帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの三十六人撰 信明 (一)

2014-08-25 00:12:48 | 古典

       



                   帯とけの三十六人撰



 四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。


 藤原公任は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、藤原兼家も道長も、公任(きんとう)を詩歌の達人と認めていた。平安時代の歌論と言語観に帰り、あらためて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。



 信明 三首(一)


 かぎりなく思へる駒にくらべれば 身に添う影は後れざりけり

 (限りなく、早いなと・思える駒に競べれば、馬体に添う影は後れをとらないことよ・並走する……限りなく思いをくりかえす、駿めの・こ間に、親しみ比べれば、我が身に添う陰は後れをとらないなあ・常に早い)


 言の戯れと言の心

「へる…(思い)つづける…(思いを)繰り返す」「こま…駒…馬…駿め…こ間…股間…小間…おんな」「こ…接頭語…美称)「間…おんな」「くらべ…競べ…比べ…比較…近しい…親しい」「かげ…影…影法師…陰…いん…おとこ」「ざり…ず…打消しの意を表す」「けり…気づき…詠嘆」



 源信明(みなもとのさねあきら)の祖父は宇多天皇の異母弟。父は先に登場した源公忠(みなもとのきんただ)。

 この歌は、男のさが(性)を詠んで、発想はともかく、表現に新鮮で独特のおかしさがある。「信明集」に題しらず。


 古今和歌集 春歌下に、次のような歌がある。題しらず、よみ人しらず、


 駒なめていざ見にゆかむ古里は 雪とのみこそ花は散るらめ

 (駒並べて、いざ見物に行こう、古里は雪とばかりに、桜花は散っているだろう……こ間なめて、いざ見にゆこう、古妻は逝きとばかりによ、おとこ花はちるだろう)


 言の戯れと言の心

「こま…駒…こ間」「なめて…並べて…連ねて…舐めて(竹取物語の終末に、かぐや姫は壺の薬を・わずか舐め給ひて・とある)」「見…覯(詩経に有る言葉)…媾…みとのまぐあひ(古事記に有る言葉)」「のみ…ばかりに…限定し強調する意を表す」「雪…逝き」「花…木の花…おとこ花」

 

 この両歌とも、歌言葉が「浮言綺語」に似た戯れをしていなければ、色気も味気もない情景描写のみで、「心におかしい」とは思えない。言の戯れと「言の心」を心得て聞けば、歌の趣旨が顕れるのである。

 


『群書類従』和歌部「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。



 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様(和歌の表現様式)を知り、言の心を心得る人は、古今の歌が恋しくなるだろう」と述べた。


 藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。


 清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの、(それが)、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と、重要な言語観を記している。


 藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。


 上のような歌論と言語観は、近世の国学以来、現代の国文学でも無視されるか曲解されているが、貫之と公任の歌論と清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。


帯とけの三十六人撰 源宗于 (三)

2014-08-23 00:08:24 | 古典

       



                    帯とけの三十六人撰



 四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。


 藤原公任は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、藤原兼家も道長も、公任(きんとう)を詩歌の達人と認めていた。平安時代の歌論と言語観に帰り、改めて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。



 源宗于 三首(三)


 山里は冬ぞさびしさまさりける 人めも草もかれぬと思へば

 (山里は、冬こそ、寂しさ増すことよ、人目も離れ、草も枯れてしまうと思えば……山ばの女は、飽き過ぎ終えた時こそ、寂しさ増さるのだなあ、ひとめも、くさむらも涸れてしまうと思えば)

 

言の戯れと言の心

「山里…山のふもとの村…山の女…山ばのおんな」「山…山ば…感情の山ば」「里…女…さ門…おんな」「冬…季節の冬…心の冬…ものの終わり…飽きの果て」「人…人々…男…女」「め…目…おんな」「草…言の心は女、若草の妻などと用いられた(伊勢物語)…くさむら」「かれぬ…離れてしまう…枯れてしまう…涸れてしまう」「ぬ…完了した意を表す」

 


 この歌は、古今和歌集 巻第六 冬歌にあるが、冬の風情や景色を詠んだ歌とのみ聞くのは、近世以来の大間違いである。この歌の同じ巻にある、よみ人しらずの歌を聞きましょう。女歌として聞く。同じ歌の様で、同じような言の戯れに歌の趣旨が顕われる。


 ふるさとは吉野の山し近ければ ひと日もみゆきふらぬ日はなし

 (故郷は、吉野の山が、近いので、一日たりとも、お雪の降らない日はないわ……古妻は、身好しのの好しのの山ばがよ、近くて・早いので彼は、一日もおとこ白ゆき降らない日はないわ)


 言の戯れと言の心

「ふるさと…故郷…古里…古妻」「吉野…山の名…名は戯れる、見良しの、身好しの」「山…山ば」「し…強調」「近ければ…(距離が)近いので…(時間が)早いので…敏感なもので」「み…御…見…身」「見…覯…まぐあい」「雪…白雪…白ゆき」

 


 宗于は、心身ともに、とっても
細やかなお人だったようである。「大和物語」によると、亭子の帝に、叔父甥の関係でもあったので、この手の歌で何か窮状を訴えたけれども、面倒みきれないと思われて、「何を言いたいのかわからん(出家したいのかと思われてか)」、僧都の君に歌をお見せになられたという。その歌は、「武蔵野の草にでも生まれればよかった・哀れという人もいるでしょうから」とか「時雨降る山里の木の下ですよ・われは、もれてばかり」というような姿をしているのである。



 『群書類従』和歌部「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。



 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様(和歌の表現様式)を知り、言の心を心得る人は、古今の歌が恋しくなるだろう」と述べた。


 藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。


 清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの、(それが)、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と、重要な言語観を記している。

 藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。


 上のような歌論と言語観は、近世の国学以来、現代の国文学でも無視されるか曲解されているが、貫之と公任の歌論と清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。


帯とけの三十六人撰 源宗于 (二)

2014-08-22 00:27:16 | 古典

       



                    帯とけの三十六人撰



 四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。


 藤原公任は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、藤原兼家も道長も、公任(きんとう)を詩歌の達人と認めていた。平安時代の歌論と言語観に帰り、改めて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。



 源宗于 三首(二)


 つれもなくなりゆく人の言の葉ぞ 秋よりさきの紅葉なりける

 (冷淡になりゆく女の言葉の端々よ、秋より先に、厭き色になったことよ……連れることなく成り逝く・我、女のこ門の端には、飽き満ち足りるより先の、厭き色だったのだなあ)


 言の戯れと言の心

 「つれもなく…冷淡に…すげなく…連れもなく…独りで」「ゆく…行く…逝く」「人…女」「こと…言…言葉…小門…おんな」「こ…小…接頭語」「と…門…おんな」「葉…言葉の端々…端…身の端」「ぞ…強調する意を表す…(ことの端が)主語であることを表す」「秋…飽き…厭き」「もみぢ…紅葉…飽き色…厭き色」「なりける…なりけり…であったのだなあ…断定し気付・詠嘆の意を表す」

 


 この歌は、古今和歌集 恋歌五にある。題しらずながら、恋の果ての歌である。女の冷淡な様子と、その原因・理由の男の様子が一つの言葉で言い表されてある。


 同じ恋歌五にある、よみ人しらず、女の立場で詠んだ歌を聞きましょう。


 しぐれつつもみづるよりも言の葉の 心の秋に逢ふぞわびしき

 (晩秋の雨降りつつ、紅葉となってゆくよりも、君の・言葉の心の秋に遭うぞ、わびしいことよ……その時のお雨ふりつつ、飽き色になりゆくよりも、わたしの・こ門の端が、君の・此処ろの厭きに遭うぞ、がっかり、興ざめよ)


 言の戯れと言の心

 「しぐれ…晩秋の降る雨…時雨…その時のおとこ雨」「もみづる…飽き・厭き色となる」「言の葉…(上の歌に同じ)」「心…情…此処ろ」「ろ…ら…接尾語…親愛の意を添える」「わびし…がっかり…気ぬけ…興ざめ…頼りない…やりきれない」

 


 『群書類従』和歌部「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。



 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様(和歌の表現様式)を知り、言の心を心得る人は、古今の歌が恋しくなるだろう」と述べた。


 藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。


 清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの、(それが)、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と、重要な言語観を記している。


 藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。


 上のような歌論と言語観は、近世の国学以来、現代の国文学でも無視されるか曲解されているが、貫之と公任の歌論と清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。


帯とけの三十六人撰 源宗于 (一)

2014-08-21 00:29:17 | 古典

       



                    帯とけの三十六人撰



 四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。


 藤原公任は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、藤原兼家も道長も、公任(きんとう)を詩歌の達人と認めていた。平安時代の歌論と言語観に帰り、改めて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。



 源宗于 三首(一)


 ときはなる松のみどりも春くれば 今ひとしほの色まさりける

 (常盤なる松の緑も、春くれば、いま一染めのように、色彩増すことよ……常に変わらぬ女の若さも青春くれば、井間、ひと肢おの、色情まさることよ)


 言の戯れと言の心

 「松…長寿な木…待つ…女」「みどり…緑色…幼い…若い」「春…季節の春…青春…春情」「いま…今…すぐに…新たに…井間…おんな」「ひとしほ…一染め…いちだんと…人肢お…一おとこ」「色…色彩…色情」


 

 源宗于(みなもとのむねゆき)は、光孝天皇の孫、宇多天皇の甥。紀貫之が土佐守の任期を終えて帰京した承平四年(934)頃、宗于は、右京大夫(右京の行政、警察、司法を司る役所の長官)であった。


 この歌は、寛平の御時(889897)后の宮(宇多帝の皇后)の歌合で詠んだとして、古今和歌集春歌上にある。宗于の若いころの歌と思われる。姿清げで、心におかしきところがある。

 

 松の言の心は女であると気付き心得るには、「まつ…待つ…女…松」というような連想もあるが、紀貫之は『土佐日記』で松の言の心を教示しているようである。まず正月九日、「宇多の松原を行き過ぎる、何千年経っているのだろう、根元毎に浪が打ち寄せて、枝毎に鶴が飛び交う。おもしろいと見て、船人の詠んだ歌、


 見渡せば松のうれごとに住む鶴は 千代のどちとぞ思ふべらなる

 この歌は、所を見る感動に優らない。と記す。歌よりも「松と鶴(鳥)は何千年も前から友だちだ」ということ、言の心はもとより同じだといいたいのだろう。


 また、土佐日記二月十六日、我が家にたどり着いたが、五年ぶりに見る庭は荒れ、在った松の木もない。今生えたようなのが雑草に混じってある。
この家で生まれた女の子を、土佐に赴任早々に病で亡くして、共に帰れなかったことがどれほど悲しいか、悲しさに堪えられず、詠んだ歌、


 生まれしも帰らぬものをわが宿に 小松のあるを見るぞかなしき

 この歌は心を知る夫婦の溜息のような歌であるが、「小松は少女」で「松は女」であることを明らかに示している。

 


 『群書類従』和歌部「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。


 
 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。

 
 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様(和歌の表現様式)を知り、言の心を心得る人は、古今の歌が恋しくなるだろう」と述べた。


 藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。


 清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの、(それが)、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と、重要な言語観を記している。


 藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。


 上のような歌論と言語観は、近世の国学以来、現代の国文学でも無視されるか曲解されているが、貫之と公任の歌論と清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。


帯とけの三十六人撰 敏行 (三)

2014-08-20 00:40:09 | 古典

       



                    帯とけの三十六人撰



 四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。

藤原公任は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、藤原兼家も道長も、公任(きんとう)を詩歌の達人と認めていた。平安時代の歌論と言語観に帰り、改めて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。



 敏行 三首(三)


 心から花のしづくにそぼちつつ うくひすとのみ鳥の鳴くらむ

 (心から梅花の雫に濡れながら、浮く泌すとばかり、鳥が鳴いているようだ……心から、おとこ花のしずくに戯れ・濡れながら、憂く干す・薄情よいや心が渇くとばかり、女が泣いているようだ)


 言の戯れと言の心

 「花…梅の花…木の花…男花…おとこ花」「しづく…雫…水滴…ほんの少し」「そぼち…そぼつ…しっとり濡れる…潤む…戯れる」「つつ…継続・反復の意を表す」「うくひす…鳥の名…名は戯れる。浮く泌す、憂く干す」「鳥…言の心は女」「鳴く…泣く」「らむ…推量する意を表す」



 この歌は、古今和歌集 巻十 物名の巻頭に、「鶯」という題で、藤原敏行朝臣の歌としてある。この並びに、「梅」という題で、よみ人しらずの歌がある。女の歌として聞きましょう。

 
 あなうめに常なるべくも見えぬかな こひしかるべき香はにほひつつ

 (あゝ梅に、常にあるはずと思えないわ、恋しくなる香は匂いながら……あな埋めに、常盤だろうとは見えないわあ、乞いしくなる香は匂いつつも)


 言の戯れと言の心

 「あなうめ…ああ梅…ああ男花…穴埋め…穴ふさぎ…おとこ」「あな…阿那…ああ…感嘆詞…穴…おんな」「つねなる…常に有る…常盤である」「べく…可能性を推定する…できるだろう」「見えぬ…目に見えない…思えない…まぐあえない」「見…覯…媾…まぐあい」「こひし…恋し…乞いし」


 
 両歌とも、言葉遊びは歌の「清げな姿」である。言の心を心得る大人には、歌の「心におかしきところ」が顕われる。


 梅花は男花、鳥は女などという近代人の論理的思考を逆撫でするようなことを、認めなければならないので、厄介なことであるが、難波津の咲くやこの花の歌をはじめ、古事記などで多く梅や鳥と接して「心得る」べき事柄で、なぜ梅は男なのかという問いに答えはない。


 

 『群書類従』和歌部「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。



 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様(和歌の表現様式)を知り、言の心を心得る人は、古今の歌が恋しくなるだろう」と述べた。


 藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。


 清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの、(それが)、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と、重要な言語観を記している。

 藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。


 上のような歌論と言語観は、近世の国学以来、現代の国文学でも無視されるか曲解されているが、貫之と公任の歌論と清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。