身…君のおとこ」。
千歳の長寿の先例、君より始めましょう――歌の清げな姿。
千歳の長寿の先例、貴身より始めましょう・結果はかみ(女)のみぞしる――心におかしきところ。
両歌とも、普通の清げな姿をしている。歌言葉の戯れの意味に、エロス(性愛の情・生の本能)が顕れる。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)