浄瑠璃寺は京都府の南の外れ、奈良県との県境にほど近いところにある。平成の大合併で現在は木津川市加茂町となっているが合併前は相楽郡加茂町である。
07年7月のこと、興福寺、白毫寺、新薬師寺、東大寺と回って次は京都へという時に連れ合いが浄瑠璃寺に行きたいと言い出した。
数十年前、高校生のころに堀辰雄の「大和路」でこの浄瑠璃寺のことを読んだことがあり、以来いつか一度行って見たいと思っていたという。
当方は堀辰雄で思い起せるのは「風立ちぬ」くらいで、しかも読んだことはない。高校入試のための国語の知識で本のタイトル名が入っているだけだ。一方、三度の食事より読書が好きという多読家の連れ合いは、読んだ本の内容までもよく覚えている。
奈良駅から夫人とともに2時間ほど徒歩で行ったと書いてあり、どんな道を辿って行ったのか興味があったと言う。
今「大和路」を改めて読んで見ると、堀辰雄が訪れたのはいまから70年も前の昭和16年。その当時、海竜王寺の回りですら「大和平一帯が秋の収穫を前にしていかにもふさふさと稲の穂波を打たせながら拡がっている。」とあるくらいだからかなり辺鄙なところだったに違いない。
我々は車で行く。しかもナビがある。便利にはなった。が、しかしナビに案内された道は全く記憶に残らない。
「大和路」には途中の記述はないが2時間の大和路の散策は十分楽しめただろうと思う。
ともあれ車では15分程度で着く。
落ち着いた佇まいの寺で、真ん中にある宝池を挟んで相対するように三重塔と本堂が配置されており池越しに見える風情が印象に強く残っている。
三重塔は高さ11mほどで建物自体としては小さいが、池から一段高いところに立てられているので実体よりは大きく見える。
参道
三重塔(本堂から望む)
なぜか西方浄土を思わせる
三重塔(直近)
境内の石像群
本堂(三重塔から望む)
本堂の縁側でまどろむ猫
あまりの無警戒振りについいたずら心がわいた。手で触って驚かせたらハッと目を覚まし次に「何するんだよ」といわんばかりの眼差しで迷惑そうに場所を移してまた丸まった。猫にとってもゆったりと時間が流れていたようだった。
07年7月のこと、興福寺、白毫寺、新薬師寺、東大寺と回って次は京都へという時に連れ合いが浄瑠璃寺に行きたいと言い出した。
数十年前、高校生のころに堀辰雄の「大和路」でこの浄瑠璃寺のことを読んだことがあり、以来いつか一度行って見たいと思っていたという。
当方は堀辰雄で思い起せるのは「風立ちぬ」くらいで、しかも読んだことはない。高校入試のための国語の知識で本のタイトル名が入っているだけだ。一方、三度の食事より読書が好きという多読家の連れ合いは、読んだ本の内容までもよく覚えている。
奈良駅から夫人とともに2時間ほど徒歩で行ったと書いてあり、どんな道を辿って行ったのか興味があったと言う。
今「大和路」を改めて読んで見ると、堀辰雄が訪れたのはいまから70年も前の昭和16年。その当時、海竜王寺の回りですら「大和平一帯が秋の収穫を前にしていかにもふさふさと稲の穂波を打たせながら拡がっている。」とあるくらいだからかなり辺鄙なところだったに違いない。
我々は車で行く。しかもナビがある。便利にはなった。が、しかしナビに案内された道は全く記憶に残らない。
「大和路」には途中の記述はないが2時間の大和路の散策は十分楽しめただろうと思う。
ともあれ車では15分程度で着く。
落ち着いた佇まいの寺で、真ん中にある宝池を挟んで相対するように三重塔と本堂が配置されており池越しに見える風情が印象に強く残っている。
三重塔は高さ11mほどで建物自体としては小さいが、池から一段高いところに立てられているので実体よりは大きく見える。
参道
三重塔(本堂から望む)
なぜか西方浄土を思わせる
三重塔(直近)
境内の石像群
本堂(三重塔から望む)
本堂の縁側でまどろむ猫
あまりの無警戒振りについいたずら心がわいた。手で触って驚かせたらハッと目を覚まし次に「何するんだよ」といわんばかりの眼差しで迷惑そうに場所を移してまた丸まった。猫にとってもゆったりと時間が流れていたようだった。
浄土式庭園がいまに残り伝わっているのも嬉しいです。
渡月橋&清凉寺でTBさせていただいた (もののはじめblog) のiinaでした。 m(_ _)m