休みって必要なんだなー、って。
今日思いました。
朝起きて、目の調子が悪くて、
それも関係あったんでしょうけど、全くやる気が出ない。
自分にとっては、不思議なくらい。というか、これだけやる気がでない自分が、怖かった。
最近は英語の勉強をしているのですが、
机に座っても、やる気がでなく、
机に座っているのが苦痛。
だから思い切って、日中に寝ることにしたんです。
「時間無駄にしてるわー」とか思いながら。
でも、すごくぐっすり休めました。
15時半くらいから17時20分くらいまで、
真昼なのに、時間が経つのに気づかないほど、ぐっすりと。
たぶん、自分の知らないところで、心身ともに疲れがたまっていたんやと思う。
目のアレルギー?で、コンタクトレンズもあんまりつけられないし、
毎年夏は、汗疹ができるけど、今年はそれに加えて、両腕に謎の、無数の発疹。
最近はあまり食欲もなく、知らないところで、コンディションが狂っていたんやと思う。
まだ、腕の発疹は完全に治っていないけど。
ちょっとエンストしてしまったのかも、自分。
自分は結構、向こう見ずに突っ走ってしまう所があるけど、
たまにふと、体中の全ての力が抜けたように感じる時がある。
そういう時って、本当になにもやる気湧かなくて、
今までも何度かあったけど、
自分って波が激しいんだなー、って思う。
で、原因を少し考えてみると、
「自分は他人に期待されることに、弱いんじゃないか」っていうのが、思いついた。
よくあるじゃないですか。
「きみ、○○大学出身なんだよね。すごいよね」みたいな。
僕の場合は、学歴で見られている、っていうわけではないんですけど、
自分の人生を、他の人に決められているんじゃないか、って、最近考えるんですよ。
自分は自分で、道選んでいるか?(作っているか?)
自分のしたいことしているか?
って、自問自答してみるわけです。
で、考えてみると、どうもそうではないらしい。
以前、会社の面接があったときに、その練習も兼ねて、東京にある、大学のオフィスにいったんですが、
その時に、面接の練習をしてもらったんです。
それは自分にとって、初めての面接でもあったんですが、
志望動機とか、自分の経験とのすりあわせとか、って言う部分を、自分では上手く言えなくて、キャリアアドバイザーに誘導されながら作ったのですが、
それって、あくまでその人の言葉であって、その人が「よかれ」と思っていっていることなんですよね。
自分の言葉にしようと思っても、どこか拒絶反応が起きている感じがして、とても違和感を感じました。
他にも、「きみは就活の世界で戦ってほしい」って風に、インターンの社長から言われたりしたわけですが、
そういうのって全部、あくまで、その人にとっての「自分があって欲しい姿」であって、
必ずしも自分が考えている、「自分のあってほしい姿」ではないと思うんです。
東京に行ったときに思ったのは、自分でうまく言葉にできないのに、あれよあれよとアドバイスを受けて、
「うわー、就職って人生の一大転換期であるはずなのに、他人の力で自分の人生決められている!!」って思って、ぞっとしました。
よくよく考えると、ぼくは中学校とか高校の時に、親からも「こうしなさい!」って言われたことは、ほとんどありませんでした。
「勉強しなさい」とも「有名大学に行きなさい」とも言われませんでした。
むしろ、「自分で考えたなら、いいんじゃない?」みたいに、結構相手にされなかったりしました。笑
つまり、比較的自由に育てられた環境にあったと思うのですが、
その中で、「他人から求められる人間」では、なかったのかもしれません。
そうではなくて、何の束縛もない中で、善悪を自分で考えて、自分で責任をもたないといけない、みたいに、ある意味自由に育ってきたわけです。
だから、まあ、自分の中で「これはいい」「これは悪い」っていう判断、危機管理は、比較的できるのでしょうが、
そういう中で、したくないことを必死こいてする、っていうのは、もしかしたら、自分にはできないことなのかもしれない、と思いました。
と、ちょっとまとまらなくなってきたので、続きは次回の記事で書きます。(苦笑)
今日思いました。
朝起きて、目の調子が悪くて、
それも関係あったんでしょうけど、全くやる気が出ない。
自分にとっては、不思議なくらい。というか、これだけやる気がでない自分が、怖かった。
最近は英語の勉強をしているのですが、
机に座っても、やる気がでなく、
机に座っているのが苦痛。
だから思い切って、日中に寝ることにしたんです。
「時間無駄にしてるわー」とか思いながら。
でも、すごくぐっすり休めました。
15時半くらいから17時20分くらいまで、
真昼なのに、時間が経つのに気づかないほど、ぐっすりと。
たぶん、自分の知らないところで、心身ともに疲れがたまっていたんやと思う。
目のアレルギー?で、コンタクトレンズもあんまりつけられないし、
毎年夏は、汗疹ができるけど、今年はそれに加えて、両腕に謎の、無数の発疹。
最近はあまり食欲もなく、知らないところで、コンディションが狂っていたんやと思う。
まだ、腕の発疹は完全に治っていないけど。
ちょっとエンストしてしまったのかも、自分。
自分は結構、向こう見ずに突っ走ってしまう所があるけど、
たまにふと、体中の全ての力が抜けたように感じる時がある。
そういう時って、本当になにもやる気湧かなくて、
今までも何度かあったけど、
自分って波が激しいんだなー、って思う。
で、原因を少し考えてみると、
「自分は他人に期待されることに、弱いんじゃないか」っていうのが、思いついた。
よくあるじゃないですか。
「きみ、○○大学出身なんだよね。すごいよね」みたいな。
僕の場合は、学歴で見られている、っていうわけではないんですけど、
自分の人生を、他の人に決められているんじゃないか、って、最近考えるんですよ。
自分は自分で、道選んでいるか?(作っているか?)
自分のしたいことしているか?
って、自問自答してみるわけです。
で、考えてみると、どうもそうではないらしい。
以前、会社の面接があったときに、その練習も兼ねて、東京にある、大学のオフィスにいったんですが、
その時に、面接の練習をしてもらったんです。
それは自分にとって、初めての面接でもあったんですが、
志望動機とか、自分の経験とのすりあわせとか、って言う部分を、自分では上手く言えなくて、キャリアアドバイザーに誘導されながら作ったのですが、
それって、あくまでその人の言葉であって、その人が「よかれ」と思っていっていることなんですよね。
自分の言葉にしようと思っても、どこか拒絶反応が起きている感じがして、とても違和感を感じました。
他にも、「きみは就活の世界で戦ってほしい」って風に、インターンの社長から言われたりしたわけですが、
そういうのって全部、あくまで、その人にとっての「自分があって欲しい姿」であって、
必ずしも自分が考えている、「自分のあってほしい姿」ではないと思うんです。
東京に行ったときに思ったのは、自分でうまく言葉にできないのに、あれよあれよとアドバイスを受けて、
「うわー、就職って人生の一大転換期であるはずなのに、他人の力で自分の人生決められている!!」って思って、ぞっとしました。
よくよく考えると、ぼくは中学校とか高校の時に、親からも「こうしなさい!」って言われたことは、ほとんどありませんでした。
「勉強しなさい」とも「有名大学に行きなさい」とも言われませんでした。
むしろ、「自分で考えたなら、いいんじゃない?」みたいに、結構相手にされなかったりしました。笑
つまり、比較的自由に育てられた環境にあったと思うのですが、
その中で、「他人から求められる人間」では、なかったのかもしれません。
そうではなくて、何の束縛もない中で、善悪を自分で考えて、自分で責任をもたないといけない、みたいに、ある意味自由に育ってきたわけです。
だから、まあ、自分の中で「これはいい」「これは悪い」っていう判断、危機管理は、比較的できるのでしょうが、
そういう中で、したくないことを必死こいてする、っていうのは、もしかしたら、自分にはできないことなのかもしれない、と思いました。
と、ちょっとまとまらなくなってきたので、続きは次回の記事で書きます。(苦笑)