帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの前十五番歌合 十四番

2014-12-16 00:19:33 | 古典

       



                   帯とけの
前十五番歌合


 

「前十五番歌合」は、藤原公任が三十人の優れた歌を各一首撰んで、相応しい歌を取り組ませて十五番の歌合の形式にした私撰歌集である。公任の歌論に従って歌の意味を紐解いている。

 


 前十五番歌合
 公任卿撰


 十四番

 平兼盛

かぞふれば我が身につもる年月を 送りむかふと何いそぐらむ

(数えれば、我が身に積る年月を、送り迎えると、師走に・何を急いで準備しているのだろうか……彼ぞ振れば、我が身に積る疾し突き・尽きるおを送り迎えると、女房たち・何をいそいでいるのだろうか)


 言の戯れと言の心

「かぞふれば…数えれば…彼ぞ振れば…彼ぞ経れば」「年月…年齢…疾し突き…早過ぎる尽き」「月…月人壮士…言の心は男…突き…尽き」「を…対象を示す…お…おとこ」「送りむかふ…旧年を送り新年を迎える…送迎運動をする」「いそぐ…準備する…忙しなくする…急ぐ」「らむ…推量する意を表す…原因理由を推量する意を表す」

 

歌の清げな姿は、正月の準備に慌ただしいさま。

心におかしきところは、山ばのの頂上へ京へといそぐありさま。

 

 

 中務

うぐひすの声なかりせば雪きえぬ 山里いかで春をしらまし

(鶯の声が無かったならば、雪の消えない山里、どうして春を知るのでしょうか……浮く泌すの声なくかりすれば、逝き消えられない山ばのおんな、いかずに春の情を知るのでしょうか・白ら増し)

 

言の戯れと言の心

「うぐひす…鶯…春告げ鳥…鳥の言の心は女…鳥の名…名は戯れる。受く秘す、浮く泌す、憂く退す」「なかりせば…無かったならば…無くかりすれば」「かり…刈り…狩り…猟…あさり…むさぼり…まぐあい」「雪…白雪…行き…逝き」「山里…山ばのさと…山ばの女」「里…言の心は女…さ門」「春…季節の春…春情」「いかでしらまし…如何で知らまし…どうして感知するのよ…逝かず白じらしさ増し」「まし…もし何々なら何々でしょうに」

 歌の清げな姿は、春告げる鶯の声を褒めたたえるところ。
 心
におかしきところは、山ばの京へといそぐ女のありさま。

 

鶯や山里の言の心や戯れの意味は、古今集の歌でも当然のことながら同じである。春歌上、在原棟簗(業平の子)の歌を聞きましょう。中務の歌よりも、百年近くも前に詠まれた。


 春たてど花もにほはぬ山里は もの憂かるねに鶯ぞ鳴く

(立春になれど、花も匂わない山里は、もの憂い声で鶯が鳴いている……張る立てど、お花も色づかず匂いもしない山ばの女は、もの憂い声で、根について、憂く避すぞと、泣いている)


 

前十五番歌合(公任卿撰)原文は、群書類従本による。


 

以下は、国文学的な解釈と大きな違いに疑問を感じる人々に、和歌を解くときに基本とした事柄を列挙する。

 

①藤原公任の歌論「新撰髄脳」に、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりというべし」とある。公任撰の秀歌集を解くのに、公任の「優れた歌の定義」を無視することはできない。

 

②歌を紐解くために公任の歌論の他に参考としたのは、古今集仮名序の結びにある、紀貫之の言葉「歌のさま(様)を知り、こと(言)の心を得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」と、古来風躰抄に藤原俊成のいう「(歌の言葉は)浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕はれる」である。歌の言葉には、それぞれ複数の意味を孕んでいるので、歌にも公任の言う複数の意味が有る。「言の心と言の戯れ」を紐解けば帯が解け、歌の複数の意味が顕れるにちがいない。

 

③言葉の意味は論理的に説明できない。既成事実としてある意味を、ただそうと心得るだけである。例えば「春」は「季節の春・立春・春情・張る」などという心を、歌に用いられる前から孕んでいる。「季節の春」と一義に決めつけ、他の意味を削除してしまうのは不心得者である。和歌は複数の意味を孕むやっかいな言葉を、逆手にとって、歌に複数の意味を持たせてある。

 

④広く定着してしまった国文学的な和歌の解き方は、ほぼ字義どおりに一義に聞き、序詞や掛詞や縁語であることを指摘して、歌言葉の戯れを把握できたと錯覚させる。そして歌の心について、解釈者の憶見を加えるという方法である。歌の「心におかしきところ」は伝わらない。国文学的方法は、平安時代の文脈から遠いところへ行ってしまっている。あえて棚上げして一切触れない。貫之、公任、俊成の歌論を無視して、平安時代の和歌は解けない。

 

⑤清少納言は、枕草子の第三章に、言葉について次のように述べている。「同じ言なれども聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉。げすの言葉にはかならず文字あまりたり」。言いかえれば、「聞く耳によって意味が異なるもの、それが我々の用いる言葉である。浮言綺語のように戯れて有り余るほど多様な意味を孕んでいる。この言語圏外の衆の言葉は(言い尽くそうとして)文字が余っている」となる。これは清少納言の言語観である。

清少納言の言語観は貫之のいう「言の心」や、公任のいう秀歌にあるべき三つの意味などにも適う。俊成のいう「歌の言葉は浮言綺語の戯れに似たれども深き旨も顕れる」に継承されている。

 

清少納言枕草子は「鶯」「山里」などの「言の心」を心得た人が読む物。読んでみましょう。


 枕草子第三十八より、

鶯は、文などにもめでたきものにつくり、声よりはじめてさまかたちも、さばかりあてにうつくしき程よりは、九重の内になかぬぞいとわろき。

(鶯は、漢詩などにも愛でたいものに作り、声よりはじめ様子や姿も、あれほど上品で可愛らしいわりには、九重の内で鳴かないのは、まったく良くない……春告げる女は、手紙などにも愛でたくなるように装い、声よりはじめ様子や姿も、あれほど貴く可愛らしいわりには、九つ重ねるうちに泣かないのは、たいそうよくない)

「九重…宮中…宮こ…京…感の極み…たびかさね」。

鶯ならぬ女の性情を述べている。二見や三かさの山でも愛でたいのに多く山ば重ねても春告げて泣かない女は、良くないということ。

 

枕草子第二百六より

さつきばかりなどに山里にありく、いとをかし。

(五月ごろに山里にでかける、とっても風情がある……さ突きのころ合いに、山ばの女で・繰り返し・在り続ける、しみじみと感動する)

「さつき…五月…さ突き」「さ…美称」「月…壮士」「ありく…ぶらりとでかける…在り来…状態を継続する…在り繰…情態を繰り返す」「をかし…情趣がある…しみじみと感動する」。

いきなりの「いとをかし」に同感できるのは、山里はじめ五月などの戯れの意味を心得て居る者だけである。


帯とけの前十五番歌合 十三番

2014-12-15 00:07:39 | 古典

       



                   帯とけの
前十五番歌合


 

「前十五番歌合」は、藤原公任が三十人の優れた歌を各一首撰んで、相応しい歌を取り組ませて十五番の歌合の形式にした私撰歌集である。公任の歌論に従って歌の意味を紐解いている。

 

前十五番歌合 公任卿撰


 十三番


                             源重之

やかずとも草はもえなむ春日野を たゞ春の日に任せたらなむ

(焼かなくとも、草は萌えるだろう、春日野を、ただ春の陽に任せてほしい……心焦らずとも、女はきっと燃えるだろう、若なつむ・春日野を、ただ青春の火にまかせてほしい)

 

言の戯れと言の心

「やかず…焼かず…心焦らず…心悩まず」「草…若菜…言の心は女」「もえ…萌え…芽が成長する…(女心が)燃える」「もえなむ…きっと萌えるだろう…きっと燃えるだろう…確実と思われる推量を表す」「春日野…春の日に若菜摘む野…春の日に男女交歓するところ」「春の日…春の陽…青春の火…春情の火」「まかせたらなむ…任せてほしい…(本人たちに)まかせてほしい…願望を表す」

 

歌の清げな姿は、正月春日野の若菜摘みについての感想。

心におかしきところは、青春の男女の交歓についての思い。

 

 

     源順

水の面にてる月なみをかぞふれば こよひぞ秋の最中なりける

(水面に照る月次を数えれば、今宵こそ、八月・秋の真最中だなあ……女の身な面に照り栄えるおとこの身を、彼ぞ振れば、こ好いぞ、飽き満ち足りの真っ盛りだなあ)


 言の戯れと言の心

「水…言の心は女」「おも…顔…面…表面」「照る月…輝き映える月…元気な月人壮士…ほてるおとこ」「月…言の心は男・壮士…突き…尽き」「つきなみ…月次…突き波」「を…対象を示す…お…おとこ」「かぞふ…数える…彼ぞ振る」「こよひ…今宵…子酔い…小好い」「秋…季節の秋…飽き…飽き満ち足り…厭き…ものの果て」「もなか…最中…最盛時」

 

歌の清げな姿は、八月中秋の名月を観賞しての感想

心におかしきところは、飽きの盛り歓び交わす若者の思い。


 歌合としてのおかしさは、はるの思火とあきの思火の対比。清少納言枕草子風に言えば、「正月三月五月(睦突き、や好い、さ突き)」と「七八九月(なな、やあ、ここのつき)」の対比。


 

前十五番歌合(公任卿撰)原文は、群書類従本による。

 

以下は、国文学的な解釈と大きな違いに疑問を感じる人々に、和歌を解くときに基本とした事柄を列挙する。

 

①藤原公任の歌論「新撰髄脳」に、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりというべし」とある。公任撰の秀歌集を解くのに、公任の「優れた歌の定義」を無視することはできない。

 

②歌を紐解くために公任の歌論の他に参考としたのは、古今集仮名序の結びにある、紀貫之の言葉「歌のさま(様)を知り、こと(言)の心を得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」と、古来風躰抄に藤原俊成のいう「(歌の言葉は)浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕はれる」である。歌の言葉には、それぞれ複数の意味を孕んでいるので、歌にも公任の言う複数の意味が有る。「言の心と言の戯れ」を紐解けば帯が解け、歌の複数の意味が顕れるにちがいない。

 

③言葉の意味は論理的に説明できない。既成事実としてある意味を、ただそうと心得るだけである。例えば「春」は「季節の春・立春・春情・張る」などという心を、歌に用いられる前から孕んでいる。「季節の春」と一義に決めつけ、他の意味を削除してしまうのは不心得者である。和歌は複数の意味を孕むやっかいな言葉を、逆手にとって、歌に複数の意味を持たせてある。

 

④広く定着してしまった国文学的な和歌の解き方は、ほぼ字義どおりに一義に聞き、序詞や掛詞や縁語であることを指摘して、歌言葉の戯れを把握できたと錯覚させる。そして歌の心について、解釈者の憶見を加えるという方法である。歌の「心におかしきところ」は伝わらない。国文学的方法は、平安時代の文脈から遠いところへ行ってしまっている。あえて棚上げして一切触れない。貫之、公任、俊成の歌論を無視して、平安時代の和歌は解けない。

 

⑤清少納言は、枕草子の第三章に、言葉について次のように述べている。「同じ言なれども聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉。げすの言葉にはかならず文字あまりたり」。言いかえれば、「聞く耳によって意味が異なるもの、それが我々の用いる言葉である。浮言綺語のように戯れて有り余るほど多様な意味を孕んでいる。この言語圏外の衆の言葉は(言い尽くそうとして)文字が余っている」となる。これは清少納言の言語観である。(国文学では、職域や性別による言葉のイントネーションの違い、耳に聞こえる印象の違いを述べたものとされているようである)。

清少納言の言語観は貫之のいう「言の心」や、公任のいう秀歌にあるべき三つの意味などにも適う。俊成のいう「歌の言葉は浮言綺語の戯れに似たれども深き旨も顕れる」に継承されている。

 

⑥和歌は鎌倉時代に秘伝となって歌の家に埋もれ木のようになった。「古今伝授」と称して一子相伝の口伝が行われたが、そのような継承は数代経てば形骸化してゆく。江戸時代の学者たちの国学と、それを継承した国文学によって和歌は解明されたが、味気も色気もない歌になってしまった。秘伝となったのは、歌言葉の浮言綺語の如き戯れの意味と、それにより顕れる性愛に関する「心におかしきところ」である。これらは、清少納言や俊成の言語観を曲解していては解けない。永遠に埋もれ木のままである。

 

⑦江戸時代、和歌はどのように捉えられていたか、其の一、荷田在満「国歌八論」の冒頭に「それ歌は、ことばを長うして心をやるものなり」とある。(歌は言葉を長く引く調べで詠じて、心を晴らすものである)ということだろう。そして、貫之の「心に思ふことを見る物きく物ににつけていひい出せるなり(歌は心に思うことを見るもの聞く物に託し・こと寄せて・言い出すものである)」は歌を言い尽くしていないと難ずる。其の二、賀茂真淵「歌意考」には、「上代より・心に思ふ事ある時は言にあげてうたふ。こを歌といふめり」と書き出される。考察は最後まで、貫之・公任・俊成の歌論や清少納言の言語観は無視して進められてある。さらに江戸後期の香川景樹は「歌の調べを重んじた」という。和歌の意味がわからなくなった時、和歌は文芸ではなく音楽になってしまうらしい。


帯とけの前十五番歌合 十二番

2014-12-13 00:30:31 | 古典

       



                   帯とけの
前十五番歌合


 

「前十五番歌合」は、藤原公任が三十人の優れた歌を各一首撰んで、相応しい歌を取り組ませて十五番の歌合の形式にした私撰歌集である。公任の歌論に従って歌の意味を紐解いている。


 

前十五番歌合 公任卿撰


 十二番

 傳どのの母上

歎きつつ独りぬるよのあくるまは いかに久しきものとかはしる

(嘆きつつ独り寝る夜の明ける間は、どれほど久しきものと、君は・知るでしょうか……嘆きつつ独り濡る夜の、君待つ門を・開ける間のどれほど久しかったかわかるでしょう・しるを)(傳殿の母上・兼家の妻)


 言の戯れと言の心

「独りぬる…独り寝る…独り濡る」「あくるま…(夜の)明けるまでの間…(門を)開けるまでの間」「門…戸…と…言の心はおんな」「しる…知る…わかる…汁…汁よ」

 

 

 帥どのの母上

わすれじの行末まではかたけれど けふを限りの命ともがな

(忘れはしないという路の行く末までは難しいけれど、捨てられていない・今日を限りのわが命であってほしい……見捨てはしないという路の行く末までは堅いけれど、そうであっても、山ばの・京を限りの、ものの・命で在ってほしいの)(帥殿の母上・道隆の妻)

 

言の戯れと言の心

「わすれじ…忘れはしない…見捨てはしない」「じ…打消しの意志を表す…そのつもりはない」「行末…路行く末…終着点…京…絶頂」「かたけれど…難いけれど…堅いけれど…途中までは挫折しないけれど」「けふ…今日…京…終着点」「命…わが命…君の命…おとこの命」「とも…たとえ何々であろうとも…(難しいこと)であろうとも」「がな…自己の願望を表す…であってほしい」


 

両歌は、藤原定家「百人一首」にも採られてある。その「心におかしきところ」は「妖艶」とも言える。

近世以来、それが見えも聞こえもしないままに、「かるた」と称するゲームとなり、上の句が読み上げられるたびに、下の札は勢いよく跳ね飛ばされる。そんな痛々しい時節が今年も近付いたようである。なぜ、このようなことになってしまったのだろうか。


 

前十五番歌合(公任卿撰)原文は、群書類従本による。


 

以下は、国文学的な解釈と大きな違いに疑問を感じる人々に、和歌を解くときに基本とした事柄を列挙する。

 

①藤原公任の歌論「新撰髄脳」に、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりというべし」とある。公任撰の秀歌集を解くのに、公任の「優れた歌の定義」を無視することはできない。

 

②歌を紐解くために公任の歌論の他に参考としたのは、古今集仮名序の結びにある、紀貫之の言葉「歌のさま(様)を知り、こと(言)の心を得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」と、古来風躰抄に藤原俊成のいう「(歌の言葉は)浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕はれる」である。歌の言葉には、それぞれ複数の意味を孕んでいるので、歌にも公任の言う複数の意味が有る。「言の心と言の戯れ」を紐解けば帯が解け、歌の複数の意味が顕れるにちがいない。

 

③言葉の意味は論理的に説明できない。既成事実としてある意味を、ただそうと心得るだけである。例えば「春」は「季節の春・立春・春情・張る」などという心を、歌に用いられる前から孕んでいる。「季節の春」と一義に決めつけ、他の意味を削除してしまうのは不心得者である。和歌は複数の意味を孕むやっかいな言葉を、逆手にとって、歌に複数の意味を持たせてある。

 

④広く定着してしまった国文学的な和歌の解き方は、ほぼ字義どおりに一義に聞き、序詞や掛詞や縁語であることを指摘して、歌言葉の戯れを把握できたと錯覚させる。そして歌の心について、解釈者の憶見を加えるという方法である。歌の「心におかしきところ」は伝わらない。国文学的方法は、平安時代の文脈から遠いところへ行ってしまっている。あえて棚上げして一切触れない。貫之、公任、俊成の歌論を無視して、平安時代の和歌は解けない。

 

⑤清少納言は、枕草子の第三章に、言葉について次のように述べている。「同じ言なれども聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉。げすの言葉にはかならず文字あまりたり」。言いかえれば、「聞く耳によって意味が異なるもの、それが我々の用いる言葉である。浮言綺語のように戯れて有り余るほど多様な意味を孕んでいる。この言語圏外の衆の言葉は(言い尽くそうとして)文字が余っている」となる。これは清少納言の言語観である。(国文学では、職域や性別による言葉のイントネーションの違い、耳に聞こえる印象の違いを述べたものとされているようである)。

清少納言の言語観は貫之のいう「言の心」や、公任のいう秀歌にあるべき三つの意味などにも適う。俊成のいう「歌の言葉は浮言綺語の戯れに似たれども深き旨も顕れる」に継承されている。

 

⑥和歌は鎌倉時代に秘伝となって歌の家に埋もれ木のようになった。「古今伝授」と称して一子相伝の口伝が行われたが、そのような継承は数代経てば形骸化してゆく。江戸時代の学者たちの国学と、それを継承した国文学によって和歌は解明されたが、味気も色気もない歌になってしまった。秘伝となったのは、歌言葉の浮言綺語の如き戯れの意味と、それにより顕れる性愛に関する「心におかしきところ」である。これらは、清少納言や俊成の言語観を曲解していては解けない。永遠に埋もれ木のままである。

 

⑦江戸時代、和歌はどのように捉えられていたか、其の一、荷田在満「国歌八論」の冒頭に「それ歌は、ことばを長うして心をやるものなり」とある。(歌は言葉を長く引く調べで詠じて、心を晴らすものである)ということだろう。そして、貫之の「心に思ふことを見る物きく物ににつけていひい出せるなり(歌は心に思うことを見るもの聞く物に託し・こと寄せて・言い出すものである)」は歌を言い尽くしていないと難ずる。其の二、賀茂真淵「歌意考」には、「上代より・心に思ふ事ある時は言にあげてうたふ。こを歌といふめり」と書き出される。考察は最後まで、貫之・公任・俊成の歌論や清少納言の言語観は無視して進められてある。さらに江戸後期の香川景樹は「歌の調べを重んじた」という。

和歌の意味が埋もれ木となれば、和歌は文芸ではなく音の調べを楽しむ音楽になるのだろうか。


帯とけの前十五番歌合 十一番

2014-12-12 00:31:54 | 古典

       



                   帯とけの
前十五番歌合


 

「前十五番歌合」は、藤原公任が三十人の優れた歌を各一首撰んで、相応しい歌を取り組ませて十五番の歌合の形式にした私撰歌集である。公任の歌論に従って歌の意味を紐解いている。


 

前十五番歌合 公任卿撰


 十一番

  斎宮女御

琴の音に峯の松風かよふらし いづれのをよりしらべそめけむ

(琴の音に、峯の松風の音、似通っているでしょう、どの弦より奏ではじめたのでしょう……事の声で、山ばの峰の女の声、似ている、きっとそうでしょう、どちらの男によって奏で初めたのでしょう)

 

言の戯れと言の心

「琴…こと…事」「音…ね…声」「峯…みね…山の峰…山ばの峯…絶頂」「松…まつ…言の心は女」「風…心に吹く風…春風・飽風など」「かよふ…通う…通じる…似ている」「らし…きっと何々だろう…何々に違いない」「いづれ…どちら…どの…どこ」「を…緒…糸…弦…男」「より…起点を示す…によって」「しらべ…調べ…調子合わせ…演奏」

 

歌の清げな姿は、琴の演奏を聴いての感想。

心におかしきところは、夜ほと伽すの且つ乞う初声など聞いた感想。

 

 

  小大君

石橋の夜の契りも絶えぬべし あくるわびしきかつらきの神

(石橋造りの夜間作業の契約も絶えてしまいそう、夜の明けること、辛く苦しい葛城の神……岩端の夜の契りも絶えてしまいそう、明るくなることの、もの足りずさびしい且つら気の上)

 

言の戯れと言の心

「石橋…岩橋…常磐の端…常に盤石な女の端」[石・岩…言の心は女]「橋…端…身の端」「夜の契り…夜間作業の契約…男女の交わり」「あくる…明ける…明るくなる…飽くる…厭くる」「わびし…辛い…苦しい…もの足りない」「かつらきの神…葛城の神…容貌醜く明るいところが苦手な神の名…名は戯れる。鬘着けた女、みにくい女、且つら気の女(猶もまたという気の女)」「かみ…神…言の心は女…髪…上…うへ…女の尊称」

 

歌の清げな姿は、夜明けを迎える葛城の神への同情。

心におかしきところは、こと絶える明け方を迎えた着け髪の女の気持。


 

両歌とも心におかしきところは、宮廷での暮らしの中で体験した艶なる事柄で、言葉の表面に表れないように、玄なる衣に包んで詠まれてある。


 

前十五番歌合(公任卿撰)原文は、群書類従本による。


 

以下は、国文学的な解釈と大きな違いに疑問を感じる人々に、和歌を解くときに基本とした事柄を列挙する。

 

①藤原公任の歌論「新撰髄脳」に、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりというべし」とある。公任撰の秀歌集を解くのに、公任の「優れた歌の定義」を無視することはできない。

 

②歌を紐解くために公任の歌論の他に参考としたのは、古今集仮名序の結びにある、紀貫之の言葉「歌のさま(様)を知り、こと(言)の心を得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」と、古来風躰抄に藤原俊成のいう「(歌の言葉は)浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕はれる」である。歌の言葉には、それぞれ複数の意味を孕んでいるので、歌にも公任の言う複数の意味が有る。「言の心と言の戯れ」を紐解けば帯が解け、歌の複数の意味が顕れるにちがいない。

 

③言葉の意味は論理的に説明できない。既成事実としてある意味を、ただそうと心得るだけである。例えば「春」は「季節の春・立春・春情・張る」などという心を、歌に用いられる前から孕んでいる。「季節の春」と一義に決めつけ、他の意味を削除してしまうのは不心得者である。和歌は複数の意味を孕むやっかいな言葉を、逆手にとって、歌に複数の意味を持たせてある。

 

④広く定着してしまった国文学的な和歌の解き方は、ほぼ字義どおりに一義に聞き、序詞や掛詞や縁語であることを指摘して、歌言葉の戯れを把握できたと錯覚させる。そして歌の心について、解釈者の憶見を加えるという方法である。歌の「心におかしきところ」は伝わらない。国文学的方法は、平安時代の文脈から遠いところへ行ってしまっている。あえて棚上げして一切触れない。貫之、公任、俊成の歌論を無視して、平安時代の和歌は解けない。

 

⑤清少納言は、枕草子の第三章に、言葉について次のように述べている。「同じ言なれども聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉。げすの言葉にはかならず文字あまりたり」。言いかえれば、「聞く耳によって意味が異なるもの、それが我々の用いる言葉である。浮言綺語のように戯れて有り余るほど多様な意味を孕んでいる。この言語圏外の衆の言葉は(言い尽くそうとして)文字が余っている」となる。これは清少納言の言語観である。(国文学では、職域や性別による言葉のイントネーションの違い、耳に聞こえる印象の違いを述べたものとされているようである)。

清少納言の言語観は貫之のいう「言の心」や、公任のいう秀歌にあるべき三つの意味などにも適う。俊成のいう「歌の言葉は浮言綺語の戯れに似たれども深き旨も顕れる」に継承されている。

 

⑥和歌は鎌倉時代に秘伝となって歌の家に埋もれ木のようになった。「古今伝授」と称して一子相伝の口伝が行われたが、そのような継承は数代経てば形骸化してゆく。江戸時代の学者たちの国学と、それを継承した国文学によって和歌は解明されたが、味気も色気もない歌になってしまった。秘伝となったのは、歌言葉の浮言綺語の如き戯れの意味と、それにより顕れる性愛に関する「心におかしきところ」である。これらは、清少納言や俊成の言語観を曲解していては解けない。永遠に埋もれ木のままである。


帯とけの前十五番歌合 十番

2014-12-11 00:18:28 | 古典

       



                   帯とけの
前十五番歌合


 

「前十五番歌合」は、藤原公任が三十人の優れた歌を各一首撰んで、相応しい歌を取り組ませて十五番の歌合の形式にした私撰歌集である。公任の歌論に従って歌の意味を紐解いている。

 


 前十五番歌合
 公任卿撰


 十番

  藤原仲文

有明の月の光をまつほどに わがよのいたくふけにけるかな

(有明の月の光を待つ間に、わが世がひどく老けてしまったことよ・光あたらぬままに……健在なる明けのつき人おとこを待つ間に、我が夜がひどく更け果ててしまったなあ・絶頂に至らぬまま)


 言の戯れと言の心

「有明の月…明け方の空の月…明け方まで健在なつきひとをとこ」「月…月人壮士…壮士…健在なおとこ」「光…恵みの光…光明…栄光」「わがよ…わが世…わが盛りのとき…我が夜…男女の夜…我が節…おとこ」「よ…世…夜…節」「いたく…著しく…ひどく」「ふけ…更け…深まり…老け…老い衰え」

 

歌の清げな姿は、我が世の春を迎えぬまま老けてしまった男の述懐。

心におかしきところは、はかないおとこのさが。

 

 

  輔 昭

まだしらぬ古里人はけふまでに こむとたのめし我を待つらむ

(未だ知らない故郷の人は、今日までに、帰り来るでしょうと、信頼した我を、今頃・待っているだろう……山ばの京を・未だ知らない我が古妻は、京待てに、くるでしょうねと頼んだ我がおを待っているだろう)(菅原輔昭)

 

言の戯れと言の心

「古里人…故郷人…古妻」「里…言の心は女」「けふまで…今日まで…けふまて…京待て…山ばの頂上を待て…絶頂を待て」「たのめし…信頼した…依頼した…身をまかせた」「こむ…来む…帰り来るだろう…(感の極みが)来るだろう」「我を…吾お」「を…対象を示す…お…おとこ」「らむ…現在推量…今ごろ何々だろう」

 

歌の清げな姿は、故郷に錦を飾りに帰り来るとでも信頼されていた男の思いか。

(作歌事情を示す詞書が無い場合は聞く人の耳に任されるだろう。旅先で病んだ男の歌かもしれない。)

心におかしきところは、妻を山ばの京へ送り届けることを本分とすべき夫の思い。

 


 両歌の「心深きところ」は何だろうか。
歌言葉の表面に表れない目に見えない二重の扉に閉ざされた奥深いところに、思いを果たせない男の無念さや残念が詠まれてあるようである。

「玄之又玄」は紀貫之晩年の私撰集「新撰和歌集」の真名序にある言葉で、優れた歌は「花実相兼」で「玄之又玄」であり「絶艶の草」であるという。「玄之又玄」などという奇妙な言葉も決してく空言ではなく、歌の意味の在り処を示しているようである。


 

前十五番歌合(公任卿撰)原文は、群書類従本による。

 


 以下は、国文学的な解釈と大きな違いに疑問を感じる人々に、ここで、和歌を解くとき、基本とした事柄を列挙する。

 

①藤原公任の歌論「新撰髄脳」に、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりというべし」とある。公任撰の秀歌集を解くのに、公任の「優れた歌の定義」を無視することはできない。

 

②歌を紐解くために公任の歌論の他に参考としたのは、古今集仮名序の結びにある、紀貫之の言葉「歌のさま(様)を知り、こと(言)の心を得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」と、古来風躰抄に藤原俊成のいう「(歌の言葉は)浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕はれる」である。歌の言葉には、それぞれ複数の意味を孕んでいるので、歌にも公任の言う複数の意味が有る。「言の心と言の戯れ」を紐解けば帯が解け、歌の複数の意味が顕れるにちがいない。

 

③言葉の意味は論理的に説明できない。既成事実としてある意味を、ただそうと心得るだけである。例えば「春」は「季節の春・立春・春情・張る」などという心を、歌に用いられる前から孕んでいる。「季節の春」と一義に決めつけ、他の意味を削除してしまうのは不心得者である。和歌は複数の意味を孕むやっかいな言葉を、逆手にとって、歌に複数の意味を持たせてある。

 

④広く定着してしまった国文学的な和歌の解き方は、ほぼ字義どおりに一義に聞き、序詞や掛詞や縁語であることを指摘して、歌言葉の戯れを把握できたと錯覚させる。そして歌の心について、解釈者の憶見を加えるという方法である。歌の「心におかしきところ」は伝わらない。国文学的方法は、平安時代の文脈から遠いところへ行ってしまっている。あえて棚上げして一切触れない。貫之、公任、俊成の歌論を無視して、平安時代の和歌は解けない。

 

⑤清少納言は、枕草子の第三章に、言葉について次のように述べている。「同じ言なれども聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉。げすの言葉にはかならず文字あまりたり」。言いかえれば、「聞く耳によって意味が異なるもの、それが我々の用いる言葉である。浮言綺語のように戯れて有り余るほど多様な意味を孕んでいる。この言語圏外の衆の言葉は(言い尽くそうとして)文字が余っている」となる。これは清少納言の言語観である。(国文学では、職域や性別による言葉のイントネーションの違い、耳に聞こえる印象の違いを述べたものとされているようである)。

清少納言の言語観は貫之のいう「言の心」や、公任のいう秀歌にあるべき三つの意味などにも適う。俊成のいう「歌の言葉は浮言綺語の戯れに似たれども深き旨も顕れる」に継承されている。

 

⑥和歌は鎌倉時代に秘伝となって歌の家に埋もれ木のようになった。「古今伝授」と称して一子相伝の口伝が行われたが、そのような継承は数代経てば形骸化してゆく。江戸時代の学者たちの国学と、それを継承した国文学によって和歌は解明されたが、味気も色気もない歌になってしまった。秘伝となったのは、歌言葉の浮言綺語の如き戯れの意味と、それにより顕れる性愛に関する「心におかしきところ」である。これらは、清少納言や俊成の言語観を曲解していては解けない。永遠に埋もれ木のままである。