デリー二日目、3月24日。
この日は朝から市内に移動し(ホテルが、郊外の空港近くにあるため)、日本語学校を訪問。
まず、ホテル近くの地下鉄の駅へタクシーで移動。
インドっていう国は本当にすごくって、
舗装はされているけど道はそれほどよくないし、
何よりも臭い!!
ゴミのにおい、水が腐った(?)におい、排気ガスなどなど…
そんな、いろんな要素が混じって、僕たちの鼻を襲ってくる。
慣れたら問題ないけど(笑)
でも、こんな体験って日本じゃできないと思う。
それに、こんな臭いを嗅げるから、「生きてる!!」って感じることも確かにある。
まだインド二日目やけど、生命力が自分の底から湧いてくる。
そして駅に到着。
これですよ!?すごくないですか!?モダンすぎる…。
ただ、この180度反対側は、ただの荒れ地、ぼろい家が建っていたりして、ギャップが激しい。
逆にいえば、そんな「多様性」が混在しているのが、インドの醍醐味とも言える。
インド(少なくともデリー)の地下鉄は、お金を払うと切符の代りというか、青色のプラスチックコインをもらう。
これを改札に通すと、磁気で情報を入力?して、改札を出るときにコインが回収されるという仕組みだ。
それにいんどは、地下鉄に乗るときも、空港のように手荷物検査(!)があって、
リュックを下ろして、金属探知のゲートを通らないといけない。
これが何度も続くと、精神的に苦痛になる…。
デリー中心部近くの駅に到着。
ここで、今日訪問する機関の生徒であるシバンギさんと合流して、一緒に目的地を目指す。
目的地は、駅の裏路地のような場所にあった。すごそこだ。
モサイ・インスティチュートだ。
窓からの町並み。
いわゆる「私塾」のようなもので、幾つかのレベルに合わせてクラスが開講されている。
シバンギさんのクラスは、確か中級レベルのクラスだった。
シバンギさんは、当時の4月頃から、アイセックを通して日系企業でインターンをする、ということもあって、その意気込みを簡単に発表してもらい、その後にフリペのプレゼンをした。
今回のインドでは、学校訪問→フリーペーパーの紹介(程度に合わせて英語or日本語)→配布、という流れで各機関を回っていった。
確かこのときは、日本語やったと思う…。
多くの日本語学習者にとって、こんなフリペを見たのはもちろんはじめてで、みんなが興味津々に読んでくれた。
(興味を引く、引かない内容の差はあったと思う)
また、このモサイに、こんなものも置かれてあった。
そう。当時はちょうど、東北での地震の10日と少し後。僕たちも、いろいろ考えた上で、あの混乱の中インドに飛び立ったわけだけれども、こんな所でも、少しでも日本のために、と力を貸してくれる人たちがいることに気づけて、胸が熱くなった。
もちろん僕は関西在住で、東北や関東で被害にあった方と比べで、体験したことも感じるものも、大きな隔たりがあるのは事実だ。
けれども、海外に目を向けて、このように歩いてみると、本当に多くの方達が、日本のことを心配してくれていて、嬉しく思う。
自分たちがインドで、このようなことをしたのも、本当に小さなことであるには間違いないと思うけれど、
お互いの国や知り合いのことを、海を越えて想起できるっていうのは素晴らしいことやと思うし、少しでも形にしたいと、改めて思った。
この日はこの後、もう一つ別の機関に行くのですが、記事が長いので一度ここまで。
最後に、いい写真を一つ撮れたので。
この日は朝から市内に移動し(ホテルが、郊外の空港近くにあるため)、日本語学校を訪問。
まず、ホテル近くの地下鉄の駅へタクシーで移動。
インドっていう国は本当にすごくって、
舗装はされているけど道はそれほどよくないし、
何よりも臭い!!
ゴミのにおい、水が腐った(?)におい、排気ガスなどなど…
そんな、いろんな要素が混じって、僕たちの鼻を襲ってくる。
慣れたら問題ないけど(笑)
でも、こんな体験って日本じゃできないと思う。
それに、こんな臭いを嗅げるから、「生きてる!!」って感じることも確かにある。
まだインド二日目やけど、生命力が自分の底から湧いてくる。
そして駅に到着。
これですよ!?すごくないですか!?モダンすぎる…。
ただ、この180度反対側は、ただの荒れ地、ぼろい家が建っていたりして、ギャップが激しい。
逆にいえば、そんな「多様性」が混在しているのが、インドの醍醐味とも言える。
インド(少なくともデリー)の地下鉄は、お金を払うと切符の代りというか、青色のプラスチックコインをもらう。
これを改札に通すと、磁気で情報を入力?して、改札を出るときにコインが回収されるという仕組みだ。
それにいんどは、地下鉄に乗るときも、空港のように手荷物検査(!)があって、
リュックを下ろして、金属探知のゲートを通らないといけない。
これが何度も続くと、精神的に苦痛になる…。
デリー中心部近くの駅に到着。
ここで、今日訪問する機関の生徒であるシバンギさんと合流して、一緒に目的地を目指す。
目的地は、駅の裏路地のような場所にあった。すごそこだ。
モサイ・インスティチュートだ。
窓からの町並み。
いわゆる「私塾」のようなもので、幾つかのレベルに合わせてクラスが開講されている。
シバンギさんのクラスは、確か中級レベルのクラスだった。
シバンギさんは、当時の4月頃から、アイセックを通して日系企業でインターンをする、ということもあって、その意気込みを簡単に発表してもらい、その後にフリペのプレゼンをした。
今回のインドでは、学校訪問→フリーペーパーの紹介(程度に合わせて英語or日本語)→配布、という流れで各機関を回っていった。
確かこのときは、日本語やったと思う…。
多くの日本語学習者にとって、こんなフリペを見たのはもちろんはじめてで、みんなが興味津々に読んでくれた。
(興味を引く、引かない内容の差はあったと思う)
また、このモサイに、こんなものも置かれてあった。
そう。当時はちょうど、東北での地震の10日と少し後。僕たちも、いろいろ考えた上で、あの混乱の中インドに飛び立ったわけだけれども、こんな所でも、少しでも日本のために、と力を貸してくれる人たちがいることに気づけて、胸が熱くなった。
もちろん僕は関西在住で、東北や関東で被害にあった方と比べで、体験したことも感じるものも、大きな隔たりがあるのは事実だ。
けれども、海外に目を向けて、このように歩いてみると、本当に多くの方達が、日本のことを心配してくれていて、嬉しく思う。
自分たちがインドで、このようなことをしたのも、本当に小さなことであるには間違いないと思うけれど、
お互いの国や知り合いのことを、海を越えて想起できるっていうのは素晴らしいことやと思うし、少しでも形にしたいと、改めて思った。
この日はこの後、もう一つ別の機関に行くのですが、記事が長いので一度ここまで。
最後に、いい写真を一つ撮れたので。