風の爽やかさが冷たさに変わり、一月が過ぎた。
松村伸二は週に一度の割合で陽子の前に姿を見せた。
その度に、滅多に口に出来ない上等な食料を持参して来る。
陽子は母と伸二が顏を合わせた瞬間が忘れられない。
陽子の手前、平静を装いながら、二人の声が震えていた。
見つめ合う目が切なく哀しげだった。
伸二は、片言の英会話が出来るのを買われ、進駐軍の食料倉庫で働いているという。
「怪しい品物じゃない。安心して下さい」
「でも、あなたの分が、、」
短いやり取りの後、食料品にかかる二人の手が触れ合い、次の瞬間パッと離れた。
陽子は冷静を装う母の顔に赤みがさしたのが、妙に嫌だった。
「私のお母さんはおじさんが好きで、この素敵なおじさんもお母さんが好きだなんて、なんかイヤだ」
それは陽子に芽生えた初めての嫉妬の感情だった。
師走の夕空は澄んで美しかった。
「今日は多分おじさんが来る」
陽子は小さな胸をときめかして家の前の地面に木の枝で絵を描いていた。
ふと誰かが凝視するのを感じて目を上げると、痩せて窶れた無精髭を生やした兵隊服の男が立っていた。
「陽子、覚えてないだろうな。
お父さんだよ。
やっと帰国出来たんだ」
陽子は飛ぶようにバラックの中に駆け込んだ。
母を呼ぶ為である。
慌てて飛び出してきた母を父省三は抱きしめた。
そして二人は抱き合ったままバラックの中に入っていった。
一人残った陽子は、駅に向かって立ち去る松村伸二の後ろ姿を見た。
寂しそうな背中だった。
陽子は思わず大声を出した。
「おじさん、陽子おじさんをずっとここで待ってるよ。
おじさんのお嫁になれるまで待ってる。
だからきっと又来てね」
声が届いたのか、伸二は振り向いた。
にっこりと微笑んで手を振ったのが微かに陽子の目に映った。
次の瞬間、その姿は長い黒い影となって走り去っていった。
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