私の知る
「尊敬できるとおもう」人たちは
非常に奥ゆかしく
誰かに自慢するために努力したり、誇張するより
隠れている美徳を重んじる人が多い
ので、
その寿命の尽きるころに
初めて知る真実がいくつもあったりして、驚かされることがある。
そんなに努力してり、人に尽くしたりしたのに誰にも知られない
それでいいの?と
子供の頃はいつもみててそう思っていた。
その行動の理由を 相手は永遠に知らない。それでもいいの?と。
先日知った張楊チャンネル で、張楊さんが「日本人の武士道」について
語っているのを見て
「武士道」なんて言葉はまったく身近では無いけれども
自分の身の回りで武士道と言えるものがあるとすれば、そういうことかなと。
武士道なんて言葉は最近使われないので、まったく定義もなにもわからないけれども
少なくとも
Facebookが流行り出した頃によく誰かが言っていた「自分をブランディングする」という発想とはまったく対極的な考え方で
何かやっても、ひたすら人に知られないようにする。
宮沢賢治が
雨にもマケズ
という詩を書いたけれども
まさにあんな感じで
ただ、人に誇ることなく、当たり前に一生懸命できることを探して尽くす
工夫をして、よりよい方法を探して努力してその成果を分かち合う
そんな美徳を持った人が 日本全体を支えている見えない支柱である
そういう、どんな財宝にも負けることのない光り輝く宝の心を持った人たちの
思想や行動を一朝一夕で「AI」に取って代わることができる筈がない
日本をのっとろうという人々や
日本人を滅ぼしてこの国土を奪おうという人たちは
日本人を根絶やしにしたところで
自分たちの地獄を、ただ拡張するだけの話
でも
そう言うことがわからないから、
征服してやろうとか、人口削減してやろうとか
おもうのでしょうね。
要するにわかってないって言うことです。