課題レポートが終わりました。といっても水曜日には終わりましたが…
宗教(キリスト教)について、指定された本を読んで感想を書くんですが、これが意外と難しいというのか、何が書かれているのかわからないというのか。
読んだ感想なんかしらん!ということです。根本的に何も感じないというあたりがまたひどい。
キリスト教において神がどのような存在であるか、人間と神との関係はどんなものか、聖書の働きってなに?みたいなことがつらつら書かれている本を僕は選んだのですが(いくつか本が指定されていてそのなかから一つ読んでレポートを書く、というものなので)、そのあたりはまだ興味があるとして、
イエスがどのような役割を果たしているのか、洗礼がどうとか、という話になってくると字を追っているだけで瞼が閉じてしまいそうでした。
本を読んで思った少ない感想は、
キリスト教において、人間は神とのつながりを確認するために儀式をしたり聖書を読んだりするのですが、それらのことをするだけで「私は神のことが分かる」というような「自己正当化」をさけるために律法や神殿があるのだ、ということ。
このこと自体は、非キリスト教徒である我々には分かりにくいですが、でもこれって何もキリスト教徒だからそういうことをするんじゃなくて、
僕たちも学校では先生の前では謙虚に振る舞っているように、先生を「神」のように見立てることで自分を傲慢になることから回避しているのではないか、ということです。
と、これだけ書いても分かりにくいかもしれません。
興味のある方は、講談社現代新書の「一神教の誕生」(加藤隆著)をお読みください。
宗教(キリスト教)について、指定された本を読んで感想を書くんですが、これが意外と難しいというのか、何が書かれているのかわからないというのか。
読んだ感想なんかしらん!ということです。根本的に何も感じないというあたりがまたひどい。
キリスト教において神がどのような存在であるか、人間と神との関係はどんなものか、聖書の働きってなに?みたいなことがつらつら書かれている本を僕は選んだのですが(いくつか本が指定されていてそのなかから一つ読んでレポートを書く、というものなので)、そのあたりはまだ興味があるとして、
イエスがどのような役割を果たしているのか、洗礼がどうとか、という話になってくると字を追っているだけで瞼が閉じてしまいそうでした。
本を読んで思った少ない感想は、
キリスト教において、人間は神とのつながりを確認するために儀式をしたり聖書を読んだりするのですが、それらのことをするだけで「私は神のことが分かる」というような「自己正当化」をさけるために律法や神殿があるのだ、ということ。
このこと自体は、非キリスト教徒である我々には分かりにくいですが、でもこれって何もキリスト教徒だからそういうことをするんじゃなくて、
僕たちも学校では先生の前では謙虚に振る舞っているように、先生を「神」のように見立てることで自分を傲慢になることから回避しているのではないか、ということです。
と、これだけ書いても分かりにくいかもしれません。
興味のある方は、講談社現代新書の「一神教の誕生」(加藤隆著)をお読みください。