昔のバイクの写真を紹介する「ジョニーのアルバム」用の写真を
夜中にゴソゴソ探してたら、昔の仕事の写真が出てきたので
今回はこれ、「ジョニーのアルバム仕事編」です。
写真は、以前にも少し書きました「ソビエト連邦」へ行った時のもので、
写っているのは、二十歳そこそこの私とダゲスタン自治共和国滞在中に
ずっとドライバーを務めてくれた「ザウル」さんです。
この日は、およそ600キロの未舗装路を一日かけて移動するという日でした。
写真は、クルマが故障したついでに休憩しているところを
「ザウル」さんと一緒に撮ったものです。
ちょうど写真をとる前、故障したクルマを修理している彼が
勢いあまって指にケガをしてしまいした。
そこで私が日本から持っていったスタッフ用の救急セットで
治療してあげたのをキッカケに、
ダゲスタン滞在中、ずっと彼は私の事を「ドクトル」と呼び、
撮影が終わって別れるまでの間、とても私に親切にしてくれました。
「クルマをあちらへ動かして欲しい」「ここから移動します」などなど、
言葉が通じないながらも身振り手振りでお願いする私に、
いつも笑顔で答えてくれていた彼の顔は、いまでもハッキリと覚えています。
食事のたびに、ニコニコしながら「ウォッカ」とグラスを握り締めて
やってくるのには、少々困りましたが…
彼は、初めて海外での仕事を経験していた私にとって、
まともに会話ができなくても、なんとなく信頼できるはじめての外国人として、
滞在中、ずっと大きな心の支えとなってくれました。
「スパシーバ(ありがとう)」
「ダビスダーニャ(さようなら)」
別れ際、握手をした彼の手は、ロシアの田舎のポンコツ車で鍛えられた
硬く、分厚い、ドライバーの手でした。
夜中にゴソゴソ探してたら、昔の仕事の写真が出てきたので
今回はこれ、「ジョニーのアルバム仕事編」です。
写真は、以前にも少し書きました「ソビエト連邦」へ行った時のもので、
写っているのは、二十歳そこそこの私とダゲスタン自治共和国滞在中に
ずっとドライバーを務めてくれた「ザウル」さんです。
この日は、およそ600キロの未舗装路を一日かけて移動するという日でした。
写真は、クルマが故障したついでに休憩しているところを
「ザウル」さんと一緒に撮ったものです。
ちょうど写真をとる前、故障したクルマを修理している彼が
勢いあまって指にケガをしてしまいした。
そこで私が日本から持っていったスタッフ用の救急セットで
治療してあげたのをキッカケに、
ダゲスタン滞在中、ずっと彼は私の事を「ドクトル」と呼び、
撮影が終わって別れるまでの間、とても私に親切にしてくれました。
「クルマをあちらへ動かして欲しい」「ここから移動します」などなど、
言葉が通じないながらも身振り手振りでお願いする私に、
いつも笑顔で答えてくれていた彼の顔は、いまでもハッキリと覚えています。
食事のたびに、ニコニコしながら「ウォッカ」とグラスを握り締めて
やってくるのには、少々困りましたが…
彼は、初めて海外での仕事を経験していた私にとって、
まともに会話ができなくても、なんとなく信頼できるはじめての外国人として、
滞在中、ずっと大きな心の支えとなってくれました。
「スパシーバ(ありがとう)」
「ダビスダーニャ(さようなら)」
別れ際、握手をした彼の手は、ロシアの田舎のポンコツ車で鍛えられた
硬く、分厚い、ドライバーの手でした。