風と花とわたし 〜

日常のささやかな喜びの輪を広げて・・・RING、リング♪ ring!

阿佐美冷蔵かき氷珍道中 始まり

2011-08-17 12:00:00 | 日記

 

さて、8月14日の 秩父 “ 阿佐美冷蔵 ” の 

かき氷 道中・・

8:30  

出発。 



10:00  

お寺でお参り・・・・



10:40  

立川駅集合。まずは、お腹を満たして
ルミネ1F の ス―プ ストック トウキョウ

http://www.soup-stock-tokyo.com/ のイ―トインへ ルン ♪ ルン ♪


   

  朝ごはんを食べなかったので、ごはんをチョイス ♪ 

    

  豚トロのトマトストロガノフ 野菜もたっぷり。

 

 

 

東京ボルシチ 期待を裏切らずお肉とジャガイモと

人参がゴロゴロ。


◆ 飲み物 は炭酸入り ジンジャ―。

 しっかり生姜のすりおろしが入っていて喜びのビックリ! 

 甘くなくて更に美味しい  ◆




11:40  

立川から青梅線で拝島へ



    

  拝島駅って、綺麗になったんですね・・・

   


11:53  

拝島から東飯能へ・・行くつもりだったのに

乗換時間 2分 に間に合わず。が―――ん

12:20までなし・・・・暑い暑い

ホ―ムで30分待ち。

 



12:20―12:39


東飯能に着いて。

あ"――、また、27分待ち。

ショボン。。。。。。。

でも今度は、ホ―ム上に冷房付きの部屋が  

少し元気を取戻し外を見ていると

幸福の白い鳩 と思いきや、反対側の羽根はグレ―

フフ・・・そんなもんですよね。 

でも、見えませんか、幸福の白い鳩 に

昔、隣のマンションのベランダに鳩が住み付いていて、

早朝から “ ボ― ボ― ボ― ” と嫌になるほど、

鳴き声を聞かされており、

マネがうまいのでえ、鳴いてみました。

誰が ?? んっ? わたしがっ
 
       
  一歩

  一歩 

  

 近づいてくるぅ―  

 ボンッ!! ようこそ 鳩くん(*^^)v 

 くちばしがピンクで柔らかそう。

  

 騙されちゃったね。

 わたしは 人間   好奇心いっぱいで、

 若いっていいね

 



13:06―13:58 


 西武秩父到着。

 仲見世を通り、秩父鉄道御花畑駅へ。

 今度は急いで 10分程度しかないから

 

 



14:11―14:36 


 上長瀞へ到着・・・の予定が 25分の

 乗車時間にわたしはウトウト

 相方もそれを知りながらも 

 ウトウト してしまったらしい。

 あ"―― 、乗り越してしまいました  

 ほらほら、降りてっ! 

 7分待ち・・・ハァ―

 



14:48―14:51 
 

はい!! やっとこさっとこ 

ああ、到着! 上長瀞駅。

ここまでに、すでに4時間・・・帰りたい・・

もう、エネルギ―が

こんな気持ち初めて・・・  

いえいえ、もうすぐ、もうひと息 。 

を進めましょう。

 

 <つづく>


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お盆とふるさと ふるさと童謡メドレ―と共に

2011-08-16 22:46:03 | 日記

16日。送り火。

行って来ました。灯籠流し。

今年はどこでもそうでしょうが、

東日本大震災犠牲者衷心廻向 

が含まれていますよね。

住職さんは、「 灯籠の灯(ひ)は、不滅の希望です 」

とおっしゃっていました。

あの世とこの世がひとつになって過ごした4日間。 

日本中の人が、自分、家族以外の

存在を確かめる尊い期間ですね。

こころが綺麗に優しくなったことでしょう。

汚さずに磨いて行きたいものです。

 



ふるさとからのユ―タ―ンは

昨日がピ―クだったそうですが、

日本人に一番似合うこころの歌「 ふるさと 」。
                                 

           

 

ふるさと  作詞者:高野辰之、作曲者:岡野貞一           

 1. 兎追ひし かの山                      

   小鮒(こぶな)釣りし かの川                    

   夢は今も めぐりて               

   忘れがたき 故郷(ふるさと) 

           

   2. 如何(いか)にいます 父母 

         恙(つつが)なしや 友がき 

      雨に風に つけても                

   思ひ出(い)づる 故郷 


    3. 志(こころざし)を はたして

         いつの日にか 帰らん

         山は青き 故郷

         水は清き 故郷                               

 

      

ふるさとの四季 女声合唱のための唱歌メドレー 編曲:源田俊一郎
1.故郷 2.春の小川 3.朧月夜 4.鯉のぼり 5.茶摘 6.夏は来ぬ
7.われは海の子 8.村祭 9.紅葉 10.冬景色 11.雪 12.故郷
八戸市立根城中学校(指揮:北村協一/ピアノ:久邇之宜)

  


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ほうずき わたしって可愛い?それとも

2011-08-16 08:00:00 | 日記


   

 どう?

 

 

  

 どう??





  

  色づいたわたしって可愛いっ それとも キレイ  ?

 

 


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終戦記念日最後の時に

2011-08-15 23:57:00 | 日記

終戦の今日、最後に忘れてはいけない犠牲 

戦い 「 特別攻撃隊 」

 



空では、「 神風特攻隊 」。

http://www.youtube.com/watch?v=_Z2ExB2o6V4&feature=fvwrel


海では、「 人間魚雷 」。 

 http://www.youtube.com/watch?v=RxmIzNb3Wh8  

 

  http://www.youtube.com/watch?v=f6yoXgG_Dg8&feature=related


日々の暮らしは、やがて 史実、歴史となります。 

史実としてしまわないよう、戦争が始まった原因、

経緯をよく調べ、自分の暮らしに照らし合わせて

ゆきたいと思います。



何故なら、物事はすべて こころ 

が作り出すものだからです。

国家へと繋がる小さなわたしのこころ。 

日々、見詰め、改めます。

 

 


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66回 終戦記念日と硫黄島

2011-08-15 21:00:00 | 日記

終結に向かっての日本の戦いの中で、

「 硫黄島の戦い 」は屈指の激戦地でした。

1945年2月19日にアメリカ海兵隊の硫黄島強襲が、

艦載機と艦艇の砲撃支援のもと開始された。

上陸から約一カ月後の3月17日、

栗林忠道陸軍大将を最高指揮官とする

日本軍の激しい抵抗を経てアメリカ軍は同島をほぼ制圧、

3月21日、日本の大本営は17日に硫黄島守備隊が

玉砕したと発表する。

 

しかしながらその後も残存日本兵からの散発的な遊撃戦は続き、

3月26日、

栗林忠道大将以下300名余りが最後の総攻撃を敢行し壊滅、

これにより日米の組織的戦闘は終結した。

日本軍に増援や救援の具体的な計画は当初よりなく、

20,933名 の守備兵力のうち 

20,129名 が戦死した。

これは損耗率にして96%にのぼる。

 

 

一方、アメリカ軍は 戦死6,821名、

戦傷21,865名 の 

計28,686名 の損害を受けた。

太平洋戦争後期の上陸戦での

アメリカ軍攻略部隊の損害実数が

日本軍を上回った稀有な戦いであり、

また、硫黄島上陸後わずか3日間にて

対ドイツ戦(西部戦線)における

ノルマンディー上陸作戦を含む、

アメリカ軍の各戦線・戦場での

戦死傷者数を上回った第二次世界大戦屈指の

最激戦地のひとつとして知られる。

http://www.youtube.com/watch?v=wc9Cq5CkUZY&feature=related


 

 


映画「 硫黄島から手紙 」 

予告編 http://www.youtube.com/watch?v=9qKo9Lp5oUE  

 

 

12日にテレビで放送されたようですが。

ストーリー [編集]
2006年、硫黄島。 地中から発見された

数百通もの手紙。

それは、61年前、

この島で戦った男たちが、

家族に宛てて書き残したものだった。

届くことのなかった手紙に、

彼らは何を託したのか----。

 



戦況が悪化の一途をたどる1944年6月、

陸軍中将、栗林忠道(渡辺謙)

が硫黄島に降り立った。

本土防衛の最後の砦とも言うべき

硫黄島の命運が託された。

着任早々作戦を変更し、

部下に対する理不尽な体罰を戒めた栗林に

兵士たちは驚きの目を向ける。

今までのどの指揮官とも違う男との出会いは、

硫黄島での日々に絶望を感じていた

西郷(二宮和也)に、

新たな希望の光を抱かせる。

硫黄の臭気が立ち込める灼熱の島、

食べ物も飲み水も満足にない過酷な状況で、

掘り進められる地下要塞。

張り巡らせたこのトンネルこそ、

米軍を迎え撃つ秘策だったのだ。

 

1945年2月19日、

ついにアメリカ軍が上陸を開始する。

その圧倒的な兵力を前に

5日で終わるだろうと言われた硫黄島の戦いは、

36日間にも及ぶ歴史的な激戦となった。

まだ見ぬわが子を胸に抱くため、

どんなことをしても生きて帰ると誓った西郷、

して彼らを率いた栗林もまた、

軍人である前に夫であり父であった

61年ぶりに届く彼らからの手紙。

そのひとりひとりの素顔から、

硫黄島の心が明かされていく----。

 


今日15日正午より、日本武道館にて 

戦没者追悼式が行われました。

戦争遺族者は60%が、70歳以上。

語り継いでいく、若い世代への継承の時間が

短くなってきました。

戦没者は約310万人。 

参列者の世代交代は著しい。

20年前は戦没者の妻が2700人余と

全体の4割を占めたが、

今年の出席見込み者は43人(0.9%)で

過去最少を更新。

父母の参列は2年ぶりになかった。

一方、子どもは3180人と全体の

3分の2を占める。

孫を含む戦後生まれは

過去最多の451人にのぼった。

【朝日新聞】

 



    


<天皇陛下のお言葉>

本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、

全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、

かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、

深い悲しみを新たにいたします。

 


終戦以来既に66年、国民のたゆみない努力により、

今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、

苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお

尽きることがありません。

 

ここに歴史を顧み、

戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、

全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、

心から追悼の意を表し、

世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。 


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日本の夏・・・・・・

2011-08-15 11:49:28 | 日記

 

今夏も 日本の終戦の日 が来ました。

66回目。

小さな頃は、8月15日は世界でみんなが、

悲しい思いをしていると思っていましたが、

小学生の高学年頃には、日にちも違い、

喜んでいる国もあるんだ・・・・

と不思議な思いでした。

 



明日は、お盆も最後の日。

ご先祖様に元の彼岸の岸へお戻りいただく

送り火が寺院で焚かれます。

そして、また、社会もいつもの様に

歯車が回り始めます。

 



浅草のほうずき市で購入した 

我家の ほうずき も

お店のマダムがおっしゃっていた通り、

「 うまく育てられたら、お盆の頃に、全部色付きますヨ 」

見事、色付きました・・・

でも、色付くと、葉は枯れてしまうんですね。

自然は、いつも何かの終わりと始まりが

ひとつなんですね。

私も若い人達を輝かせてあげられるような

女性(ひと)になりたいです。 

またひとつ、自然から教えてもらいました。  

 




今日は太平洋戦争について

(感情は入れずあくまでも歴史にとどめます)

振り返ってみました 。

 



■ 太平洋戦争(たいへいようせんそう)■

1941年(昭和16)12月8日、真珠湾攻撃、

日本のアメリカ、イギリスへの宣戦布告で始まり、

1945年(昭和20)9月2日、

日本の降伏文書調印によって終わった戦争。

日本の指導者層は大東亜戦争と呼称した。

 



<終結に向かっての日本>
アメリカの対日反攻戦略は、

日本陸軍の主力と戦うことによる

人命の損失と消耗を避けるため、

中国本土を避け、フィリピンから沖縄を経て

日本本土へ迫る島伝い作戦の形をとった。

◆ 1944年(昭和19)10月、米軍はフィリピンに上陸し、

日本の地上兵力を壊滅させたほか、

レイテ沖海戦などで海軍兵力と

航空機の大半を失わせたので、

日本本土と南方資源地帯との連絡は

完全に遮断された。


◆ 1944年(昭和19)11月、

サイパンを基地として大型爆撃機B‐29が

大挙して飛来、

東京をはじめ各都市の空襲を開始し、

本土の国民も直接の戦禍を受けるようになった。


◆ 1945年(昭和20) 1月、

最高戦争指導会議で本土決戦即応態勢

確立の方針が決まる一方、

10代の少年から40代の老兵までが召集され

て本土決戦用の兵力が増強された。

 


◆ 1945年(昭和20) 2月、

米軍の硫黄島(いおうとう)上陸。

4月には沖縄本島上陸が開始された。

沖縄に米軍が上陸した直後、小磯内閣は辞職し、

鈴木貫太郎内閣が成立したが、

5月ドイツが降伏と、最高戦争指導会議は、

ソ連を利用する和平工作を進めることを決定、

和平の仲介をソ連に申し入れることとした。

 


<終結に向かっての連合国>
◆1943年(昭和18) 1月、

カイロ宣言を発し、

対日戦の目的を明らかにするとともに、

日本の無条件降伏まで戦争を続ける態度を明らかにしていた。

さらに日本本土上陸作戦が具体化するにつれて、

アメリカはソ連の対日参戦を熱望。



◆1945年(昭和20) 2月、

米英ソ首脳によるヤルタ会談では、

ソ連の満州の権益や北方領土確保と引き換えに、

対独戦終了後における対日参戦の約束がなされた。

しかし対独戦が終わったころから、

米ソ対立が表面化し、

米政府内部では、天皇制の保持を約束することによって

日本の早期降伏を促進しようとする機運が高まった。


◆1945年(昭和20) 7月初、

その趣旨を盛り込んだポツダム宣言の原案が作成された。

しかし、7月16日に原爆実験が成功すると、

ポツダム会談に臨んだトルーマン大統領は、

天皇制条項を日本が受諾しにくい形に書き改め、

7月26日に公表して日本に無条件降伏を呼びかける一方、

25日には原爆投下命令を出した。

それは、8月1日以降天候の許すときには日本の4都市

(広島、小倉(こくら)、新潟、長崎)のいずれかに

原爆を投下することを命令したものであって、

ソ連参戦以前に対日戦を終了させようとし、

または対ソ示威の効果をねらったものと解されている。


<終結>
日本の終戦決意を最終的に固めさせたのは原爆ではなく、

ソ連の参戦であった。

8月9日、ソ連が参戦し、

満州・朝鮮で軍事行動を開始すると、

同日夜半から10日にかけて開かれた御前会議は、

国体護持の条件のみでポツダム宣言を受諾することを

決定した。

これに対し、アメリカは12日、

日本側の条件を暗に認めた回答文をバーンズ国務長官の名で

通告してきた。

その表現があいまいであったため、

陸軍を中心とする主戦派は

あくまで本土決戦を主張したが、

14日の御前会議は、天皇の「聖断」によって

無条件降伏を決定した。

この決定は翌15日、天皇のラジオ放送(「玉音放送」)

によって国民に告げられ、

戦争は終わったのである

(なお正式の降伏文書調印は9月2日)。


<戦争の犠牲>

【広島・長崎原爆】
●1945年8月6日広島に、8月9日長崎に原爆が投下され、

市街地を壊滅させたほか、

被爆による死者は、1945年末までに、

広島で約14万人(誤差1万人)、

長崎で7万人(誤差1万人)

に上ったとされている(ISDA JNPC編集出版委員会編

『被爆の実相と被爆者の実情――

1977NGO被爆問題シンポジウム報告書』による)。


【沖縄戦】  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6 
●日本軍による組織的抵抗の終わった6月23日まで

3か月近く続いた沖縄戦では、県民も戦闘に義勇軍

として動員される一方、戦闘の巻き添えをくったり、

日本軍にじゃま者扱いにされて殺される例も多かった。

当時50万の人口をもつと思われる沖縄で、

県民非戦闘員を含む日本側の死者は、約18万人

(県援護課資料による)をはるかに超えたものと推定される。
                                                     [ 以上 執筆者:荒井信一 ]

 


【学徒出陣】
●1943年10月21日、

全国を代表して東京都四谷区の明治神宮外苑競技場で

「出陣学徒壮行会」が実施された。

当時の報道によれば秋の強い雨の中、

観客席で見守る多くの人々

(引き続き徴兵猶予された理工系学部生、中等学校(旧制)生徒、

女子学生などを含む)の前で東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県

の各大学・専門学校から召集された出陣学徒の隊列行進

(伴奏・陸軍分列行進曲)、

海ゆかばの斉唱、

宮城(皇居)遙拝、

岡部長景文部大臣による開戦詔書の奉読、

東條首相による訓辞、

東京帝国大学文学部学生の江橋慎四郎による答辞

などが行われ、最後に競技場から宮城まで行進して

終わったとされる。

なお、全国で学徒兵として出征した対象者の総数は

日本政府による公式の数字が発表されておらず、

大学や専門学校の資料も戦災や戦後の学制改革によって

失われた例があるため未だに不明な点が多い。

出征者は約13万人という説もあるが推定の域を出ず、

死者数に関してはその概数すら示す事が出来ないままである。

 

【東京大空襲】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2
●1944年(昭和19年)11月14日以降に106回の空爆を受けたが、

特に1945年(昭和20年)3月10日、4月13日、4月15日、5月25日の

空襲は大規模であった。通常「東京大空襲」と言った場合、

特に規模が大きかった1945年(昭和20年)3月10日に

行われた空襲を指すことが多い。

1945年(昭和20年)3月10日、爆撃は325機。

B-29爆撃機(うち爆弾投下機279機)によるもので、

0時7分に深川地区へ初弾が投下されたのを皮切りに

その後城東地区にも爆撃が開始された。

0時20分には浅草地区や芝地区(現・港区)に対する

爆撃も開始された。

爆撃による火災の煙は高度15000mの成層圏にまで達し、

秒速100m以上という竜巻並みの暴風が吹き荒れた。




   

  原爆ド―ム

 

    

  沖縄戦

  

  学徒出征  

          
   

  東京大空襲鎮火後の街の風景(石川光陽撮影)

 

  以上 ウキぺディアより

                                                        


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今日14日と昨日13日の出来事

2011-08-14 20:47:32 | 日記

今日は、14日。お盆の最中。 

お寺に行って来ました。

そして、その後、20年来の年上の友人

(というのだろうか・・・んん・・

でも、行動をよく一緒にしてるし、

どこにもついてこられるしィィ)が、

秩父の “ 阿佐美冷蔵 ” のかき氷を

一度食べてみたい!!!!! 

ああ、あの かき氷 ね


強いリクエストはなかなかされない方なので、

デジカメも持ってないけど、

んじゃ――

ということで・・・・・午前のお寺参拝の後、

午後から、行って来ました・・・・

これが、これが、珍道中の、

想定外の、あああああああ―  という。

でも、最後は喜んでいただけたので、

よかったよかった。

その様子は、後日m(__)m

 


昨日は

  

出勤途中で “ インドフェスタ ” に遭遇。

代々木公園にて。


いつもの “ お金を循環させましょっ ” てことで、

テイクアウト

 

右端のオレンジ色の飲み物は 何と!! 

ミルクティ― ( タピオカ入り ) なんですう。

渡された時、思わず「 これ、何ですか  ? 」

と聞いてしまいました。

飲んでみると確かにほんのり紅茶味。

たしか、ベトナムの紅茶もこんな味でした・・・

だから、紅茶に間違いないですが・・・ハハッ、複雑  


   

空心采。ガ―リックの香りと歯ごたえがいい!!

  
   

フォ―。これも酸味と香辛料でGOOD



   

大好きなチキン。パクチ―も大好き。

香ばしくて、さっぱりしています。


店員さんも 「 いらっしゃいませ~ 」と 

合掌 しながら言ってくださって、

私も思わず 合掌

帰り際も  「 ありがとうございます~ 」と 

またまた 合掌  わたしも 合掌

 

 

こころが綺麗になったみたい

 

 

足を向けてよかった 合掌――― です ネ 





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夏合宿の準備と日本の夏の出来事

2011-08-12 00:45:24 | 日記

来週は合宿!!!

みんな元気に準備をしたり、強化練習をしたり

・・・・・わたしも4年目。

団の雰囲気も変わり、わたしもいい年齢になり、

みんなを受け止められるだけの条件とこころに

満たされてきました。


中2のみんなは、一応、

この夏が団員として最後の合宿

在団年数は、8年間、7年間・・・・

途中入団で2年間の団員もいて、

それぞれ想い出は違うけれど、

中2として合宿までの一日一日が更なる

想い出になりますように お手伝い出来たらうれしいです。

そして、今年は、わたしのタスキ(?)と名札は

誰が作ってくれるのかしら。

楽しみです

 


日付変わって今日は12日。

13日は、お盆のご先祖様をお迎えするため 

迎え火 を焚き、16日が送り火を焚いて

お盆も終わります。

16日は、毎年いつものお寺さんで、

燈籠流しをしてくださるので、

わたしにとって大切な日です。


そして、15日<1945年8月15日:

玉音放送(昭和天皇陛下による終戦の詔書の朗読放送)により、

日本の降伏が国民に公表された日>は

「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」・・終戦の日。

 


盂蘭盆会、広島・長崎原爆の日、終戦の日、旧盆 と、

こうしてみると、日本の夏って 祈り と 誓い 

の日が続くんですね。

よい一年の締めくくりができるよう、

今日も思います・・・・・・・・ 

“ 夏の炎天に秋の実りを見出せ

 



来年の今頃は、大きく人生が変わっています。

今から、しっかり準備を整えていきます。

こころから満足できるように。

そして、周りの人たちとの絆が深まっていくように。

ひとりひとりが喜びでいられるように。

ん―、そう考えていくと、

ここのところちょっぴり温かさが欠如して、

散漫になっていたかな・・・・・・

もう一度、欠点と長所を見詰め、

こころを磨きます

 



昨日11日は、大震災から5カ月・・・・・。

祈っています。


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ご招待と美食の五感♪

2011-08-11 00:09:24 | 日記

今日は、出掛けから災難が・・・・・・・

西武池袋線 10:00に人身事故で

所沢 池袋間、運休  はあ~?????

日曜に落雷で5時間止まったばっかりじゃありませんか

結局、池袋へ40分遅れ。 

 

1時間立ちっぱなし・・・・今日は、今日は、きょうは――――

お祝い の席に、招いていただいたのにっ



ホ―ムを走り 、乗換道中を走り 。 

なんとかそれでも、目的地の表参道へ10分遅れで到着

お店の名は・・・・・ 「 ラ・ロシェル 」南青山店 

        

 

 http://www.la-rochelle-may.com/


フレンチです。 オ―ナ―シェフは 

「 料理の鉄人 」でお馴染みの 坂井宏行シェフ。 

料理長は 石井義昭氏。

お料理は、ひとつひとつに繊細な装飾と 小ぶりなので、

食べやすく、お腹にも優しい・・・・

     

 こんな感じで、女性はみんな大好き になると思います。 

 



    

 エルメスのお皿。うつくしい―



  石井さんは、小平の農園に自ら出向いて、

  野菜をチョイスされるそうで、

  出てくるお野菜の美味しいこと!!

  トマトも美味しかったけれど、特に 

  ピ―マンの味が忘れられません


      
  そして、どのお料理も 一口一口、これ何? 

  ああ―、そうか そっか そうか― と  

  五感   がふる回転してしまうのです。 

  お料理って、美味しい、美味しいと思うだけ

  ではないんですね。

  ランチをいただいのに、今日は もう何も

  食べたくないなと思ってしまうのでした 。 

  最後に、デザ―トが3回出てきたのも、満足の一つかも。

  1回目は 冷たい シャ―ベット 2種。 

  2回目は ゼリ―とシャ―ベット 

  そして、果物をメレンゲで包んだもの。

  3回目は プチチョコレ―ト 3種。

  ケ―キ状のものと、ム―ス状のものと、生状のもの。 

  飲み物と一緒に。

 

  夜にゆっくり行ってみたい・・・・です。 

  今日は、午後が仕事だったせいもあり、

  2時間以内での食事だったので、

  もっと、一皿一皿を味わえたらと・・・。

  

  そうそう、JR大塚にある あのフレンチも 

  去年7月に慌てて1時間半で

  お願いして、いただいたっきり。ゆっくり行きたい

 


  「 ラ・ロシェル 」南青山店 表参道A5出口から3分。

  特別な日に是非、大切な人と お出掛けになっては如何でしょうか








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長崎原爆、松田選手 祈りの日

2011-08-09 09:45:59 | 日記

今日は、長崎原爆の日。

昨日8日には、原爆死没者を追悼する

イベント「平和の灯(ともしび)」が行われ、

手作りのキャンドルが並べられました。




 

 

そして、今日は、松田選手の本葬。

あの鶴は、松本で 3千羽鶴になったそうで・・・・


   

ご冥福をお祈りします。

 

 


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